コロナ後の山小屋 -国立公園の未来と新しい世界について-
PEAKS連載記事 山と僕たちをめぐる話
第28話〜第31話「これからの話」補稿版(2021年1月号〜4月号)
2021年4月2日
雲ノ平山荘 伊藤二朗
コロナ禍からの出発
雲ノ平から下山して二ヶ月。今年は寝ても覚めても日常の二文字が遠い。
気がつけばあたりではクリスマスイルミネーションが明滅し、2020年という迷宮のような季節に別れを告げるべく、人々が師走の街を忙しなく行き交っている。
だが、多くの人がうすらと感じ始めているだろうが、コロナ禍はおそらくそれ単体で終わるものではない。コロナ禍が引き金となり顕在化した、自由経済や情報化、資本主義、民主主義、都市世界の脆さといった社会課題は、20世紀が溜め込んだ壮大な歪みともいうべきもので、良くも悪くも不可逆的に、僕たちを次なる冒険の時代へと押し流して行くだろう。ペストが大きな痛みとともに中世の闇を清算したように、僕たちは新しい時代の光を見出すことができるだろうか。願わくばこの混沌をエネルギーに転換して、希望のある方向へと歩みを進めたい。
山の世界でも、コロナ禍によって近年深刻化しつつあった山小屋事業の持続可能性や国立公園の維持管理に関する諸問題の危機感が急速に高まり、登山業界および行政、メディアを巻き込んで様々な議論が始まりつつある。
これまでは団結して意思表示をするようなことは極めて稀だった各地域の山小屋組合も連携し、行政に対してこの事態への対策(※1)を求める動きを活性化させている。昨年のヘリコプターの問題によって緊張感が高まっていたこともあり、今回ばかりは行政も本腰を入れて国立公園の管理体制の見直しに取り組む姿勢を見せている(※2)。
しかし、行政が対策に動けば早期に事態は収拾するかといえば、過大な期待はできない。なぜなら、コロナ禍自体は駄目押しをしたに過ぎず、一連の問題の根幹ははるかに根深く、長い期間にわたって蓄積してきた構造的な問題に起因しているからである。そして構造的な問題というのは「金」の問題ではなく「人間」の問題が大きいのである。
そもそも日本の国立公園の管理体制が脆弱なのは、歴史的に世論が自然保護やアウトドアレクリエーションの公益性に関心を向けてこなかったからだ。このことで国立公園を取り巻く人材や予算が著しく不足し、学術研究も低迷し、世論を喚起するための現状把握や現状発信も欠乏している状況であって、その空白の中である種の隙間産業的に発達したのが山小屋だった。
見ようによっては社会の無関心が山小屋の「何でも屋」的な業態を生み出したのであって、その山小屋が困ったからと言って、人材、予算不足の行政が肩代わりをできるわけではなく、コロナ禍によって多くの業種が疲弊している中、世論が直ちにこの問題を社会的な責務として認識し、大幅に予算を確保するということもないだろう。
無関心・他人事を克服しない限り、社会が動くことはないのだから。
万が一政治的な駆け引きで予算だけは引っ張ってきたとしても、それを現状に即して有効に配分できる人材や機関は本当にいない。現状把握をしないまま「使うこと」が目的化すれば、俗にいうバラマキに発展する。優先順位をつけられず、問題の規模を測れないからである。
山小屋の経済支援ということを思い描いても、アクセスの良し悪し、規模、山域の人気、経営能力によって山小屋の経営収支の在りようは千差万別であって、もとより兼業でなければ成り立たない個人事業もあれば、従業員を複数名抱える優良企業もある。いかなる根拠、どういう水準で山小屋は維持されるべきなのか、どこまでが個人の努力の問題で、どこからが公共的な制度に委ねるべきことなのかを見極めるだけでも、膨大な作業を要するだろう。
今は新しい人材やアイディア、世論をも巻き込んだ形のコミュニケーションの強化、複雑な知恵の輪を解くような粘り強い熟議、そして目的意識の共有こそが必要なのだ。
