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【#一日一題 木曜更新】 ツールdeライティング
山陽新聞の「一日一題」が大好きな岡山在住の人間が、勝手に自分の「一日一題」を新聞と同様800字程度で書き、週に1度木曜日に更新します。
ツールに翻弄されている。
ここ2ヵ月ほど、生成AIを使って記事作成を自動化しようと試みている。自分で書くライトなブログやビジネスメールなら難なくそこそこの文章が出来上がるが、クライアントに合わせたものにしようとするとこれがなかなかどうして。
やはりここはインターネットのお世話になる。生成AIに詳しそうでかつイケていそうな人の有料記事を数本購入してヒントをもらう。主に複数のツールを比較している記事を読み読みした。しかし、わたしの検証とは明らかに違う部分もあって???となる。
ああああああああ。
そうか、AIだもの。きみはAIだもの。
使い手によって導き出される答えが違うのだ。プロンプトと呼ばれる指示書の言葉が違えば、AIが出す回答も違うのだ。賢いあまりにこちらの言葉尻を捉えることまでして、場合によっては過分な情報をインターネットの海から拾ってきてしまう。試しに「元情報にないものは使わない」という趣旨の指示を出してみるが、「申し訳ありません」と謝られた上で再びしれっと嘘をつく。
生成AIと格闘して、30年前にAdobeのillustratorを始めて触ったときのことを思い出した。
先輩デザイナーは「Illustrator、これは鉛筆」と私に言った。このアプリケーションは頭の中の考えを清書してくれるもの、それだけのもの、頼り過ぎるなと。
illustratorを使いこなせば文字のレタリングをしなくて済むようになり、トンボを引かなくて済むようになり、営業スタッフが申し訳なさそうに持ってくるレイアウトの変更に時間がかからなくなった。だけどillustratorは魔法のペンではなく、やっぱりツールだった。自分の頭の中にデザインがなければ、画面に落とすことはできなかった。
Macintoshの中にあるフォントを適当に並べただけでタイポグラフィぽいデザインができた。しかしツールありきで作ったもの浅薄なことといったら。そういうデザインはたいてい、営業やクライアントの前で説得力のあるコンセプトは出せなかった。そらそうだ。
作業の自動化は大歓迎。だけどAIに頼り過ぎたであろうライティングの納品物を眺めながら、生成AIも使い手にとっての頭脳ではなく、単に「ツール」であってほしいなんて考えている。
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