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【基礎情報集】日本版CIA設立へ向けて(インテリジェンス・情報機関の構築)
国家防衛にあたって重要なものは何であろうか。
国軍、軍人の数、軍隊を縛らない憲法、最新兵器、反撃能力、核etc……
この他にもさまざまな要素が挙げられることだろう。
しかし、我が国において軽視されがちな、非常に重要な要素がある。
極論を言えば、"それ" さえあれば敵国を無力化することも不可能ではない。
我が国は大東亜戦争に敗北したが、"それ" は敗戦の大きな要因であるとも言える。
何であろうか。
『情報』である。
どれだけ武力を揃えようとも、諜報・防諜が馬鹿ではどうしようもない。
※諜報…他国の機密情報を入手する活動。スパイ行為。
防諜…他国の諜報員をブロックする活動。スパイ防止活動。
かつ、諜報で得た情報を精査して的確に扱う能力もなければ意味がない。
戦前~戦中、我が国の諜報員は優秀だった。
真珠湾攻撃に際しても真珠湾に停泊する艦船や戦闘機の数、気象情報(当時は機密)、魚雷防御網の有無などを把握して打電、ソ連の対日参戦についてもヤルタ密約を把握して打電、その他さまざまな成果を上げている。
しかし『情報』を活かす能力が著しく欠如しており、真珠湾攻撃では戦艦8隻の沈没・大破、航空機300機以上の破損・損傷、2,300人以上の戦死という戦果を挙げたが、ヤルタ密約については情報を握り潰し、対日参戦を決定しているソ連に対米講和の仲介を依頼し続け、開戦についても総力戦研究所が「長期戦になれば日本必敗」と報告したが楽観的に長期戦へ突入、敗戦。
ハル・ノートを叩きつけられた以上は戦争以外の選択肢はないかもしれないが、それならばなんとか短期決戦、一撃講和に持ち込めるシナリオを描くべきだったはずだ。
また防諜もあまりにお粗末で、海軍甲事件(暗号が解読され山本五十六が撃墜された)、ゾルゲ事件(7年以上に亘ってコミンテルンスパイが国内で活動)、海軍乙事件(参謀長搭乗機が不時着時に機密文書を紛失、米軍の手に渡った)、零戦の鹵獲(アリューシャン列島に不時着した機体を破壊せず放置、鹵獲・分析され戦況逆転)など。
※海軍乙事件と零戦の鹵獲は「防諜」とは少し違うかもしれないが、「情報を守る」という意識の欠落を表す代表例である。
また、当時のアメリカもスパイの影響を受けていたことが明らかとなっている。
ヴェノナ文書(機密解除された米機密文書)ではルーズベルト政権などに数百人単位でソ連のコミンテルン(共産主義インターナショナル)スパイが存在していたと明らかにされており、ハル・ノート原案を書いたハリー・デクスター・ホワイト財務次官補もコミンテルンスパイであったとされる。
※ヴェノナ文書の機密解除は冷戦終結よりも後であり(つまり冷戦用プロパガンダの類ではない)、細部まで完璧に正であるとは言わないが、大枠としては一定の説得力を持つものと考える。
5,000ページ以上の文書を、入手手段まで公表しながら、検証に耐えられるだけのクオリティで偽造するなど、現実的に考えて不可能だ。ましてや、ソ連側にも記録文書が存在するなかで(一部は公開されている)。
1995年から機密解除されたヴェノナ文書は、近年、ようやく我が国のメディアのネット動画に登場するようにはなったが、一般の認知はほぼないに等しく、またヴェノナ文書に基づく歴史の見直しもまだ一部で始まったばかりである。
ソ連は日米開戦を望んでおり、そのスパイが入り込んだ政権が提示したハル・ノートについて、存在を知った共和党のハミルトン・フィッシュがこう書き残したことは有名な話だ。
"あの戦いの始まりの真実は、ルーズベルトが日本を挑発したことにあったのである。彼は、日本に、最後通牒を突き付けていた。それは秘密裏に行われたものであった。真珠湾攻撃の十日前には、議会もアメリカ国民をも欺き、合衆国憲法にも違反する最後通牒が発せられていた。(略)ルーズベルト大統領はわれわれを欺いて、(日本を利用して)裏口から対ドイツ戦争を始めたのである。"(P24)
"ルーズベルトもスチムソンもハル・ノートを「最後通牒」だと考えていたことは明らかである。スチムソン自身の日記にそう書き留めてある。関係者の誰もが日本に残された道は対米戦争しかないと理解していた。"(P248)
"日本はわが国との戦いを避けるためには、ほとんど何でもするというような外交姿勢をとっていた。(略)近衛(文麿)首相は和平を希求していた。ワシントンへでもホノルルへでも出かけて行ってFDRと直接交渉することを望んでいた。わが国の要求に妥協し、戦いを避けるための暫定協定を結びたいと考えていた。しかしルーズベルトは近衛との会見を拒否し続けた。日本に戦争を仕掛けさせたかったのである。そうすることで対独戦争を可能にしたかった。"(P250~251)
"たしかに日本は中国との間で宣戦布告なき戦いを四年にもわたって続けていた。しかしソビエトも、日本と同じようにフィンランド、ポーランドそしてバルト三国に侵攻しているではないか。わが国はそのソビエトには何も言わず同盟関係を結んだ。これに比べ日本は満州を除く中国そしてベトナムからの撤退も検討していた。南下政策は採らないという妥協の準備もあった。あれほど強力な国である日本にこれ以上の条件をわが国は要求できただろうか。天皇裕仁も近衛首相も和平維持のために信じられないほどの譲歩をしようとしていたのである。"(P252)
"天皇は道義心にあふれていた(a man of honor)。そして平和を希求していた。彼を取り囲む軍国主義者を牽制していた。日本との戦いは不要であった。両国とも戦いを望んではいなかった。わが国は日本と戦って得るものは何もなかった。中国はアメリカの友好国であったが、その中国でさえも結局は共産主義者の手に渡ってしまったのである。"(P252)
(ハミルトン・フィッシュ 渡辺惣樹=訳)草思社文庫
「ルーズベルトの開戦責任」の原書(FDR: The Other Side of the Coin)は1976年に出版されたもので、戦争プロパガンダが薄まり、アメリカ建国200年を迎える時に、87歳を迎えたハミルトン・フィッシュが、世を去る前に真実を書き残したものである(1970年代は冷静デタントの時期でもある)。
それを2014年、渡辺惣樹氏が翻訳して出版した(2017年に文庫化)。
本記事を書くにあたり丸々通して読んだのだが、その半分以上が我が国に直接関係しない内容であり、ハミルトン・フィッシュは決して日本を擁護するために本書を書いたのではなく、「愛すべき祖国が二度と同じ過ちを犯さないように」と書いたことがわかる。
このような大東亜戦争を経験した我が国こそ『情報』を重要視すべきと思うが、残念ながら、現在の我が国にはアメリカのCIAやイギリスのMI6のような対外情報機関が存在しない。
そこで本記事では、以下の目次に従って「日本版CIA」の設立を目指すうえで押さえておくべき情報を記録する。
是非ご参考になさってほしい。
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