これまでも書いてきたように(本連載13〜16話参照)、日本の国立公園は特定の組織が絶対的な権限を持って管理する仕組みではなく「地域性公園」といって同一の土地に対して様々な関係主体が混在し、協働関係を築くことで管理して行くという構図になっている。となれば、関係者同士が関わる中で学び合い、相乗効果を高めて行くようなコミュニケーションのあり方こそが要となるはずだが、今まではむしろ絵に書いたような縦割り社会で、協力はおろか、組合ごと、県や市町村ごと、省庁ごとの既得権に捕らわれて互いに見て見ぬ振りをするかのような関係性が支配的だった。協議会などを開いても、行政側のメンバーに日常的に山の現場を訪れる人材がほとんどおらず、めまぐるしく異動を繰り返す人事制度も相まって、いつの間にか形骸化してしまうという悪循環だった。そして何より、共有されるべき目的意識が曖昧なのである。
自然環境をなんのために、どの程度、どういう手段で守るのか、それは誰が評価し、どう采配するのか、保護と利用、観光経済と文化的・科学的価値などのバランスはどうあるべきで、社会はどういう利益を自然環境から享受して行くのか、具体的な定義が不可欠だ。
明治以降の日本では文化や芸術、人権思想と結びついた形での自然保護思想・自然科学へのアプローチが成熟せず、どちらかというとスポーツ・観光の一分野としての登山ブームがもてはやされる時代が長かったことから、広義でのアウトドアレクリエーションの多様性や自然を取り巻く職業、学問の発展の可能性を引き出しきれていないことがネックになってしまっている。
アメリカでは子供達の憧れの対象とも言われているレンジャーの仕事が日本では存在も認識されない日陰めいた仕事だったり、ヨーロッパではレンジャーをはじめ地域の人々やNPO、学術機関などの協働により日常に開かれた形で支えられている登山道の管理体制が、日本では薄給の僻地労働でしかなかったりする。自然に関わって収入を得る選択肢があまりにも少ないのである。
今は既存の関係者だけで内輪的に責任の所在を議論する段階ではなく、社会・世論と向き合いながら、大きなムーブメントとして今後の世界に「自然の価値」をどう位置づけ直すことができるのかを考え始める段階なのだ。
山小屋業界も、コロナがあろうがなかろうが変わらなければいけない時代になっていたことを思えば、まずは自分から、山小屋という仕事の可能性を最大限引き上げる努力をして世論を惹きつけ、ムーブメントの原動力になっていかなければならないと思う。
次回は、今シーズンの経験から得られた新しい山小屋のあり方の構想などへと話を展開したい。
※1 山小屋が担ってきた登山道整備などの業務の行政による直接的な関与、山小屋への各種支援など
※2 北アルプスでは、登山インフラの維持管理に関わる多くの役割を民間事業者である山小屋が担ってきたために、山小屋の危機が国立公園の持続可能性にも直結してしまうというのがこの問題の背景
山小屋の現状と可能性
さて、年も明けたが、コロナは依然猛威を振るっている。
とはいえ世界の混乱だなどと大きな話をしてもはじまらないから、自分の足元の話を続けよう。どんな困難な状況にあっても普遍的に変わらないことはあると思うが、その一つは「必要とされないものはやがて忘れられる」という残酷な事実だ。山小屋は果たしてどれほど必要とされているだろうか。
まずは、もう少し山小屋の現状について考察してみたい。
そもそも、従来の山小屋のビジネスモデルは昭和という時代(高度成長期〜バブル期)への状況依存的な業態だったと僕は思っている。開拓時代はさておき、ヘリコプターが飛び始めた1960年代〜2000年代中盤までは、増え続ける国内人口、定期的な登山ブームで宿泊者は溢れ、ヘリコプターの安価で潤沢な作業供給、安い建設費、 低賃金でもスタッフが集まる好景気、テント装備の未発達などに依存しつつ、サービスの質や経済合理性を強く意識せずとも山小屋経営は成り立つ時代だった。純粋に民間事業として考えると、競争原理は働かず、山が人気がある限り人は来るという、ある種のぬるま湯的な環境で、シビアな経営努力は特に必要ではなかったといえる。
