20190129 日記

「生きててもしょうがない」と「死んでもしょうがない」が両方自分の中にあって、それぞれの割合が高くなり、他の何かが入り込む余地が無くなってくると無気力になってくる。無気力になると喜怒哀楽の感情が薄れて、やる気が無くなってくる。今の私はまだこうして日記を書ける分、完全に無気力という訳でもない。でもこれを書かなくなったり、書けなくなったりする事が続くと無気力になってしまうのかもしれない。少々無理にでも何かを続けるのは良い事なのか悪い事なのか。私には物事の匙加減が分からない。

この日記は1月30日に書いている。昨日書かなかったことで、今日の私の中に無気力への恐怖といつもの強迫観念が溢れた。そして無気力の中でも滲み出てきて、私を揺さぶる「寂しさ」を私はコントロール出来ない。

昨日、近くまで現れたものに対しての恐怖や怒り、私の身勝手な不快感に私はどうして良いのか分からず、また取り乱した。フラッシュバックみたいになった。

同族嫌悪というのとも違う気がする。この感覚を言い表す言葉は何だろう、と考えた。好きなのだけれど、如何ともし難い嫌悪感が拭えなくなった。時には嫌悪の方が勝ることもある。同族嫌悪の類なのかな…

以前「好き」とは何かを聞かれた事がある。その時に私は聞いた内容から相手に幼さを指摘した。では今の私はどうなのか。十分幼い。幼さしかない。

何故なら今の私のこの状態、この感覚を言い表すたった一言が「片思い」だからだ。