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カーコラム「メルセデス・ベンツW201型190E2.3-16の思い出 Part.2」

 メルセデス・ベンツW201型190E2.3-16(以下2.3-16)は、メルセデス・ベンツ初のコンパクトセダンW201型190Eのスペシャルモデルとして1984年よりラインナップに加えられた。

 メルセデス・ベンツは、2.3-16の圧倒的パフォーマンスを世界に知らしめるべく、正式リリース前年の1983年、南イタリア・ナルド・サーキットにおいてFIA承認の世界速度チャレンジを敢行した。

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 トランスミッションのギヤ比以外は市販車と全くの同一スペックという2.3-16のプロトモデルは、5万kmを平均時速247.939km/hで走り抜き、見事に世界記録を更新した。

 翌1994年にはドイツ・ニュルブルクリンクサーキットの新コースオープンに合わせ、2.3-16によるエキシビションレースは開催された。

 その記念すべきエキシビションレースを制したのは、当時売り出し中の若手F1ドライバー、アイルトン・セナであった。セナは並みにいるスタードライバーを見事に抑え、ブッチ切りでの優勝を飾った。

 この勝利により、セナの速さは世界中に知れ渡る事となった。また、この時期、セナ自身も愛車としてシャンパンゴールドの2.3-16に乗っていた。

 メルセデス・ベンツがこのクルマを開発した真の目的は、当時ドイツ国内で異常な盛り上がりを見せていたレース・DTMを完全制覇することだった。

 メルセデス・ベンツは何しろモータースポーツが好きなメーカーである。しかも出るからには必ず勝つというのが信条。レースに勝つためにはなり振りなど構わない。勝つためにはプライドをも捨てる。そのため、2.3-16に搭載するパワーユニットの開発を英国のコスワース社に託したのである。

 最短で勝利を得るためには、莫大な費用と時間がかかるパワーユニットの開発を経験豊富なチューナーに委託するのがベストな選択、当時の首脳陣はそう判断したのだろう。餅は餅屋というわけだ。

 かくして、かつて第三帝国のV2ロケットがドーバーを超えロンドンに飛来したが如く、メルセデス・ベンツ製のM102型パワーユニットは英国コスワース社の匠の元へと運びこまれたのである。



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鳴海邦彦 / KUNIHIKO NARUMI OFFICIAL
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