こうした条件が全て消滅しつつある今、コロナ禍の有無にかかわらず山小屋は岐路に立たされている。国内需要の縮小(※3)が既定路線であるからこそインバウンドの議論にもなっていたが、コロナでそれも見通しが立たない以上、より革新的なアイディアが求められる。
物価の上昇に対応した料金設定にするのはもちろんだが、料金を上げればサービスの質を根本的に向上しなくては快適性を増したキャンプ山行の需要に負ける。10kg以下の荷物でゆとりを持ってキャンプ山行を楽しめる状況で、何が悲しくて混雑して殺風景な山小屋に大枚をはたいて泊まるというのか。また、料金の問題になると綺麗事は通じないわけで、ワーキングプア世代は必然的に山小屋泊から離れていくだろう。「悪天時、遭難時の避難場所」という消極的な動機を振りかざしても商売にはならないし、いくら登山道の維持管理や遭難対策における山小屋の公益性を唱えても、世界中で山小屋がない山域でもそれなりに登山文化が息づいていることを考えると、登山文化=山小屋でないのは自明だ。
日本では行政が自然保護の受け皿にならなかったために、個人(山小屋)が国立公園に関する多くの公益的な役割を担う構図ができたわけだが、その構図自体は持続性の観点から見ても限界をきたしている。(それゆえに諸外国の国立公園などは、行政による支配的な管理制度、もしくはNPO、市民団体、行政などの多様な主体の参画による協働型管理体制が発達しているのだろう。ドイツの山小屋などは山岳会による運営が多いという)
これからの山小屋の存続の可能性は、前回も触れたように金ではなく様々な形で「人間」を育て、繋げることによって文化・科学の総合的な基地としての役割を担うことに見出すべきだと僕は考えている。
学術研究、教育、ボランティアの拠点であり、官民学の交流の場であり、芸術やデザインの生まれる場所、アウトドアスポーツの基地、SDGsの理念に根ざした先端技術の実験場etc…自然と人間の接点で花開くあらゆる創造の基地として、山小屋には無限の可能性がある。そして、現場におけるコミュニケーションの多様な発展の中で「地域制公園」の実践的な仕組みづくりへコミットする道筋も見いだせるはずだ。当たり前のことだが、社会を作るのは制度ではないし、一個人でもない、人と人の交わる力が社会を作るのだ。
業態は宿泊業と心中するような単一的なものではなく、今年の山小屋クラウドファンディングなどにもその可能性の端緒は見えたが、より社会に根をはる形、個人の所有の意識から文化的共有意識へと移行する中で複線的な資金の調達のあり方をも視野に入れるべきだろう(※4)。登山という概念が中心にあるのではなく、文化の発信拠点であり、自然環境の側にある共同体として、自律的に社会に参加する意志を育むことが必要だ。
それは余暇として非日常を楽しむという感覚から離れ、日常性の中で積極的に可能性を追求する姿勢に裏付けられるべきだ。
人々の居場所になるためには、山小屋の佇まいが自然に調和するデザイン的な美しさを体現し、訪れた人が思索を深められるような文化的な豊かさを持つこともますます重要になると思う。
最近知った言葉だが、昨今世界では「ネイチャー・ポジティブ」という経済指針があるようで、例えば、山を崩すのと同じ重機で庭を作ることで経済を発展させて行くことができるように、既存の資本主義のインフラを否定せずに利用し、目的を「善の収益化」にシフトして行く、という発想のあり方を示しているようだが、その流れにも関連し得ることだ。
