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旅とデータと日本の課題 (2/5) 日本の現在地

 客観的なデータで、日本の現在地を示しておこう【図表1】。国家の成功の定義は複数あるが、20世紀に重視された経済の「成長」と21世紀に注目が高まっている「幸福」という2本柱は外すことができないだろう。日本の経済は微成長(平均年率1%未満)という停滞が長らく続いているが、それだけでなく国民の幸福度においても年々低下し、両指標において世界の真ん中以下の国になってしまった。

図表1


 日本が成長も幸福も失いつつあるのはなぜだろうか。これらを2軸として平面で各国の分布を眺めて考えてみよう【図表2A】。
 個人や企業の物語ではよく語られる栄枯盛衰のサイクルが国家にもあてはまりそうではないか。①困難な状況(左下、どんぞこ)を打破するために奮起し、②発展・成長を遂げ(左上、がつがつ)、③成功の高揚感(右上、のりのり)とその果実を享受しているうちに④成長力を失い(右下、まったり)、他国に追い抜かれて気分も下がり①(左下、どんより)どん底へ転落する。この盛者必衰の物語は人間の性(さが)によって駆動されており、免れることは容易ではない。

図表2A


 ここ十数年の日本のデータを見ると、見事にこのサイクルの享楽・凋落期にあてはまっていそうである。成長を犠牲にして幸福を増加させた時期(2011年頃まで)を経て競争力を失い、ヘアピンカーブを曲がってどん底へまっしぐらという軌道を進んできた。今、近隣を見渡せば、かつて栄華を誇った斜陽国(ポルトガル、イタリア、ギリシャ)の一団に合流していることに気づく。
 日本は、一体いつ再成長へのモード転換を図るのだろうか。落ちるところまで落ちなければ変われない、というのも人間普遍の真理ではある。だとしても、自己改革に必要なのは、落ちた、という「自覚」である。窮鼠が猫を噛めるのは、窮している自覚があるからに違いない。そして自覚というのは、現実に向き合う覚悟によって作られるものであり、作られるべきものだ。

 私自身もコンサルタントや組織リーダーとして幾度となく改革に携わってきた(失敗も味わってきた)経験から言えば、ぼろぼろになった組織というものは、突然だめになるわけではない。少しずつ、茹でガエルのように劣化、弱体化し、その自覚が遅れた場合に、崩壊せざるを得なくなる。手遅れにならないためには、劣化の現実を早急に認め、改革に転じるしかない。その“不都合な真実”に向き合わせることはリーダーの役割であり、参謀・知識人の責任なのだと思う。(楽観的にやりすごすのは未来への無責任といえる)

 このグラフが明らかにしている現実に向き合おう。日本はもう変わらなければならない局面にある。崩壊への崖っぷちにまで追い込まれてしまっているのだ。

図表2B


 成長に転じる改革は簡単なものではない。どんより、と、がつがつ、ではモードがまるで違い、そのモード移行が鍵になる。もっと言えばそもそも、モードというものによって成長も幸福も作られるのではないか。唯心論まで極端にならずとも、気持ちによって結果が左右されるというのは経験的にも十分確からしい因果だろう。
ただし、それをそのまま精神論として、「お前ら、がつがつしろよ」、と言えばうまくいくかというと、そんな単純なものでもない。モードというものには外部要求だけでなく、動機、慣性、社会制度、経済政策、国民性など多くの因子が影響しており、その影響の仕方(軽重や因果)を理解しておく必要がある。この考察を深めるのに役立つのが、次章で紹介する「国家の成功要因・相関マップ」である。

 長い文章を書いてはみたが、重要な情報は次の一枚のチャートにすべて詰まっている。
(3 成功相関マップ につづく)


ーーー補足ーーー

(【分析注釈】成長力という目的変数:ここでは経済成長指標として、一人当たりGDPの年平均成長率を用いた。一人当たりGDPの絶対値を使った分析もよく見られるが、一人当たりGDPは過去の努力の蓄積としての経済ステージともいえる。それよりは意思によって可変可能な成長力を状態評価指標として用いている。(経済ステージは主観的幸福へ寄与する物質的豊かさ因子として解釈)。目的変数の設定は極めて重要であり、再定義・進化されることを前提として可塑的な分析プラットフォームにしている)

小良国というビジョン:「幸福」および「人口当たりGDP成長率」を目的変数に置いたもう一つの理由は、GDPや人口といった規模そのものの指標を追うべき時代は終わったからである。食糧問題やエネルギー問題を始め、地球という場の資源の有限性が見える規模まで文明は大きくなったし、日本はそもそも地理的にも資源的にも小国でしかなく規模では勝ち目がない。規模自体が質を担保していた時代も(大国が小国を力で制する時代はもう)終わっている(と信じたい)。実際に、人口規模やGDP規模は、成長や幸福への相関がマイナスであることも分かっている。日本は奇跡的にGDP規模で世界を制した時代(昭和)があったが、その未練で日本が負うべき本来の目的変数を見誤らないように気をつけたい。日本が避けるべき衰退とは縮小でなく劣化である

実感との一致:この日本の辿った道について、直接お話を伺った30代から70代の日本人の方から強く理解、共感を頂いている。たしかにこの通りだった、と。来た道の認識は揃った。問題は、これからどこに向かうか、だ。)

再成長しない選択:成長が絶対不可欠というわけではない。ここで示した成功サイクルは一般的なものであるが、サイクルの外に抜ける道はあり得る。かつてのブータンやメキシコのように成長中毒から解脱して幸福を実現する文化は存在する(安逸的幸福。ノルウェーもそれに近づいているかもしれない)。しかし、日本は成長を捨てた結果、成功サイクルの宿命通りに幸福を失ってきているのが現実である。成長を手放すのは、よほど強い価値観転換(解脱)ができてからにしたほうが賢明だろう。



  安逸化以外にもシナリオはあり得るが、望ましいものとは言い難い。
 1 安逸  経済成長に依存しない持続的幸福。絶対的な価値観が必要
 2 盛衰  成功の基本サイクル。困難→奮起→成功→享楽→劣敗→困難。
 3 絶望  ゆでガエル(正常性バイアス)の凋落軌道で、奮起の機を逸する。日本の目前にある危機
 4 暴走  知足を忘れ、規模成長だけが目的する。幸福犠牲を無視して無限拡大し持続性を失う。昨今の資本主義、テクノロジーの加速主義のリスク。 
 2024年の日本は、持続的安逸への転換の時期は逸し、敗北感を強めている。この先の分岐は、放棄するか、奮起するかである。定石通りに、盛衰サイクルに戻す奮起を第一戦略としたい)

可変因子への注目:低迷原因の考察となると、デモグラや地政学、周期論といった、影響不能な外部要因説が幅を利かせがちだ。しかしその正誤に関わらず、外的要因説は、状況改善への主体性を奪う害がある。いわゆる他責の文化を助長するのである。
 私が国民性、組織文化、人間のマインドセットに関心を寄せるのは、そこにこそリーダーとして一番大きな介入と貢献の余地があると思うからである。)

正常性バイアス:また凋落というのはその時代を作った当事者にとって“不都合な真実”であるが故に、データを疑うなどの事実否認から入りたくなるというバイアスは生じる。バイアスには自覚的に対処し、現実を受け入れることから始めたい)

(3 成功相関マップ につづく)

(分析しようと思った個人的な背景は↓)


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