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「あなたはこないで!」って言わないと、良い場は生まれないのかもしれない。

形容し難い。そういう場に参加した。すごく多くのことを受け入れてくれるような、何をやっても大丈夫なような、そんな雰囲気が充満する。

参加者としてはそれを感じる一方、この場はとても多くの排斥、選別で成り立っているのも理解した。いやむしろ、排斥、選別こそが受容に必須の要素なのかもしれない。

多様性は大事。だけど「誰でも来ていいですよ!」は誰も来ない。いや、「誰でも来ていいですよ!」以外の場所から排斥された人しか来ない。そんな場は決して多様にはならないだろう。ちゃんと人を選び、排斥するからこそ、「ここは自分の居場所だ」と感じることができるのかもしれない。

しかし、自分が参加者として選ばれたからこそこの話ができてるだけで、もし排斥される側だったらそこに何かしこりのようなものは持つ気がする。あ、そうか、これこそが主催者の責任か。ここを背負えるかどうかがよいコミュニティをつくれるかどうか、そのことに直接的に起因する気がする。


「自分の好きな人だけで開催する」

こう言えば、よほどその人物に人を見る目がない場合以外とても良い場になる。プラス500。一方で来れなかった人たちからの緩やかなヘイト。マイナス200。トータルプラス300だとしても、この200のマイナスを怖れて「ぜひ!誰でもお越しください!」と言ってしまう。

じゃあどうすりゃいいんだろう?
そもそも開催していること自体を秘するのも1つの手。開催後にのみ情報を発信する。SNSはその場の素晴らしさを讃える投稿で埋まるだろう。その場合は、主催者が基本的に自分で声をかけないとならない。その手間に見合う成果はある気がする。でもやっぱりその場合も「あれ、呼ばれてないな、、」って思う人は出てくるだろう。てかなんでその人のこと気にしないとならんのだ?いや、気になっちゃうんだから仕方ないんだけど。疎外感。つらい。だめ。ぜったい。

僕の知ってる中に「場をつくる」天才が3人いる。一人はこの昨日の会を開催していた人。二人目は、圧倒的な人間のぶ厚さで大好きになってしまうような人。ちょっとそれはそれで語りたいけど、一旦今回は三人目ついて。

彼は、一見誰も排斥しない。反社から官僚まで。上場企業の社長から学生まで。全部にフラット。だから彼の開催する場にはほんといろんな人が来る。これおもしろくて、なんというかよく人生哲学的な本とかに「大切な人として扱いなさい」的なことが書いてあると思うんですが、結構彼は真逆というか「うっすらみんな雑に扱う」。これ書いてて気づいたんですが、おもしろいですね。うっすら雑て...。

あーなんとなくわかってきた。ちょっとめんどくさいんでもう名前出して話すんですが、一人目の寺西さんは、自分の場に来てくれた人をめちゃくちゃ大事にします。僕の好きな人です!と公言するし、そのことが態度からもわかる。だからその場で生まれた紹介は、心の底からだし、寺西さんに紹介された人に裏切られたらまぁもうしょうがないよね、くらいの感じになる。

一方で三人目の藤田さんは、フラットにみんなを大事にしない。普段がどうとかじゃなくて、開催した会に来てくれた人。偉い人もまだ偉くない人もうっすら雑に。だからマギレが多い。別に藤田さんの開催した場で出会った人に裏切られても、そりゃ自分の見る目がなかっただけだよねってなる。変な人も当然に来てるんだから、と。

どちらもメリットあって、寺西さんの方は圧倒的な熱量。実際多くのことがこの場から生まれてる。人が変わる瞬間、みたいなのが生まれるのはこういう場なんだろう。

一方で藤田さんの方はパルプンテ。まさかそんなことが!!みたいな驚きが多い。一見すると絶対に交わらなかっただろう人たちが混ざり合い、5年後どこで出会ったかも忘れたようなタイミングでことが起こる。誰も藤田さんの場で変わったとは思わない。だけど何か変化してる。


僕は以前、結構寺西さんスタイルで場をつくってました。今の僕を知ってくれてる人からすると意外かもですが、しっかりと好きな人に個別に連絡して、排他的で受容度の高い場をつくってた。ただこのやり方めちゃくちゃカロリー高いんですよね。あの人とあの人の境界線を引き続けることになるので、どちらにも想いを馳せるとしんどくなる。むり。つづかない。いいこと起こるのわかってるんだけど、多分根本的には向いてない。できるひとすごい。

一方で最近の藤田さんスタイル。一緒にやってること多いんで2人でやってるって思ってもらうんですが、僕としては藤田さんスタイルを最大化しようとしてるだけ。あくまで彼を中心に動いてる。別に上下があるわけじゃなくて、僕が考えるやり方ってなっちゃうと寺西さんスタイルが入っちゃうんですよね。それすると最大化されないというか。良さを殺しちゃうというか。

あんまり言語化したことなかったけど、そんなふうに考えてたみたいです。


で、「場」って言い方をしてるのは、ちょっと「コミュニティ」とは違うからだと思ってるからなんですよね。場はあるけど、コミュニティはないというか。てかそもそも論、「コミュニティつくりたい!」って人のほとんどは寂しいからだと思うんですよ。自分が入れてないからコミュニティが欲しい!つくるべきだ!わー!わー!というか。多分、家族とか友人とか仕事仲間とかそういうのがちゃんとある人はあまり「コミュニティがほしい!」とは言わない。僕も以前言ってた気がするんですが、多分寂しかったんです。ただそれが悪いわけでもなんでもなくて、そういう一人の寂しさを埋めるためにつくられたコミュニティで生まれるものもあるんで。

なんだっけ?
あ、そう「場」。寺西スタイルと藤田スタイル。「コミュニティ」。で、ちょっとだけ挑戦というかやってみてることがあって、「ORANGE」って取り組み。すっごくざくっというとローカルの学生向けのコミュニティとかアクセラの総称なんですが、これ講師てかメンターがポイントで同年代にしてるんですよね。しかもまだ何かを成し遂げてるわけじゃない。これから。葛藤の最中。そういう悩みとか苦しみとかを共有できる人。そういうところにしかない何かがあると思ってるし、だからこそ生まれるものもあると思うので。まぁただ僕がそういう人が好きってのもあるんですが。

実際開催していくと、言語化しにくい何かが生まれていってるんでこれを続けていくのは続けていくとして、ちょっとおもしろいのはメンター同士がコミュニティ色を帯びてきているというか、単純に仲良くなってきてるんですよ。いや元々仲良かった人同士もいるんですが、ちょっと「ORANGEアルムナイ」的というか。別にこれは意図してなかったんですが、まぁでも考えてみたら当たり前で、結構深い「自己開示」が行われ、「僕の好きな人で」っていう寺西さんスタイルの集まりなので自ずから生まれるというか。で、その好きな人たちとは藤田さんスタイルみたいなところで出会ってるというね。囲い込みたいわけじゃなくて、なんつんだろう?

むかし「アンゲーム」っていう自己開示が進むようなゲームをやったことがあって、その時その場にいた人たちとは、今でもなんとなくちょっとだけ特別に仲良い気がしてます。そんな感じのことがORANGEで起こったらいいなってのはエゴなのかしら。わかんない。けど少なくても僕はとても特別な何かを感じてるから、エゴでもなんでも続けていけたらいいな。




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起業だけじゃなくて、「新しく何かやろう!」ってとき、最初に出会う大人が悪い人だと、どんどん間違った方向にいっちゃうので始めました。
「誰に相談すればいいかわからない...。」というとき読んでみてください。
U25 #はじめての起業 相談室


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やまだくにあき
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