雲ノ平山荘では、12年前から東京農業大学との植生復元活動、それにともなう官民学の協議会の開催や学者によるレクチャーの開催、メディア関係者との社会課題への連携、今年行ったアーティスト・イン・レジデンスなど、まだまだ小規模ながらもコミュニケーションの形の展開を図ってきたが、最近になってようやくその方向性について確信めいたものが感じられるようになってきた。
今年の夏からは、アーティスト・イン・レジデンスの参加アーティストたちと連携して、アウトドアの日用品を制作するブランドを立ち上げる予定だ。雲ノ平の自然の息吹をまとったプロダクトデザインを発信することにより、より多くの人が新しい視点で自然環境に向き合うきっかけを作りたい。ブランド運営の利益の一部をアーティストに還元することで、アーティストが自然の中で制作する環境の拡充に寄与していければ良い。
また、ボランティアを活用する文脈では、若い世代のアウトドアコミュニティーに働きかけて有志を募り、山小屋や技術者、登山者の協働による登山道整備プログラムを実施し、ただ自然を旅するだけにとどまらず、自然との関係性を継続的に深められるような、新しいアウトドアレクリエーションのあり方を提案したい。
その他、自然公園に関する実践的な法体系を獲得するためにも学術機関や行政との連携も強化して行きたいと考えている。
異分野の人々が交わる毎に自らの視野も広がり、山小屋という「場」の持つ生産性や熱気が高まることを実感する。創造的に自然に接している人がその場にいるというだけで、登山者の視点や好奇心も変化して行くのだ。
ある種の「量で稼ぐ」業態であった山小屋が、利用によってすり減っていく自然公園管理の主体でもあることも矛盾だったわけだが、消費から創造へ、量から質への比重の移動を図るべき時期である。世界中で自然環境との共存が社会の最優先課題として叫ばれる今日、山小屋や自然公園が廃れる理由など全くないはずなのだ(続く)。
※3 向こう40年で人口30%減
※4 個人が多角的な事業を展開したり、ヨーロッパ的に山岳関係の組織が山小屋を運営するのも選択肢だ
山小屋経営の処方箋
ひたひたと冷たい水が足元から溜まってきて、身動きもとれずに沈んでいく。寒くてうとうとし始めると、今度は得体の知れないものに背後から襲われそうな気がする…コロナ禍の長期化は、ある種の痛覚の麻痺と静かに迫る混乱の板挟みであり、いずれにせよ、見えない戦いである。今朝は、過去に三度訪れたミャンマーでクーデターが起きた。大きなパワーバランスが急激に変化している。心ならぬ眠りに落ちているうちに、世界は混乱の渦中へと足を踏み出しかねない。自分を起こし続けなくては危ない…そう感じる今日この頃だ。
それでも僕の居場所は山小屋だから、山の話を続けよう。僕が希望のメッセージを書けるのは、結局足元の地面だけだ。今回は、昨年のコロナ対応から得られた学びなどについて書こうと思う。以下は、昨年の運営方針の内、今後も継続しようと考えていることごとである。
①山小屋宿泊の予約制
昨年雲ノ平山荘では、通常70人の定員を25人にまで絞り、大幅な収入の減少を見越して宿泊料金を2割(1万2千円に)あげた。宿泊者数は前年の4割程度にはなったが、滞在環境にゆとりができたことで、概して宿泊者の評価は良かった。この予約制の導入は、従来の布団一枚を2名で使うというような粗雑なサービスのあり方を脱却する絶好の機会だ。前回書いた通り、これまでは需要過多をどう捌くかという時代背景であり、量で稼ぐ薄利多売的な業態だったわけだが、今後それは成立しない時代である。
これは日本の観光産業全体の課題として、日本社会の休暇の取り方を変えない限り観光業は衰退すると言われていることにも通じる。
