カーコラム「WRCメモワール ”大クラッシュ3回 王者マキネンにとってコルシカは鬼門なのか?!」
地中海に浮かぶコルシカは美しい島だ。そこで行なわれるツール・ド・コルス、このラリーでは何度も大事故が起きている。
1986年にはフィンランド人のグレートドライバー、ヘンリ・トイボネンが事故死し、その結果、グループBモンスターから、大量生産車をベースにしたグループAという車両規定になったほどである。その事故以来、トップドライバーが多いフィンランド人は、このツール・ド・コルスを敬遠するようになってしまった。特にユハ・カンクネンはコルシカを好まなかった。
しかし時が経ち、トイボネンと一緒に走ったことのないフライング・フィンの世代に入り、全14戦のトータルポイントでWRC王者が決まるようになると、イベントの好き嫌いは言えなくなってしまった。
その時代にチャンピオンとなっていくフィンランド人、トミ・マキネンがランサーエボリューションIでコルシカを戦うのは95年が最初であった。この時は8位で完走している。そして96年はF2戦だけだったので、出場していない。そんなマキネンが最初に事故に遭うのが97年だった。
この年のマキネンはポルトガル、そしてターマックのカタルニアと連勝。自信をもってコルシカへと駒を進めてきた。その第2レグ最初のSS7。6速ギヤのハイスピードで走行中のマキネンに、突然にして2頭の牛が、そのSSコース上に出現なのである。
ペースノートに無い、移動する巨大な物体。完全なパニックの中での牛への激突であった。彼のランサーは、そのクラッシュにより大破。コースサイドから35メートル落ちたところで止った。その事故車を見た三菱ラリーアートの木全巌総監督が「あの二人、トミとセッポ、どうやってあの曲がりくねった車体から出てきたのかね」と不思議がるほどの大クラッシュだったのである。
ともかく、二人のクルーはすぐに脱出した。そしてコース上へと登っていった。そこには激突された牛が横たわっていた。後続のマシンが来たら大事故になると、二人で大きな牛を片付けたというのだから、さすがにフィンランドのファーマーである。
そして、2度目の事故は2000年に起きた。この年はフレディ・ロイクスがSS1で大クラッシュ。第2レグではコリン・マクレーがコースオフ、顔の骨折という大事故もあった。そして第3レグ最初のSS13で、マキネンのクラッシュがあったのだ。
そのSS13というのは、実はロイクスがクラッシュしたのと同じSS。ロイクスはスタート直後の左コーナーを曲がれずに右側の谷へと落ちたが、その事故のあったコーナーから300メートルほど先の右コーナーでマキネンは落ちてしまった。運が悪いことに、そこには一人のフランス人カメラマンが立っており、この人を巻き込んでの事故。カメラマンは重傷、ランサーは大破の大事故2度目だったのである。
2001年、コルシカ出場6回目のマキネンは3度目の大クラッシュを経験する。第1レグ最後のSS5で突然コントロールを失い、転倒。ルーフから着地して運良くコース上に止まり、崖下へは落ちなかったものの、ナビゲーターのリスト・マニセンマキはそのクラッシュのショックで背骨を折ってしまった。マシンのダメージ自体は過去2度ほどではなかったが、ナビゲーターがケガをしてしまった。1イベントで3度の大クラッシュ。マキネンにとってツール・ド・コルスはツキのないイベントなのだろうか?
ツール・ド・コルスでの過去最上位は99年の6位。WRC23勝、4度もチャンピオンを得ている王者マキネンをしてもコルシカは厳しくタフなラリーなのである。