カーコラム「WRCメモワール マジメすぎるほどマジメ。しかしなぜかイギリスでは不運続きのカルロス・サインツ」
カルロス・サインツはスペインでは英雄である。WRCにはスペイン人のジャーナリストも来るが、その多くはサインツ専門の追っかけ取材で、彼がリタイアすれば、「もう関係ない」という感じになってしまう。それほどスペインでの人気は高い。
コ・ドライバーのルイス・モヤは陽気なスペイン人。酒も夜遊びも好き。ハダカ踊りは有名である。サインツは酒もタバコもやらず、人生の99パーセントはラリーのことだけを考えている、というマジメ人間。モヤとサインツの二人を見ていると、陽気だといわれるスペイン人にもいろいろなタイプがあるんだな~と思ってしまう。
そして二人は1988年以来のコンビ。90年と92年の2度、WRCタイトルを得て、151回のWRC出走のうち23勝という世界最多優勝記録を保持している。だが、このサインツというトップドライバー、実力と努力の割にはなぜかトラブルに見舞われることが多く、特にイギリス、今でいうグレートブリテンラリー、昔でいうとRACラリー、このイベントにはツキがないのだ。
まずは89年。トヨタワークス最初の年、最終レグの最後までラリーをリードしながらプロペラシャフトのトラブルで三菱ワークスのペンティ・アイリッカラに負けて2位になってしまった。これに勝てばWRC初勝利だったというのに・・・。しかし、翌90年と92年はRACラリーに勝って2度のチャンピオンを獲得。94年、スバルで出た時はチームメイトのコリン・マクレーとの競り合いにコースオフでリタイア。翌95年は同じくマクレーとの競り合いに、観客から木材を出されてタイムロスしたという不運で2位。シリーズ2位とチャンピオンを逃した。
そんな不運のきわめつけが98年のグレートブリテンラリー。この年は三菱のトミ・マキネンとのチャンピオン争いだったが、ポイントリーダーのマキネンは初日にコンクリートバリアへ突っ込む大クラッシュ。右リヤサスペンションを失いながらも必死に走ったが、公道に入ってポリス・ストップ。無念のリタイアになってしまった。一方のサインツはトヨタワークス・カローラWRCでの出走。マキネンとは2ポイント差。そのため、3点以上の4位を得ればチャンピオンとなる。
その予定どおりの4位を走っていたが、現在でも最終SSに使われるマラガムと呼ばれるSS。ここは、ゴールのところにお城があって、目の前には多くの観客とジャーナリストが集まっている。ゴールまで400メートルというところで、なんとエンジンのブローアップ。3度目のチャンピオン取り逃がしのリタイアになってしまったのだ。カッとなってクルマにケリを入れるモヤ。一方のサインツはガックリで声も出ない。
そして、2001年、フォード・フォーカスWRCで出場のサインツは、またもや大不運。第2レグのSS11、そのT字路でスリップ。観客13人にケガを負わせるという事故を起こしてしまった。これでフォードはグレートブリテンラリーからの撤退を発表。メイクスチャンピオンは、この時、プジョーに決まってしまった。
その夜、ホテルで観客が撮ったと思われる映像がBBSニュースで流れた。それは観客をハネたあと、サインツのマシンが止まるというシーンで、それを見る限り、彼のクルマは道路上にストップしていた。その様子から想像するに、事故に遭った観客は、入ってはいけない道路上にいたはずである。でも、サインツは「申し訳ない。私のミス」と言って、走っていった。
マジメすぎるほどマジメ。なのにイギリスでは不運の連続。完全な努力家タイプのラリードライバー、なのにツキのないイギリスなのである。