国民が休日にしか動かないと、観光地は年間の3分の2の期間は閑散期であって、3分の1は混雑しているという極端な状況になる。混んでいる時だけスタッフを増員して対応するも、パートタイムでモチベーションは低く、本質的なホスピタリティーには到達できない。当然収益も不安定で一極集中のリスクを抱え込み、限られたターゲットが機能しなくなれば衰退するしかない。結局物価の変動にも折り合わず、バブル期までに整備した施設の維持や建て替えはできない事業者も多いという。
そして、混雑している状況に営業スタイルの基準を合わせると、供給側も需要側も文化的なクオリティーには無頓着になり、文化が資源のはずの観光が、陳腐なマスプロダクト化して行くのである。全体として、薄利多売の業態と利用者側の「観光には我慢がつきもの」という昭和の国民意識に依存したものでしかなく、何ら積極的に維持するべき状態ではない。ましてやこのあり方では、今後は「量より質」の時代になる国内需要にも、インバウンド需要にも対応できない…。
山小屋も大筋ではこの流れの中にあるわけで、予約制の導入はサービス、労働環境、経営の安定性、長期的には国民の休暇の取り方の変革など、様々な環境の向上に関連する。もちろん、これまでは消費主義的だった国立公園の環境保全にも、新たな展開をもたらすだろう。
今年度の雲ノ平山荘ではコロナ禍の状況を見極めた上で、予約定員を40〜50名に設定し、料金を1万3千円程度(※5)にしようと考えている。
混雑を分散し、増減の少ない集客が実現すれば、サービスが安定し、労働環境も安定する。雇用条件が整えばスタッフが居着きやすく、慣れたスタッフが多数いる環境ができれば現場に余力ができる。その余力で各種文化活動や学術機関や行政やボランティアとの協働など、山小屋の可能性や公益性を拡張するような、付加価値の高い取り組みを展開できる。登山者の関心が高まり、公益性の面も認知されれば国立公園への支援も受けやすくなる。という好循環を産みたい。
②キャンプ場の予約制
数年来のキャンプ需要の急増による(特に土日や祝祭日の)キャンプ場の深刻なオーバーユースの問題を思えば必要不可欠な仕組みだった。国立公園の制度として公的な利用者数規制のない現状で、現場としても対応に手をこまねいていたことが、図らずもコロナ禍によって改善の糸口を見出した格好だ。
昨年雲ノ平山荘では例年の混雑日に限定して18日間(※6)50張の予約制を導入し、料金は全日1.5倍(1,500円)に値上げした。結果的にキャンプ場利用者は2割減ったものの、売り上げは微増した。そして例年繰り返されたキャンプ場のパンク現象も起こらなかったことで、利用者の登山体験の質の向上をもたらし、自然環境保全上のリスクも大幅に軽減したと思う。
③ヘリ輸送を減らすための燃料の節約、保存食の導入、レシピ研究
これは文字通りの試みで、詳しくは本連載第24話をお読みいただきたい。宿泊者数をしぼっても成立するビジネスモデルを構築することは、物資輸送の問題、環境負荷をも軽減する。
④その他 アルコール消毒液の利用、使い捨ての不織布枕カバーの利用、シュラフ持参の呼びかけ、グループごとに仕切れる可動式のパーテーションなどは、コロナの有無にかかわらず有用な取り組みである。
当面収支の面ではトライアンドエラーの連続にはなるだろうが、上述の方針を進化させて次の世代につながる、山小屋の経営体制を構築しようと思っている。
あらゆる発想を駆使して、やがては山小屋を「自然と社会をめぐる文化・科学の総合的な基地」として発展させて行くことが理想だ。
コロナ禍によって多くを失い、また現代社会の限界値を突きつけられている今こそ、足元の自然が居場所となり、学びになり、喜びになり、出会いと調和をもたらす社会の礎として再認識されるきっかけを作り出していきたい。そんな夢を見はじめている今日この頃である。
※5 各種ユース割引、ガイド割引、連泊割引など有
※6 7月は4日間、8月は10日間、9月は4日間
日本の社会性と国立公園問題
これからどこに行くのか?
