「才能」の領域だと思ってたことは、もしかしたらそうじゃないのかもしれない。
ちょっと前なんですが、noteの創作大賞2024の中間審査の発表があり、ありがたいことに突破させていただきました。作品数的には、52,750作品のうち、305作品に選ばれてるので上位1%くらいに入れてもらった感じです。
実は2022年にも創作対象に出してて、そちらも中間審査は突破してたりします。こちらは小説ですね。こちらもだいたい上位1%くらいかなぁという感じ。
もちろん単純なランキングではないし、ぼく個人の感覚としては、文章なんて好きに書いて、その人しか出せないものが残るのがなにより重要だと思っているんですが、誰かの「審査」みたいな観点だと上位1%くらいがその基準になるんだろうなってのを感じました。
でで、こっから正直ベースの話なんですが、中間審査突破のご連絡をいただいた時、もちろん嬉しかったんですが、「まぁ通るか」って気持ちもあったんですよね。これ自慢でもなんでもなく、そういう感覚なんですよ。noteを長らく使わせてもらってて、たくさん書くし、もちろんいろんな人のも読ませてもらうしで、だいたい自分が書いたやつが上位1%くらいに「これは入ってるかもな」みたいな感覚値があるというか。全部が全部そうというわけではなくて、誰かに読まれることを意識して書いたやつのなかで、そういうのが何本がある感じというか。
ここちゃんと伝えたいので、いけすかないやつみたいになるのを覚悟で書くんですが、文章書く人の中で上位1%には誰でもなれます。才能とか全く不要な領域。もちろん簡単になれるとかそういうことじゃなくて、体感として、適切なトレーニングを積んで、テーマをしっかり選べば誰でもなれるってものだってことが言いたいのですよ。テーマ持ってる人なら早くて1作目から、そうじゃない人でもで3〜6ヶ月ちゃんと学べば届きます。難易度Gくらいです(グリードアイランドの入手難易度くらいです)。
くどいくらいこれは何度も伝えたいんですが、「文章を書く楽しさ」に比べたら、コンテストとかランキングとかはどうでもいいんですよ?
どうでもいいんですけど、もし願ってやまない人がいるなら、それは誰でも到達可能なところの目標で、「才能」を理由に諦めるようなものじゃないですよってのが伝えたいんですよ。
「中間審査突破したくらいでお前何言ってるのよ」ってのはその通りなんですが、僕が本気でなんらかのコンテストを獲りにいくなら、文章スキルではなく、レアな体験をゲットしにいきます。わかりやすく誰も経験したことないことを、平易な文章で書きます。そっちの方が技巧より大事だと思うから。ときたま彗星のように現れる、「誰も本当のことを知らないけど知りたがってること」を書いてる文章はそれだけとても魅力的。なんか今日上手く書けないな。ゴモゴモ言ってる感じがする。
ででで、ようやく本当に伝えたいところにこれから入っていけるんで、こっからちゃんと聞いてもらえたら嬉しいんですけど、あれなんですよ。うん、あれ。自分はこれ絶対書けないなって暴力的なまでにぶちのめしてきた作品。これもスキルセット的には上位1%くらいのものなんじゃないかなって思うようになったんです。パラメーターの割り振りは違うにせよ、そういう誰でも望めば到達可能な領域というか。不可侵じゃないというか。諦めなくてもいいことというか。
もちろんそういう作品をつくる人たちはさらに錬磨され、0.1%、0.000001%みたいになっていくんですが、でもおそらく最初にぶちのめしてきた作品は1%でもつくり得る。そんな気がするんです。
これは創作者の方々へのリスペクトがなくなったというわけではなくて、今までは魔法にしか見えなかったそれらの作品が、自分と同じように悩んで、考えて、ダメだって思って、でもそれでも書いて、見てもらって、へこんで、みたいな先にあるものなんじゃないかなって。神聖視しすぎて霧がかかってたものがちょっと晴れてきたというか。愛染のいう「憧れは理解から最も遠い感情だよ」がようやく腑に落ちたというか。
思い返してみると、僕たちは今VC(ベンチャーキャピタル)って仕事をしてて、それも自分たちで1億円集めて立ち上げて、スタートアップに投資してたりするんですが、これってこの領域知らない人からしたら魔法にしか見えたないと思うんですよね。意味がわからない、、と。だけどやってる中の人からすると、別に普通の日常というか。もちろん大変なことも、理不尽なこともあるけど、それはどこの領域でも一緒だし、積み上げがないとできないことも、ある意味運がないとできないこともいっぱいあるよなーくらいで思ってるんですよ。だけど、自分の好きな領域、憧れてる領域だけは「そうじゃない!きっと才能ある人がいきなり無から有を生み出してるんだ!すごい!自分にはできない!」って思ってる。考えてみると不思議ですね。もしかしたら仕事だけじゃなく、あらゆる創作や、出来事全般一緒なのかもしれません。
であるならば、ね。
であるならば、もしかしたら諦めなくていいのかもしれない。手に入らないからって酸っぱい葡萄のように「なれなくてもいいんだ」って言ってしまってたあらゆることを手に入れに行ってもいいのかもしれない。なんかそんな風に思うんです。
道が違ったのでもなく、分断されてたんでもなく、延長線上にあるのが見えてなかった。ただそれだけのこと。そんな風に思えたんです。