大喜利について考える 6.お題の仕組みと良問・悪問について
大喜利における”お題”とは何か。
お題とは、回答者が面白い回答を出すための”問いかけ”なのだが、
回答者はその設問に対し、面白い回答を出す。
面白いという事は概ね”間違った答え”を出す事と考えて差し支えない。
大喜利におけるお題は回答者が面白い回答を出すための設問であり、
クイズと違って正解は存在しなくても構わない。
大喜利と言う前提下における問いかけはどんな問いかけであろうと
お題として成立し得ると言っても過言ではない。
また、正解がある設問であっても一向に構わない。
大喜利はその設問に対し、正解ではなく面白い回答を求めているからである。
極端な話、東大の入試試験でもお題にもなり得る可能性はある。
(フジテレビ721『チャンネル北野』では「マイクロソフトの
入社試験に挑戦!」という大喜利企画が行われている)
では、本当にどんな問いかけでも構わないのかと言うと、
そこには答えやすさ(答えにくさ)という課題が存在する。
例えば東大の入試問題に大喜利として答える事は可能だが、
それが良い問題であるかどうかは別の話なのである。
では、良問とは一体何か?
ここでクイズにおける「良い問題」と「悪い問題」について解説しておく。
クイズにおける問題は正解に対しどういう道筋で回答者を導くのかが
焦点となる。「良問」はその道筋が明瞭であり、また文章としても美しく、
これまでにない切り口から正解を説明しているものが「良問」とされる。
逆に「悪い問題」というものは、まず正解を絞り切れていない。
クイズの場合、問いかけの焦点がぼやけている文章だと、正解が複数に
なってしまう場合が出てしまう。
また、文章としても精査されておらず、違和感が残っている場合にも
「悪問」と見做される。クイズは音読される事が前提なので、文章の
リズムにも注意が必要とされるのである。
それでは、大喜利における「良問」「悪問」とは、どのようなものか。
大喜利における「良問」は、すなわち回答者と観客が想像しやすく
何通りも回答を出しやすいお題であり、「悪問」はその逆で
回答者が想像しづらいお題や、回答の種類が限られるお題が当てはまる。
では、想像しやすいお題とはどのようなものか?
それは、「適度な限定条件が付加された」お題である。
以下に例を挙げて考えてみよう。
お題A「何か面白いことを書いて下さい」
このお題は限定条件が限りなく0に近い。
「面白いこと」という丸投げの限定条件だけで想像を膨らます事は
普通の人間では不可能に近い。ここに前回触れたフレームを加えてみよう。
お題B「『普通ではない学校』を文章で表しなさい」
お題Bはお題Aに対し「普通ではない」「学校」というフレームが
付加された。これにより、回答者は「学校」というフレームの中において
「普通ではない事」を考えるという方向性を与えられ、回答者は想像を
働かせやすくなった。だが、文章としてはいささか堅苦しい。
お題C「こんな学校はイヤだ!どんな学校?」
問いかけの方向性はお題Bとほぼ同じだが、「イヤだ」という感情表現が
付加される事で想像へのリアリティが増した印象を受ける。
そして、答えを見る側にとっても「イヤかどうか」という物差しで
回答を見れば理解しやすいというメリットもある。
整理してみると、状況を想定するための『フレーム』と
回答の指針となる『方向性』が存在する事で、お題は成立する。
では、さらにここに限定条件を足してみよう。
お題D「私立スパルタ学園の校長が朝礼で言ったお言葉とは?」
『フレーム』は「学校」から「私立」「スパルタ」「校長」「朝礼」と
かなり絞り込まれている。
『方向性』は「スパルタ学園」である以上、「怖い」「厳しい」校長を
想像する事になる。
そして、ここに「お言葉」という条件が付加された。
つまり、回答者は校長のセリフという『書式』で回答を作らねば
ならないわけである。
このように、大喜利におけるお題は『フレーム』『方向性』『書式』
という三つの限定条件によって成立している。
そして、その三つをどのように配合するかで良問であるかどうかは
決定される。
もちろん、良問・悪問に関しては個人の答えやすさによりけりでは
あるのだが、もしあなたが作問しているお題が良問か悪問か迷った場合は
自分がそのお題に答えられるかと共に、回答者が答えているイメージを
持てるかどうか、お題から何かを広げてくれそうかをシミュレートした上で、
想像のための取っ掛かりが用意できているかを見直す事で改善される
かもしれない。
お題は“他人の表現を導き出すための触媒”である事を忘れず、
そこに“楽しんでもらう”気配りを持てば、良いお題は自然と生まれる。
お題E「私立スパルタ学園校長・弩錨立腹助(どいかり りっぷくのすけ)は
登校してきた生徒に対し、校門である検査を行います。
それは竹刀とノギスを活用した斬新な拷問としてCNNに報道されました。
それはどんな検査でしょう?五七五で短冊に書きなさい」
間違っても、こんなお題を世に出してはいけません。
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