国立公園から少し視点を離して、一般社会に目を向けたいと思う。
僕たちは国立公園の課題を、共通課題として認識し、具体的な理想像を築き上げていくことができるだろうか。おそらくそれは、理想を語るのと同時に、社会を覆う闇の方にも目を向けなければ実現しないだろう。
気付けば、僕たちを取り巻く日本社会は、荒波に晒されて沈みゆく船の中での椅子取りゲームのような様相を呈している。
前述のように、様々な産業で昭和の成功モデルに拘泥し、かつGDPなどの機械的な経済指標だけで社会を評価し続けた結果、目先の利益追及と引き換えに人々が共有し得る価値観や文化の自立性、産業の創造性をも衰退させ、結果として経済の活力も無くしてしまった。
既存の権力構造、制度、慣習などが正しいことを前提に「黙って従うことが真面目な生き方だ」という不文律が幅を利かせすぎた結果、全体として思考力を放棄し、明らかな誤りの修正もできず、能力主義すらも遠ざかり、形骸化した構造の維持が目的化してしまった。
背景にあるのは、個が育たない日本社会の心理的な悪弊だ。
山積する社会課題に取り組もうにも、縦割り構造と上下関係にがんじがらめになり、問題の核心に触れる以前に人間関係の調整に膨大な時間を奪われる。
「何を伝える」以上に、「誰に、どう伝えるか」…ミスをしないように…言葉遣いは…アポを取るためのアポを取らなきゃ…根回しがいつの間にかしがらみになり、気づかぬうちに身動きが取れなくなる。開かれた議論をする習慣や機会がないことで、多くの人に論理を構築する能力が身に付かず、いつしか話し合うこと自体が億劫になり「機会」は際限なく先送りになる。機会に貧すれば鈍する、のだ。
これは上下関係の上層が加害者で、下層が被害者ということでもなく、右や左が良いとか、悪いということでもない。声を上げない民衆も、誤りを指摘されない権力者も、等しく能力が上がらず「社会という船が沈む」という結果になるだけである。
国政の中枢にあるコロナ政策やオリンピック騒動が空虚に見えるのも、信頼に足る論理の構造があまりにも脆弱だからに他ならず、最低限の合理性に欠ける巨大プロジェクトが、壮大な無駄遣いを発生させるのは自明だ。
江戸時代の農耕型の社会にせよ昭和の高度成長期にせよ、産業構造や文化形態が安定し「現状維持」にそれなりの必然性があった時代は、地域やセクションごとの縦割り、経験則重視の年功序列も一定の意味を持っていたのだろう。しかし、日々莫大な変化と拡大に晒され、同時に資本主義の限界、気候変動、コロナ禍など、経験則が機能しない課題が突きつけられている今、現状維持ほど危険な選択はない。
これまで、日本での国立公園の諸問題を取り上げてきたが、結局はこの問題を棚上げしている限りは前進しない。「他力本願」という空気に身を委ねた難破船の向かう先はただの荒海だ。
昨年「山小屋ヘリコプター問題その3」の結びに以下のような文章を書いた。
日本ではとかく、経済低迷となれば、カンフル剤のようにオリンピックやリニア新幹線などの巨大プロジェクトを立ち上げて「仕事を増やせば」打開できるという迷信がいまだにはびこっているようだが、やはり経済の実態(労働の動機)は人々の生活であり、精神状態なのだ。
人生に前向きになれない人々が、仕事だけフル稼働できるかといえば、それはあり得ないことだ。
この国では、1日の平均就労時間の長さ(男性世界1位)、労働生産性(先進国中最下位)、職場に対するエンゲージメント(忠誠度)や出世意欲(野心)の低さ、子供の貧困率、自殺者数(若者ワースト1位)、大学の国際競争力、文化財予算、自然保護予算、ペットの殺処分数ワースト1位などの基本的な人権や精神的な豊かさに資する事柄の各種統計データが先進国中でも非常に悪く、コロナ禍いかんにかかわらず、持続可能性、ワークライフバランスや社会心理学、人権問題などの研究が著しく遅れている現状がある。
大前提として、人間を大切にする機運が乏しい社会で「自然」から大切にしようという話には、なかなかならない。歴史的に、自然保護は人権思想と一体であって、自然を他人事として守ろうというのではなく、自分の住む世界の調和の問題として位置づけるところから始まる。
どういう世界でこれから生きていきたいのか、どんな景色の中で、どんなコミュニケーションを持ち、何を共有し、自分はどう暮らすのか、思い描く力が不可欠だ。
