対テロ特殊部隊GSG-9 ”ソマリア モガディシオ空港人質救出作戦 "
1977年10月13日
スペイン領自治区マリョルカ島の首都パルマからフランクフルトに向かう乗客・乗員91名を乗せたルフトハンザ航空のボーイング737型機が、地中海上空で男女4名からなるテロリストにハイジャックされた。
テロリストは仲間のテロリストの即時解放を要求。西ドイツ(当時)に対し、指定したデッドラインまでに要求が受け入れられぬ場合には人質を全員射殺すると通告してきた。
同機はテロリストの指示により3日間に渡って中東の様々な地点での着陸を繰り返したが、南イエメン(現在はイエメン共和国)のアデン(エイデン)に着陸した際に、マスコミに重要な情報を流したとして機長が射殺された。
副操縦士の操縦により再び離陸した同機はソマリアのモガディシオ空港に着陸した。
事態を重く受けとめた西ドイツ(当時)は対テロ特殊部隊GSG9(Grenzschutzgruppe 9/グレンツシュッツ・グルッペ・ノイン)に対し緊急出動を要請した。
1977年10月17日:17時30分
29名からなるGSG9部隊と30名の医療スペシャリストからなる一団は、ルフトハンザのボーイング707型特別機でモガディシオに飛んだ。
到着したGSG9は事態の状況を鑑み、機内への即応突入(ASAP)を決断。GSG9の狙撃手と偵察観測手(スポッター)は、指示された航空機の位置に可能な限り接近すべく即座に移動、同時に突入部隊は侵入の準備を開始した。
1977年10月17日:20時05分
狙撃手と偵察観測手(スポッター)が配置につく。
1977年10月17日:23時15分
突入部隊が極秘裏に接近を開始。その間、救出部隊は、テロリストが釈放を要求した同士達はソマリアに向けて飛行中だと騙して時間稼ぎを続けた。
1977年10月17日:23時50分
航空機の前方100m地点でソマリア兵が火を焚いた。これは、テロリスト達が何を燃やしているのかを確認のためコックピットに集合する事を期待しての作戦だった。この作戦が功を奏し、テロリスト達はコクピット内に集合した。火によって生じた困惑を利用して突入部隊は静かに737型機の後方より接近、翼の真下に到達した。
突入部隊には2名(アルステアー・モリソン中佐とバリー・デイビス軍曹)のSAS(英国陸軍特殊空挺部隊)隊員が同行していた。
彼等はヴェーゲナー隊長から突入の合図がかかると、コクピットの窓めがけて特殊音響手榴弾(スタングレネード)を投げつけた。同時にゴムで表面加工された合金製急襲梯子を航空機にかけ、非常口から強行突入を敢行した。
一人目の女テロリストは即座に排除されたが、二人目の女テロリストはトイレを遮蔽物に反撃を開始したため、隊員にも負傷者が出た。しかし、突入部隊の応戦は二人目の女テロリストに重傷を負わせ、戦闘不能な状態にした。
コクピットではテロリストのリーダー "キャプテン・マームド " が突入部隊の先頭をいった隊員のS&W M36チーフ・スペシャルから放たれた弾丸を数発食らったが、弾丸のマン・ストッピングパワーが劣っていたため彼を抵抗不能にする事はできず、2個の手榴弾を投げ込むチャンスを与えてしまった。
しかし幸運にも2個の手榴弾は座席の下に転がったため、爆発の威力は遮られる結果となった。リボルバーを使用しての無力化に失敗した隊員は、H&K MP5で即座に "キャプテン・マームド " を排除した。ヴェーゲナー隊長のS&W チーフ・スペシャルから放たれた銃弾が残りのテロリストの頭部を貫通。
すべてのテロリストは排除及び無力化され作戦は終了した。その間僅か7分。すべてのテロリストが排除される以前に、突入部隊は機体後部から人質を脱出させていた。
作戦完了後、即座に期待の爆発物チェックが行われた。突入時の混乱により3名の人質が負傷したものの、死者はゼロだった。
1977年10月18日:0時12分
ヴェーゲナー隊長は西ドイツ政府に対し、突入作戦の成功を意味するメッセージ ”スプリングタイム " の報告を行った。
1977年10月18日 03時13分
GSG9を収容した専用機が西ドイツのボンに向けモガディシオ空港を離陸。
この作戦の特筆すべき点は以下の3点。
①特殊音響手榴弾(スタングレネード)が初めて実戦で使用された作戦
特殊音響手榴弾(スタングレネード)とは、1960年代にSAS(英国陸軍特殊空挺部隊)が開発した非到死性の特殊手榴弾で、爆音と閃光を発することで室内にいる人間の視覚、聴覚および平衡感覚を一時的に麻痺させることが可能となる
②突入から作戦終了まで僅か7分間の電撃作戦
敵の排除と同時平行的に人質の救出を進行させる理想的な突入・救出プラン。
③H&K MP5 SMGの実戦における優秀性