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「何者かになりたい」は捨てたはずなのに
高専4年。19歳。
一念発起して弁護士を目指すことに。
ぼくは「何者か」になりたかった。
その後、スタートアップに転職し、急成長かつIPOも一番近いと言っていいところで体験。周りには「何者か」がたくさんいた。
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周りにいた「何者か」はみんなかっこよく、憧れた。
だけど、それに自分がなりたいとはどうしても思えず、一度ゼロになるために地元岡山に帰郷。自分の心が動かされること、正しいと思うこと、善いと思うこと、美しいと思うことだけを人生に加えて行く生活を始めた。
今では、
作品が消え続けてることをどうにかしたくて、"生まれるはずの「もう1作品」をつくる。"しろしinc.を
「学校に行かないと幸せになれないの?」って問いに真正面から答えていくために、"よい教育をつくる。とどける。"無花果inc.を
10年後も起業家とうまい酒を飲むために、瀬戸内VCを
つくって、ゼロにイチを足している。
昔から果たしたかった商業出版も果たし、大好きなHUNTER×HUNTERについてひたすら考える日々。
何者かになりたかった僕はもういないんだ。
そう思ってた。
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先日、IVSという日本最大規模のスタートアップのイベントに参加した。
10,000人を超えるスタートアップ関係者が参加し、セッションも超豪華。
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ライフ0になりましたが、無事 #IVS 初日を乗り越えました!
— 山田 邦明|起業家VC (@kun1aki) June 28, 2023
今からお風呂に入って綺麗になった状態でサイドイベントに繰り出します。ここからはただのホームです。ストレスゼロです。むしろライフも回復します。 https://t.co/AtuqCfi4VY pic.twitter.com/BZJlrsUZfI
久しぶりの人にも会えたし、新しくおもしろい出会いもあったのでとても楽しませてもらった。
ただ、どうしようもなくモヤモヤして、IVS終わって1週間、ほぼ人にも会わず籠もってました。
そして、ようやく何にモヤってたのかわかったのでこのnoteを書いているわけです。
で、いきなり結論なんですが、
「お前は何者なの?」
というコミュニケーション、もっというと伝えるために削ぎ落とされた「何者か」になること、相手を「何者か」どうか判断しなければならないこと、にどうしようもなくモヤモヤした、んだと思います。
いや、もちろん自己紹介という性質上あたりまえなのはわかっているんですよ。キャッチーで、その後の話が広がる「何者か」になること。そのうえで、相手にもそれを求めることが合理的であることなんてわかってるんですよ。
僕だって大人なんで、そういう振る舞いも可能です。「独立系のVCつくっててー」と自己紹介をすることで、「何者か」のように振る舞うこともできます。
だけどそれって結局、もっと多くの人が知っているような、もっと大きな社会的価値を出しているような、もっと、もっと、、もっと、、、そうした果てないもっと「何者か」になることを強制されます。
いや、正確に言うと、自分がそのようになることを望むようになります。10回や20回だとならないですが、100回、200回、300回と自己紹介をするうちに、一度は捨てたはずの「何者かになりたい」という気持ちが、浮かび上がってくるをの感じました。
これは別に「何者かになりたい」って思うことが悪いことだって言ってるわけじゃありません。IVSという場においては、むしろ健全なガソリンのようなものかもしれません。ある意味無礼でも、ある意味雑でも、ある意味驕ってても「何者かになりたい!」って強く思うことで成し遂げられるものがあるのを僕は知っています。
僕が一番イヤなのは、
もっと、もっと、もっと「何者かになりたい」と願うことで、自分が心の底から善いと思って始めた1つ1つの事業や事柄が、まだまだ足りないしょうもないものであると思ってしまうことです。
そして、目の前の相手のこともそのように評価してしまうことです。
「もっとインパクトあればなぁ」と思った自分にゾッとしました。規模や影響力が大きくなることが悪いということではなく、「何者か」になるためにそう思ったことがです。
相手の自己紹介に「(んー、でもそれ◯人も使ってないからな)」って思ってしまった自分に愕然としました。経済性とか効果性とかとは違うところにも大切なものがたくさんあって、それを大事にして生きていきたいにも関わらず思ってしまったからです。
ピュアに誰かのために始めた事業が、自分が「何者か」になるための道具に成り下がった。
眼の前の相手の大切な思いを、「何者か」評価するために使った。
…いい機会だったんだと思います。
あれだけ普段から「何者かになってもなにもないよ」「何者かを目指すのは虚しいよ」といってた僕が、いとも簡単に「何者かになりたい!!!」ってなってしまう。
それだけ「何者かになりたい」というのは人が思わず求めてしまう魔力を持っているのかもしれません。
何かを選ぶとき、「何者か」になりたいから選んでるのか、善いとか美しいと思っているから選んでいるのか。どっちが正解とかはないんだと思います。
だけど、どっちで選んでるかを自分自身だけは知ってる。誰かに改めて言う必要なんてないけど、それがとっても大事。
やっとそのことに気付けました。
「何者かになりたい」って思っている人。
「何者かになりたい」なんてもう全く思ってないよって人。
どっちの人とも今、改めて話してみたいな。
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