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カーコラム「日本初のターボエンジン搭載車は "日産430型セドリック"だった!」

 1979年(昭和54年)12月、日本初のターボ搭載車第一号である日産の430型セドリックがデビューした。

 SOHC6気筒2000ccのL20E型に、ギャレット・エアリサーチ社のターボチャージャーを装着したL20ET型エンジンで、145PS/5600rpmの最高出力と、21.0kg-m/3200rpmの最大トルクをそれぞれ絞り出した(ともにグロス)。

 因みに、このエンジンは今思えば「ポン付けターボ」いわゆる「ボルトオンターボ」に近い感じの仕上がりだった。L型エンジンは元々頑丈なエンジンなので、厚手のガスケットをかまして圧縮比を落とし、過給圧を低めに抑えればそう簡単には壊れない。とりあえずターボを装着するには最適なベースユニットだ。もちろん、インタークーラーも装着されていない。

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 何しろ、この当時は監督官庁である運輸省が厳しくてスポーティーなモデルでは認可が下りなかったのだ。さらに、デビュー当時は第二次石油危機の真っ只中。時代の流れは省資源・省エネに向かい、世の中的に高性能=悪的な空気が蔓延していた。そこで日産は「廃棄していたエネルギーを再利用した、省資源と高性能を両立させるデバイス」とアクロバティックなロジックを展開することでターボを正当化、夢の省エネデバイスとして広く世に認知させたのである。

 そのため日産は敢えてアッパーミドルクラスであるセドリックに日本初のターボエンジンを搭載した。

 430系にはSOHC6気筒2800ccのL28E型を搭載車もあったが、L20ET型は2000ccの排気量ながら、上級クラスのパワーユニットに迫るパワーとトルクを発揮した。まさにターボマジックである。

 デビュー当時、430型セドリック200Eをテストドライブした。200EはOD付きフルロックアップ4速ATと5速マニュアルの二種類のトランスミッションが用意されていたが、試乗車は5速マニュアル車だった。

 市街地の一般道ではいま一つターボのパワーフィーリングが体感できなかったので、用賀から東名でへと乗り入れた。

 東名高速に入った途端L20ETターボエンジンのパワーが炸裂した。特に80kmから100kmからの加速は同クラスの国産車とは段違い。430系は大柄なボディながら比較的軽いこともあり、4速あたりでもアクセルを踏み込むと、しばしのラグの後、まさに一気呵成の加速を見せる。現在のターボ車から比較すれば、決して怒涛の加速とは言い難いが、NAのL20E型エンジンとは全く次元の違う加速感だった。

 惜しむらくは、タービンの性格がおとなし目で過給圧も低いのためターボラグが大きく、アクセルレスポンスは決して褒められたものではなかった。マニュアルトランスミッションのギヤ比がワイドなオープンレシオだったこともあり、5速マニュアルよりも4速ATの方がエンジン特性にマッチしていたように思う。

 さらに、ボンネット内部のベンチレーションに難があり、ターボが発する熱気が籠りやすく、熱ダレによるパワーダウンが早かった。これはインタークーラーが装着されていないことにも関係している。

 すべては当時のレベルなので現代の基準から見れば未完成な部分ばかりが目立つが、オイルショックという大逆風の中、日本初のターボエンジン搭載車を世に送り出した日産の功績は高く評価されるべきだろう。

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鳴海邦彦 / KUNIHIKO NARUMI OFFICIAL
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