違う地図をみる、あるいは多層化
先日、社外のひとと話しているときに、「〇〇という町は、□□人が多いから良い街だ」と言われました。
わたしはその国の料理について知らなかったので、漠然とパクチーが入っていそうで苦手かもしれないと思い、「そうなんですね。□□が好きなのですか」と聞きました。
その人が「何といっても安いからね」と答えたので、中華料理を想起して、確かにそうかもしれないとうなずきました。
気を良くしたその人に、「今度、一緒に行かないか」と聞かれたので、「パクチーが苦手なので」と断ると、その人はきょとんとした顔で首を傾げました。
その人の頭のなかでは、〇〇という町は□□人が春を売る場所でした。わたしにとって、どこかの国の人たちが暮らす町は、その国の料理が食べられる場所を思い浮かべます。
そのため、ふたりの会話はすれ違ってしまったのです。
ひとはそれぞれ異なる地図を持っています。
読書会で語るたとえのひとつに「わたしはある駅を書店で把握している」という話があります。
たとえば、渋谷であれば井の頭線方面には啓文堂書店があり、スクランブル交差点には大盛堂書店と蔦屋、奥に行けばアニメイトがあり、原宿方面には……。新宿であればアルタ前ではなくて紀伊國屋書店と言われたほうが、頭のなかにイメージが湧きます。
しかし、友人たちと待ち合わせするときに、書店を起点とした道案内は全く効力を発揮しません。そもそも、その起点を知らない場合が少なくありません。
それと同じように、先日会話した人の地図は、夜遊びの地図でした。そのため、わたしの地図との齟齬が生じてしまいました。
これは、途中で気づけたからよかったものの、わたしがパクチー好きで、二つ返事で誘いに乗っていたら、悲しい結末になったでしょう。
このようなすれ違いは、決して少ないものではないでしょう。そのため、地図を多層的にすることは必要です。
読書はそのための方法のひとつです。
千葉雅也さんの『エレクトリック』は、まさにその地図の物語でもあります。
未読の方は、ぜひ。また、海外の作品を読むことも、地図を多層化するうえで、非常に役に立ちます。
それでは、よい読書の秋をお過ごしください。