カーコラム「WRCメモワール 1000 Lakes Rally'90 ラリー直前に左足に大ケガを負ったカルロス・サインツがなんとノンスカンジナビアン初のウィナーとなる」
WRCでは各ワークスチームのプレスコンファレンスがラリースタートの前日にある。それは、1990年の8月、その年のWRC第9戦1000湖ラリーでのTTE、トヨタワークスでのプレスコンファレンスでのことだった。トヨタのエースドライバー、カルロス・サインツがスピーチに呼ばれたのだが、なんと左足を引きずっている。それもかなり痛そうに、である。サインツに何が起きたのだろうか・・・。
実は、彼はその前日、大クラッシュをしていた。最後のレッキと呼ばれるSSコースの試走に行ったのだが、その時、同じようにSSの取材撮影ポイントを調べていたプレスがいた。ところが運悪く、たまたまブラインドコーナーの先に、そのプレスがクルマを止めてしまったのだ。そして、そこへサインツの運転するレッキカーがクラッシュしたとういワケなのである。ナビのルイス・モヤは無キズだった。しかしドライバーのサインツは左足首をねんざしてしまった。
ラリードライバーにとって左足は、クラッチを踏むというより、ラリードライバー独特の「左足ブレーキ」というテクニックを使ううえで、非常に重要だ。アクセルペダルを右足で踏みながら、左足はブレーキをコントロールする。この右足のアクセルと左足のブレーキ両方の使い方でクルマの姿勢をコントロールし、コーナーリングをするからである。
普通のドライビングならば、ハンドルが方向を決めるすべてなのだが、ラリードライビングでは、ステアリングはコーナーリングのきっかけをつくるもので、コーナーリング自体はアクセルとブレーキで行う。だから、絶妙のドリフト、速いコーナーリング、速い立ち上がり加速となるのである。
というわけで、この頃メチャメチャで元気すぎる走りのサインツにとって、もはや勝負はできない状況になっていた。TTEのドクターとトレーナーは、そんなサインツの左足を夜中も氷で冷やし、そしてスタートとなった。本命はランチャワークスのユハ・カンクネン。彼は地元ドラバーだが、まだ、このホームイベントに勝っていない。
この90年の時もSS1はカンクネンのベストタイムだった。そしてSS9までカンクネンのリードが続いた。しかし、彼のホームコース、自分の家があるラウッカのSSで、なんとランチャのアクセルワイヤーが切れてしまった。ラリーをあきらめ切れないカンクネンは、自身がボンネットを開けてウインドの前に座り、ナビのユハ・ピロネンにステアリングをまかせ、手でアクセルを開けてそのSSをゴールしたが、大きなタイムロスでトップの座から落ちたのである。
ラッキーだったのはサインツ。痛い左足を引きずりながらも、これでトップに立った。これがラリー2日目の出来事。この当時は4日間を戦ったが、サインツは追ってくる三菱ワークスのアリ・バタネンやケネス・エリクソンを上手にかわし、ついに1000湖ラリー初勝利を飾るのである。1000湖ラリーは第40回目を迎えていたが、それまでフィンランドやスウェーデンなどスカンジナビアンドライバーが連続して39回も勝ち続けていた。しかしこの時、1000湖ラリーに初めてノン・スカンジナビアンのウィナーが生まれたのだった。
サインツのケガがどの程度だったかといえば、3週間後に行われた次のオーストラリアでも、まだ左足は不自由だった。このことからも、かなりひどい状態での勝利だったといえる。しかしこの優勝もあって、カルロス・サインツは1990年、トヨタにとっても、本人にとっても初のWRCドライバーズチャンピオンに輝くのである。
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