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カーコラム 「1987年JAF C地区ジムカーナ選手権最終戦 AW11型MR2S/Cセンセーション」
1987年10月、JAF C地区(関東)ジムカーナ選手権最終戦。
その日、戦いの舞台となった富士スピードウェイCパドック(通称Cパド)は興奮と期待に包まれていた。
最終戦を待たずしてシリーズチャンピオンを決めていた「名人」森田勝也選手が、かねてより熟成急との噂が喧伝されていた次期戦闘マシンAW11型MR2S/C(スーパーチャージャー)を持ち込んだからである。
カッティングシートで綺麗にカラーリングされたマシンがひしめくパドック内にあって、ホワイトボディに「名人」、「BRIDGESTONE」、「SILHOUETTE」、「DUCKHAMS」のステッカーが貼られただけのAW11型MR2S/Cは一際異彩を放っていた。
戦々恐々、興味津津のライバル達は、粛々と出走準備を進める森田選手とニューカマーを遠巻きに眺めながら、ひそひそと耳内話に興じていた。
ドラミが終わり完熟歩行が終了すると、張り詰めた空気の中、競技がスタートした。
A1クラスから始まったファーストトライは、やがて注目のAⅡクラスへ。森田選手がすでにチャンピオンを決めているため、消化試合の感は否めないものの、いざトライが始まると戦いはヒートアップ。JAF戦のファイナルを飾るに相応しい激戦となった。
当時、このクラスの主力車種はAE86。JAF戦ともなると、どのマシンもセッティングのレベルは極めて高く、ドライバーの腕も拮抗していた。ワンミスが命取りとなる緊張感の中、コンマ1秒の激戦が展開された。
そして、そのボルテージが最高潮に達した時、「神様・仏様・森田様」と畏怖されるジムカーナ界の鉄人、森田(名人)勝也選手が静かにAW11型MR2S/Cをスタートラインに進めた。
立ち昇る異様なオーラに一瞬会場が静まり返った。静寂の中、富士山から吹き下ろす晩秋の風がホイッスルのような音を鳴しながらコースを駆け抜けたその刹那、スタートフラッグがはためき、軽くリヤを沈みこませたAW11型MR2S/Cが傲然とスタートした。
速い! タイヤの接地荷重を増大させるミドシップ(MR)レイアウトを採用し、ルーツ型スーパーチャージャーで武装した4A-GZELU型エンジンを搭載したAW11型MR2S/Cは、一気に緩い勾配を上り切ると右の高速ターンへと飛び込んで行った。
右の高速ターンを抜け緩い勾配を駆け下ると、そこは180度ターンや270度ターン、360度ターンが待ち受けるインフィールドのテクニカルセクション。見つめるギャラリーの視線が一段と熱を帯びる。
ライバル達の間では、MRはFRに比べてトラクション性能に優れる半面、コントロール性能がシビアなため、テクニカルセクションではコントロール性に優れるAE86が有利というもっぱらの下馬評が立っていた。
その注目のテクニカルセクションに滑り込んできた名人・森田勝也のAW11型MR2S/Cは、まるで絵に描いたような180度ターンを決めると、短い直線を加速して、最も難しい270度ターンへと向かった。
次の瞬間、ギャラリーは度肝を向かれた。AW11型MR2S/Cは、まるでターンテーブルにでも載ったかの如く電光石火のターンを決めたのだ。
ターンの最後でやや多めにスロットルを開け、やや深めのアングルをつけた名人・森田勝也は、微弱なカンターステアをキッカケに、ゴール直前の一本パイロンを舐めるように360度ターンすると、光電管の計測ラインまるで矢のように突っ切った。
場内アナウンスによりファーストトライのタイムが発表されると、ギャラリーが一斉にどよめいた。
なんと、開発途上のニューカマーが完熟セッティングのAE86が叩き出したトップタイムを約1秒も上回ったのだ。
さらにショックは続いた。名人・森田勝也は2本目のトライで1本目のタイムをさらに上回る驚異的なタイムを叩き出し、シリーズ最終戦を締めくくったのである。
翌年からのジムカーナシーンがAW11型MR2S/C一色となった事の顛末、これが後の世に言う「MRセンセーション」である。
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