ただでさえ過剰な情報化で意見の集約が困難な現代において、明確にイメージできないものは実現しない。
だが20世紀以降の日本では、自然景観や伝統文化の価値を軽視してきた結果、都市も田舎も商工業の見本市と化し、世代を超えて共有できる「景色の価値」を著しく損なってしまった。
具体的な共通体験に裏付けられた感覚を伴わず、イデオロギー論や科学的な議論が先行すると、理解の程度やイメージの誤差が大きくなり、言葉尻の正誤の論争に陥りやすく、「皆で目に見える現実を築く」という意識の上に立つことが難しくなる。
そこからの意図的(かつ抽象的)な「ヴィジョンの共有」が、どれほど困難なことなのか、想像するだけで気が遠くなるが、そこがスタートラインであり、現実なのである。
この国の国立公園問題も、これからきっと過渡期を迎えるだろう。
繰り返すが、人権思想の基盤が弱かったことで自然保護運動が根付かなかった近代に始まり、日本では国立公園は観光利用に偏ったものになった。国の財産として公的に管理する形は取られず、代わりに台頭した登山文化の市場原理に基づいて、各地の山小屋や山岳会が個人の経済力の限りにおいて「自助」として管理する体制が定着した(それゆえ世の中的にも個人の「趣味や娯楽」の問題として見なされがちである)。しかし、山小屋の経営基盤の弱体化、人材不足、登山道荒廃の深刻化などで、自助は限界をきたしている。行政の弱さもさることながら、学術研究やNPO活動も低迷し、公助として事態を打開できる機関が存在しない以上、これからは必然的に「共助」が機能するかどうかにかかっている。
もとよりヨーロッパ各国をはじめ日本でも採用されている「地域制公園」では、誰も圧倒的な権力をもたず、知見や技術の蓄積も不十分だからこそ、国、地域の住人、民間企業、地方自治体、NPO、学術機関などの様々な関係主体が、対立をはらみながらも積極的に熟議を重ねて価値観を共有し、学び合う中で精度を高める「協働型管理」が理想形であることは、他国の様々な事例が示している(本連載13〜16話参照)。
自然保護、観光経済、文化振興、教育や産業などのバランスを、当事者たちが最適化するのである。人々が訪れるほどに自然保護が行き届き、経済効果も多方面に及び、地域の文化も成熟し、学問に投資するほど社会の中で国立公園の支持が高まっていく、という好循環を目指すのである。
同じく地域制公園である日本でも、舵を切るならばその方向しかない、と言っても過言ではないが、社会的に自然保護思想が共有されていない限りは実現困難な話だとも言える。
更にそこで問題となるのが先述の縦割り病だ。この国では「共助」こそが苦手の最たるものであって(※7)、そもそも議論をしてベストな答えを導くという習慣がなく、寧ろ縦割りと上下関係、制度の不備を隠れ蓑にして出席者が「自分にはできない」ことの言い訳に明け暮れる自称「会議」をどれほど見てきたか…。権限を与えられていない現場担当者は透明人間を装い(人事異動で消耗させられ、知見が積み上がらず)、トップは自動昇格で象徴程度でしかなく、誰も議論することもなく、結論は「自助」もしくは鶴の一声。
コミュニケーション力も現状把握力も論理的思考もないとなれば、何のために会議をしているのか…。
まずはこの現実と向き合わなくては始まらない。
コロナ禍を経た今でこそ、危機感は共有されやすいかもしれないが、同時に多くの人、業種が困窮する現状で、認知度の低い国立公園改革を進行させるのは至難の技だろう。
行政も危機感は持っているとしながらも、基本的には今まで通りの無力感(※8)を前提にし、「山小屋を応援する」程度の立場に留まりそうである。国立公園の任意団体による協議会(※9)の発展に期待する向きもあるようだが、それこそ明確な制度や行動原理もないままに、これまで通りの社会構造に丸投げすることを意味している。
美しい建築を建てるためには美しい設計図が必要なように、人々が共有できる社会の価値を生み出すためには、正しい論理が具体的に示された設計図が必要なのだ。
僕たちはどのような現実を建設しようとしているのだろうか。
※7 ボランティアは盛んだ、という意見もあるかもしれないが、あれは「自助」に類するものだ。
※8 これも縦割り行政により、権限の所在が不明瞭なことが大きな要因。
