『大矢のカンガルー』を掲載し終えて…
私がテレビ業界に足をふみいれたのは昭和52年のこと。
ようやく世はカラーテレビが普及し、業界にもVTR技術が浸透し始めたばかり。
良く言えば急成長期のイケイケ状態、悪く言えば人権無視のカオス状態にあった。
特に現場では下層階級にあるADは社員であれ、契約であれ、アルバイトであれ、扱いは十把一絡げで、その分強い仲間意識とライバル意識が混在する不思議な人間関係だったと記憶している。
物語中の登場人物は、全て実在の人物がモデルで、ただ一人を除いてAD時代の私と深く関りのあった方達である。
そのただ一人とは『大矢』である。
もちろん『大矢』は実在の人物で、物語に登場する私の最初の師匠の後輩にあたり、私は師匠から彼にまつわる様々な面白逸話を聞かされていたのだが、実は同じ制作室で同じ番組に関わったことは一度もない。
ただこの物語中に起きたカンガルー事件は実際にあった事で、私はこの事件を師匠から聞かされていた。
その後、私がこのカンガルー事件をさらに面白く誇張を加え、酒の席で他の人に話しているのを聞いた師匠が、
私の話ぶりをやけに気に入り、「おい、川崎、おおやのカンガルーの話しろよ」と、会合の席がある度に要求し、
いつからか『おおやのカンガルー』は私の会合の席での重要な持ちネタとなってしまった。
私はこの話の『語り部』役となったのである。
あまりに何度も話し、その度に多少の脚色も加えたので、一体どこからどこまでが本当のことか自分でも分からなくなってしまったが、大筋では実話を逸脱はしていないつもりである。
今思えばこの話は、あの当時のテレビ業界のADたちの異常な生活感を象徴していると言えるだろう。
当時のテレビ業界では『おおやのカンガルー』の話は次第に有名になり、やがて実話として業界の伝説となっていった…
その後私はディレクターになったのち、大手広告代理店と契約し、コマーシャルやPRの現場へと手を広げていった。
私のいた当時の商業クリエーターの現場…
異常な労働環境・現場で飛び交う日常的な怒号や暴力…
それは生き残るには厳しい環境…というよりは、はっきりとした分業意識と、寝る間も惜しんで『創造』という遊びに熱中していた人々のエネルギーが生み出した歪みであったと私は思う。
なので、我慢もできたし、楽しくもあり、得るものも大きかったのである。
コンプライアンス欠如..パワハラ..ブラック.. 現代を象徴する仕事の概念はあらゆる意味でより安全な方向に向かっている。
それは映像制作の現場でも同じである。
しかし、その分、不自由なことも増え、真っ直ぐに『創造』に打ち込もうとするクリエーターの本分を阻害する要素にもなっている。
いずれにしろ、一方通行のマス媒体は粗雑で単細胞的に見えるかも知れないが、ある意味では今よりもずっと自由で優しかったとも言える…と、思えるが、如何だろう?
余談となるが、『大矢』のモデルとなった人物は、やがて独立し、制作プロダクションを立ち上げた。
その社名は『オフィス カンガルー』…
その後メディアプロデューサーとしても活躍されたという話だが、
2008年に事故の怪我が原因で亡くなられたと聞いている。
さて、ここまで三作を掲載させていただきました。
私にとってこの三作は中編作品といえます。
少し準備の時間を頂いて、次作からは、いよいよ長編作品を連載していこうかと考えております。
引き続き宜しくお願いします。
掲載小説三作はこちらから...
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