見出し画像

【活動録】第28回カムクワット読書会

こんにちは。本日はマームとジプシーの藤田貴大さんの『T/S』を課題作品に、横浜北幸町のルノアールにて開催しました。

新店舗の割引券を大量に配っていました。

参加者は初参加1名を含む2名でした。

読書会後、ファミレスにて二次会、各々で買い物などをしました。

演劇・創作とは何かを考える

T/Sとは誰か

本作は「ぼく」と「わたし」、ふたつの視点で物語られる。それをそれぞれ別の人物として読み、創作という連綿とつづく「空間」で創作者であるふたりが出会うというダイナミックな展開として読んでいた。

しかし、「TS」には性転換(transsexual)というジャンルがあるらしく、その文脈で読むことで辻褄が合う点があると気づかされた。この場合、「ぼく」と「わたし」はふたりではなくひとりである。

娘を産むと思っていた母親から男性という肉体を持って生まれてしまった「ぼく」が、「わたし」という女性としてのアイデンティティを持ちつつ生き、演劇で自分自身のことを描くことでひとつのアイデンティティにたどり着く物語と読むこともできそうだ。

他にも「Time」と「Space」でもあり、「/」は窓や壁の意味がありそうだ。このように多義的な読みができるこの作品は、とても面白いと思う。

空間と時間

演劇は舞台上で行われる。舞台は空間である。演劇はライブである。台本は役者によって常に解釈され、公演ごとに演技は変化する。

これが映画であれば、カメラというレンズで時間は固定化され、複製された時間がスクリーンで繰り返し上映される。

では、小説はどうであろうか。
本作のようにイラストがある場合は、大半の読者が登場人物のすがたをそのイラストでイメージすることになるだろう。何らかの視覚メディア化されている場合も同様である。
しかし、文字だけだったらどうだろうか。マンガがアニメ化した際に「声が違う」と言われるように、頭のなかに思い描く人物像は千差万別だろう。

その意味で、小説は読者がある種の演者として、さらにプロデューサーのような役割も与えられる。この作品の登場人物をふたりと読むか、ひとりと読むかの違いが生まれるように。

台本的文章か

この作品の文章は特徴的である。モノローグ(地の文)はほとんど改行されることなく、場面や思考を説明する。一方、会話文は短いテンポで続けられる。

そのため、黒いページと白いページの差が生まれる。しかし、読みづらいくないという不思議な文章である。

これは演劇における場面説明と演技シーンの違いかもしれないと思いつつ、独特なリズムで頭のなかで物語が展開していきました。

ぜひ、書店で手に取って確かめてください。

付箋を貼られた課題作品(記念撮影を忘れました)。

個人的な発見、あるいは誤読

作品の冒頭で「ぼく」は、眠ってしまった女性との時間を再開するために旅に出る。

この女性は「わたし」であると読むことができるが、再読した際に、もしかしたら「創作のなかの人物」ではないかと思った(もちろん「わたし」も創作のなかの人物であるが)。

劇作家である「ぼく」は、ある作品に行き詰まってしまい、その世界の時間を進められなくなってしまった。その原因が実力不足であると考え、さまざまな作品や舞台へ向かい、眠ってしまった(時間が停まった)女性を描くことができるように修行をしたのではないか。

絵心のないメモ。

次回以降の予定

第二十九回 カムクワット読書会

7月27日(土)、池谷和浩「フルトラッキング・プリンセサイザ」(書肆侃侃房)を課題作品に開催いたします。

じっくり読む・書く文学部

現在、3名の方が参加予定です。

「読む」ではイーグルトンの『文学とは何か』を読もうと考えていましたが、文学理論か批評(書き方、実践)、文学国語(高校教科書)など、候補出し中。

「書く」では、テーマを決めて小説やエッセイ、読書感想文などの執筆を考えております。こちらはネットプリントで期間限定公開、各々のブログ等で自由に公開する形式にできればと思います。

さいごに

日増しに暑くなっておりますので体調管理が大変ですが、無理せずに過ごしていきましょう。

『りぼんちゃん』の表紙に惹かれ。児童書コーナーにて
せっかくなので紀伊國屋書店限定カバーを。

いいなと思ったら応援しよう!