「やってみたい...」と「やってみた!」が近ければ近いほど幸せになるよね。
日々いろんな実験をする。今だとmixi2。どんな使い方したらおもしろいか、自分が楽しめるか、みたいなのを考えるのとても楽しい。他にも有料note。一般的に嫌われてるし、自分自身がめちゃくちゃいやだなぁって思ってたけど、その源泉はどっからだ?と思って深く掘ったら思わぬ発見があった。
実験と発見はセットで、その日々をつくりだすことが幸せと直結しているような気がする。昔、働くと言うことに悩んでいた頃「仕事は楽しいかね?」という割とど真ん中タイトルの本に出会って貪るように読んだ。仕事を楽しくないと思っている理由は、「試してないから」という主題がその内容だ。わりとその教えが今でも生きているのかもしれない。毎日1つ絶対に実験する。とても難しいことだけど、それをやり続けるといつもちょっとだけ自分が変わる。
以前は「仕事が楽しくないのは目的がないからだ」と思っていた。大いなる野望、野心、visionがあれば、日々の仕事は楽しくなる。レンガ積みの話よろしく、目の前の煉瓦を積むだけではなく、これは人々の生活を良くするためにやってるのだと思うことが、単調な仕事を楽しくするために必要なんだ、と。
でもそれはきっと嘘なんだと思う。いや、一部は本当なんだけど、全体としては嘘。人はどこまで行っても、夢や目標や目的はツール、手段にすぎない。人生を歩むってことこそが本質で、そのために将来を使ってるだけ。だからむしろ日々の1つ1つをより良くするための手段をいっぱい持っておくといい。
その一つが「実験」。昨日の自分がやってなかったことをやる。毎日やり続けるのは結構難しい。でもやる。実験したら、成功も失敗もなくなる。どちらも学びになる。そういうことやったら、こうなるんだ、と。
たとえば、ネットに文章を書くこと。最初に「きりくちぶろぐ」をつくって、「男性におすすめの少女漫画5選」を書いた。はてブされ、500人に読んでもらえた。ツイッターはやってなかったのに。強烈な原体験。でも、これをやろうと思ったのは友達との何気ない会話、「それだけフェイスブックに書くことあるなら、ブログでもやれば?」である。
そこで実際にやってみた。大事なのはこれ別に読まれなくても、「読まれないんだ」って学びがあるからいいってこと。実際この後いっぱい書いたけど、pvは1〜3だった。でもそれでもいい。なんでこれは読まれて、これは読まれないんだろう?って考えるようになるから。考えるようになったら、新しい実験するから。そうだツイッターも開設してみよう、そうだ実名にしてみよう、そうだ漫画以外のテーマも書いてみよう、そうだほんとに悩んでること書いてみよう、いろんなアイディアが浮かんでくる。
1つの実験をするだけで、次のアイディアが浮かんでくる。そしてそのアイディアを実験する。そうすると毎日1つの実験というのが実現できる。今ではSlackに「実験」というチャンネルつくって、そこに日々の実験を記録していってる。最近のだとしょうもないけど、「ボルダリングにいく」「クラフトビール飲む」「mixi2のコミュニティつくる」とかそんなん。でもその一つ一つで次のアイディアは浮かんでいる。飲み会で場所が決まらない時クラフトビール屋さんを提案するくらいには生活が変化している。
mixi2もおもしろい。
mixi1やってたから当時の記憶が蘇るし、なんとなく昔の友達に連絡したくなった。当時のあだ名が「ネコ」だったことも思い出しうわああああああああっともなった。そういうことがおこる。
有料noteもおもしろい。
なぜあんなに自分が嫌ってたのか、そしてどうして最近は嫌じゃないのか、そんなのがよくわかった。有料note書いてみて、公開してみて、自分の心探して、言葉にして、今では有料note書くことがむしろちょっと楽しくなってたりもする。すごいよね。
こんなふうに日々実験する。
実験ていうと大袈裟だから「試す」くらいの感覚だけど。
とある哲学者は、幸福を「やってみたいとやれたの一致」だという(意訳)。もしかしたら「実験」というのはその幸福もっとも近いアクションなのかもしれない。