悔し涙が原動力
最近の所感をここに。
新しく3か月くらいにわたるプロジェクトに挑戦中です。多くを学ぶことと、自分で決めた締め切りにコミットする道中で、アタマが働く働く。
だって、間に合わないわけです。
でも、クオリティを下げるわけにもいかない。
そういう言葉にできていたりできていなかったりする事柄の優先順位があって、それを気分の上がり下がりじゃなくて実現する。
この見えない部分、年収と比例しない部分、どうやりきれるのか?ですよね。
昔々、だって、「ヒロタさん(今の年収)0500万でしょ?」的なことを言われたことを思い出しました。
企業名は出さないけれど、「うちは○○(外資系IT業)の方が1200万とかでもやめてチャレンジしに来る」と。
そのかたはRから始まる日系企業でゴリゴリ結果出されてその会社に移った方。
そういうビジネスアスリート集団が多数在籍する会社でした。
その中でも涼しい顔して超圧倒的な結果を出した方がいて、その方の背中を見ると、今の自分のやることが明確になります。
そして、その方も今お世話になっているコンサルタントの方にも、「今の方向性あってるよ。」と言われているのが救いで在り、励みでもあります。
「悔し涙」の過去。
過去、何かで悔し涙を流したことを思い出します。
さらっとブログに書くことがあるのは、「六本木の夜。」
自分が公務員で働いていた時に、超イケイケな六本木プレイヤーがおおくて。
その当時好きな子と私の会話。
「こないだ六本木でナンパされて、どこの会社?ってきいたら、ジーエス(GS、ゴールドマン○○クス)」
「そうなんだー。あぁ、おれもGS(学校の先生)じゃん!!」「俺もクラブで言ってみるわ!!(空笑い)」
当時のGSで日本に来てるアメリカ人って、そりゃ稼いでますよね。。。。
なんていう年収関係の話は大人になってからの悔しさエピソードでしょうか。
大学生時代は、部活の最後のリーグ戦。勝てば上入れ替えという超お育ちのいい大学との試合でした。相手の育ちの良さに「くっそー」と思っていたわけではないけれど、ノウハウからしても応援とかからしても、「厚み」は自分の大学にあると思っていただけに、テニス本筋以外のところで雰囲気飲むとかで勝ち負け分からないなぁというところ。前年度に勝ち上がってきた大学だったので、テニスは強いんですけどね、チーム戦になると分からないところが勝ちたかった。。
あの頃振り返って、青春、きちんとしていたな。。コロナや震災のような天変地異にも見舞われることなく、大学生という時代を1つのまとめに変えることができました。
今は、当時を懐かしむとともに、「大学時代」を天変地異に見舞われた中で終えた人たちがある一定数から相当数いるという現実を知りつつ、こちら側の「大学時代」を押し付けてしまうことの無いように気を付けています。
あのリーグ、あの一戦。あの瞬間。戻りたい瞬間です。
感情が強く揺さぶられた瞬間は、強く記憶に残るそうです。
教育系事業を営み、自分自身の表現をより良いものとするために、いくつもセミナーに参加しています。
自己研鑽の過程で出会った話で、「感情設計」という視点があります。
マインドコントロールではないです。参加者(受講生)の学びを最大化するために、どのような感情を提供できるようにアプローチするのか?といった視点です。4日間くらいセミナー会場とホテルとを往復するのですが、それはもう濃密な時間でした。
そんな感情揺さぶられる体感を自分のセッションの中で形成したい。
今の仕事の中の夢です。
悔しい想いは自分にとって結構な原動力でしょう。
そんな今だから、過去の悔しさからも気づきを得て、感謝の念が湧きます。同時に、当時迷惑をかけた学友には申し訳ない気持ちだし、親しく付き合ってくれた学友には、やはり感謝の気持ちだし、「もっとやりたかったな」というもっともっとの気持ちもあります。
24時間365日、人生100年青春していたらシアワセだ。
今回も最後までお付き合いくださりありがとうございました!!
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