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対話する哲学教室【嘘をつくのは、いつも悪いことか】ヨノナカ実習室
人間は、噓をつく。
悪い嘘、良い嘘、守る嘘、受け入れる嘘、その場しのぎの嘘、優しい嘘、いじわるな嘘、ジョークな嘘。
嘘は相手を見て使うのか。相手との関係性を探っているのか。縁を壊したくないから使うのか。縁を壊したくて使うのか。
哲学教室の議論に、解答・正答はありません。
でも、反論はOK。私が印象的だったのは、ある参加者さんの「家族の縁は簡単に切れるものではないから嘘をついてきた。でも、家族以外の友人との関係は壊したくないから嘘をつかない」という考えです。私の考えは真逆で、友人関係は自分の立場と環境如何で流動的になるものだととらえています。何かの拍子に縁が切れたらそこまで。なので多少の嘘で関係が危うくなってもしょうがないのでは?と。
だからといって、関係を幕引きしたい相手に、わざわざ悪意のある嘘や誰かを傷つける嘘をつこうとは思いません。難しいですね。
しかし、本日の資料本「中学生からの対話する哲学教室」に記されている「事例」には、どうやら色恋沙汰も隠れている模様です。
恋の相手が絡んだ時の、嘘。
恋する相手に会いたいがための嘘は、罪か否か。第三者に嘘をついてまで恋の相手に会いに行ったあと、そのお相手は「嘘をついてまで私に会いにきてくれた」と感激するのか。それとも「私に会いにくるために、簡単に嘘をつく人なのか」と幻滅されるのか。
言葉の善悪についての解釈には、哲学者ベンサムやミルの「結果説(嘘をついた結果、どのような状況になったか)」と、カントの「規則説(道徳的な義務は結果がどうあれ実行すべき)」という思想に基づいて延々と議論されているそうです。(憲法や法律についてですね…長くなるので割愛)
興味深い。哲学今日に集まった面々、当然、ベンサム・ミル派とカント派に分かれます。私はベンサム。も、ベンサムについていく。だってしゃーないじゃんてこと多いではないですか。そんな結果論で生きていきたいものですが、世の中はもしかしたらカント派が多勢なのかもしれないとも痛感しました。
私はどうしたって嘘をつきます。なんなら嘘ばかりで生きている。家族を守るために、自分を…と、ここで気が付きました。
私は「自分自身に嘘をつかないために他人に嘘をついて生きている」。
なんなん。
ああ、胸が痛いです。解答は出ないし出さないのが哲学教室ですが、大いなる発見は毎回ありますね。
フランスには義務教育から「哲学」の授業があるそうです。何でも子どもの授業に組み込めば解決するわけではありませんが、「人の考え」「自分と違う考え」を日常的に受け入れて、世の中には「答えのないこと」の方が断然多いのだと知りながら成長するのは、とても良いのではないかと。
白黒つけずに生きていくラクチンさと面白さを、子どもたちに伝えたいものです。
★★★
オンライン・オフラインの両方でヨノナカ実習室に集まった面々で「嘘」について延々と対話をしました。実習室の主催は、スミカオリさん。
ファシリテーターは、岡山在住の「てつがくやさん」松川えりさん。
イベントレポートを書きたい身としては、本当なら現場へ行きたかったのですが、対話はオンラインでも、なんら問題ありませんね。写真撮影ができないのだけが、心残りでした。
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