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【活動録】7月30日
こんにちは。カムクワット読書会です。
本日、横浜は非常に暑い一日でした。『文藝』に掲載された遠野遥さんの「浮遊」を課題作品として読書会を行いました。
会場にて
本日は横浜駅付近の喫茶室ルノアールにて行いました。読書会を開催するには広さも雰囲気もちょうどよく、ここでの開催は今回で三回目になりました。
予定時間より早くわたしが入店し、コーヒーとミルクレープを楽しみながら参加者の到着を待ちました。
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遠野遥「浮遊」
今回参加された二名の方が遠野遥作品を初読であるため、わたしのような先入観のない意見を聞くことができました。
物語は主人公である少女・ふうかを中心に描かれ、彼女がやっているゲームと現実がテクストの中で混然一体となり、そこから彼女が抱える不安定さが透けて見えるように感じます。
登場人物の気持ち悪さ
わたしはふうか以外の登場人物たちをある種の舞台装置として読んでいたため、気付かなかった視点でした。
確かに話しを聞いていると、父親も蒼くん、幽霊の黒田、病院の女性の話しに登場するランナーたちの行動は「キモチワルイ」ものでした。
なぜこのような「キモチワルイ」行動をとってしまうのか。その原因の一つには寂しさがあるのではないでしょうか。父親は娘と離れて暮らし、蒼くんは彼女と別れて起業している。黒田は悪霊さまよう街で恩人の女性を失った。
フェミニズム的視点?
参加者の方が「遠野遥さんは女性だと思っていた」ため、上記の気持ち悪さを批判的に書いたのではないかと読んでいました。
この指摘は非常に大切なものだと感じました。
著者が男性で、マッチョな作風だという先入観をもっていたわたしでは生まれることがない指摘でした。
視点を変えることで、作品の見え方は変わります。再読する楽しみが増えました。
ゲーム『浮遊』とは
ゲームは楽しむであるとともに、現実を忘れる装置にもなりうるものです。それでは、この作品ではどのような役割を果たしていたのでしょうか。
わたしは先に述べたように、ふうかが生きる現実を描くための装置になっていたのではないかと感じました。
ゲームの主人公である少女・YUKIはふうかの映し鏡であり、その未来を暗示する存在である可能性があります。
居場所がなくてさまよい歩き、黒田という大人の男性に依存し、家族を失った過去がある。
自己実現、アイデンティティの確率が重要視される世の中で、自分を知ろうとした果てにバッドエンドを迎えてしまう未来をゲームが暗示しているように見えました。
傷とは
幼いころにふうかが、馬飛びでついた傷が成長している描写がありました。
身体的な傷は成長するのでしょうか。中にはそのような傷もあるかもしれませんが、一般的な傷は身体機能によって治癒します。
それでは成長する傷は何か。それは目に見えない傷、つまり心的外傷ではないでしょうか。
ふうかの両親の間に何があったか、母親からの愛情は十分だったか。
蒼くんとの共依存的関係でもふうかは幽霊のように、こころが浮遊してしまいます。
未来を生きるために
ふうかはどうするべきなのでしょうか。YUKIのような破滅が待っているのでしょうか。物語は何も語られずに閉じました。
その未来を避けて、「幸せな未来」を生きるには何をするべきか考えました。しかし、わたしにはありきたりな答えしか出てきませんでした。
ふうかたちに不足しているのはコミュニケーションです。お互いに寂しさを埋めるための装置として利用するのではなく、それぞれの存在を認め合うことで確たる未来につながと信じています。
おわりに
今回は電子書籍の『文藝』を持って参加してくださった方がいました。文芸誌を電子書籍で買ったことがなかったので、非常に目新しくて欲しくなりました。
小説は答えを求めて読むものではないと、わたしは思っています。国語科では正解があるかのように出題され、世の中に氾濫する自己啓発的言説は正解を主張しています。
もしも確たる主張を書きたいのであれば、小説を書かずにそのような文章を書けばよいのです。
では、小説を書くのはなぜでしょうか。何らかの主張がありつつも、確たる言葉では語ることができない。だから舞台や登場人物たちを創作することで、確信へさまざまな道を通って向かっていくのではないでしょうか。
その道は一本道ではありません。物語に沿って最後まで進む必要もありません。途中下車することは自由なのです。
だからこそ、正解のない十人十色の意見が生まれる小説というジャンルが好きなのだと再認識できました。
次回について
次回は『文學界』に掲載されている坂上秋成さんの「陽炎のほとり」です。読んでいて辛くなるいじめ描写に目を引かれてしまいますが、それ以上に生きていく上で何を大切にするかについて考えさせていただける作品です。
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非常に魅力的な作品なので、ぜひ一緒に語り合いましょう。
ここまで、お読みいただき誠にありがとうございました。
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