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カーコラム「ツインカムのトヨタ、ターボの日産、黄金の80年代の幕開けを飾ったターボセンセーション "日産HGC211型スカイラインGT-ESターボ"の想い出」
HGC211型スカイラインGT-ESターボである。ターボである、たーぼ、TURBO!
恐らく、ある特定の年齢層以外の方には、なぜこんなにも「ターボ」で興奮しているのか全く理解できないであろう。
国産初のターボエンジン搭載車となった430型セドリック・グロリアでターボ時代の扉を開いた日産が、フラッグシップカーであるスカイラインにその心臓を移植したのは昭和55年、1980年の事だった。
昭和52年にフルモデルチェンジした5代目スカイラインは、その名をスカイラインJAPANと称し、ファンからは「ジャパン」の愛称で呼称された。
当時は、厳しい53年排気ガス規制の真っ只中。日産は独自の排気ガス浄化技術NAPSでこれに対応したが、エンジンのパフォーマンスを維持する事は困難で、パワーダウンを余儀なくされた。
それに加え、車体の大型化による車重増加が重なり、スカイランのメインコンセプトである「走り」のイメージからは遠く離れつつあった。
そうしたスカイラインの凋落に対し、トヨタは同時期のCMにおいて「名ばかりのGT達は道をあける」という嘲笑とも挑発とも受け取れるコピーで日産を揶揄した。
当時、トヨタはツインカム(DOHC)エンジンという強力なキラーユニットがあったが、日産は、旧来のSOHCエンジンのみしか持ち合わせていなかった。
日産は、その打開策として既存エンジンにターボチャージャーを装着し、排気ガス規制により低下したパワーを復活させるという戦術に出た。これは、日産自動車前社長のカルロス・ゴーン氏が提唱した再建案「日産ル・ネサンス・プロジェクト」よりも画期的且つ刺激的なものであった。
かくして、ツインカムのトヨタに対してターボの日産という対立イメージが確立した。
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