※9 共助が合理的かつ質を担保された形で機能するためには「共助」の公的な位置付けを制度化しなければ成り立たない。しかし、日本の多くの「協議会」というのはあくまでも法的な位置付けのない任意団体であって、活動の質を担保する評価システムもないし、義務や責任、権限も明示されていないことが多い。各地の自然公園で協議会を通じた協力金という名の入域料を徴収し始めているが、現に徴収するための労賃にほとんどの収益が消費されたり、横領まがいの状態で雲散霧消しているケースも起こっている。また、北アルプスのようにいくつもの登山口がある広域なエリアの場合、協議会の有無が地域ごとに異なって、協力金がある場所とない場所が入り混じる可能性がある。
共助こそ任意ではなく、透明性と規律が重要になる。とかくボランティアのことにも通じるが、日本の行政は共助の概念を「他力本願」と紙一重の意味で使っているように見える。
情報空間の闇と持続可能性、そして自然
まとめをするべき最後に、とりとめもない話をすることをご容赦いただきたい。
地球規模での気候変動や資源問題などと並んで、機械的な情報の洪水に見舞われ続ける現代だからこそ、自然の存在価値について改めて考えたいと思う。
何度も書いたセリフだが、持続可能な社会というのは景色にしろ、生活文化にしろ、多くの人が「このままでありたい」と望む状況だと僕は考えている。
エコな素材で作っても、理論的には省エネでも、実用性がなかったり、時代を超えて人々に愛される存在でなければ街ごと、山ごと棄てられ、消費を繰り返すしかない。環境問題が声高に叫ばれ、様々なテクノロジーや思想信条が先鋭化しているが、最終的に概念論や技術論では世界を築くことはできないだろう。
スクラップ&ビルドを繰り返し、個別具体的な景色や土地に対する愛着が失われれば、人々の生活の現場からどんどんブレーキは効かなくなる。
これは、とりもなおさず社会のデザインの問題だ。
デザインの枠組みを一切作らずに、全てが「個人の好みの問題」として放任されるとどうなるのか。
例えば、街並みが和風、北欧風、モダニズムやミニマリズムなどの様々な建築が建ち並び、一つ一つは理由があって作られたものでも、景観に統一感はなく仮設のモデルルーム展示場のようになっているとする。その裏山はクリーンエネルギーであるメガソーラー畑に覆われ、家電量販店は省エネの標語を掲げた新製品が無意味に溢れかえり、近所のスーパーは企業の統廃合でコロコロと看板を変える。住民の選択肢が増え、生活様式が多様化するほどに現実に人が集う機会はなくなっていく。これは日本でありがちな景色だが、例えばこういう環境を次の世代が「このままでありたい」と思うだろうか。
20世紀前半、ドイツのデザイン学校「バウハウス」の創立者ヴァルター・グロピウスは、歴史性や風土性に規定され統一感を保ってきた都市デザインが、機械化や情報化、グローバル経済によって、個人の恣意性や商業のコマーシャリズムによって無限に流動的になり、混沌として行く状況に対し「多様の中の統一」の重要性を訴えた。
守るべき共有価値や景色の統一性を失い、テクノロジーの暴走や巨大資本の拡大に歯止めをかける存在(意志)がなくなった世界では、自由という名の下に返って人々が孤立し、無力化する。そうなると、巨大資本が市場原理に基づいて、世界を好きなように作り変えていくのに身を委ねるしかなくなる。重要なのは、自由そのものではなく、個人の可能性や人生の質が毀損されないことであって、そのためには最低限の社会デザインを共有する必要がある。秩序を失えば、多様性も失い、自由も保てない、全てはバランスの問題なのだ、という考え方である。そして、それらのことは表面的な知識では実現しない、内発的な深い感覚(美意識)の共有が不可欠であると…。
この考え方は僕には非常に納得できるものだ。
そもそも、自然の営みが美しいのも、弱肉強食ではありつつも、無限の拡大ではなく、常に多様性の中の均衡に向かっているからだ。
だが、この理念もスマートフォンの台頭によって決定づけられた情報化の加速度的な拡張により、さらに実現困難な状況になりつつある。
現実には、個人や地域が情報インフラによってつながれば繋がるほどに多様性は脅かされ、失われるほど多様性が叫ばれている。情報のアーカイブ化によって表面的にはインターネットは多様性のプラットホームと見なされがちだが、実際の作用は正反対に向かっているのだ。
多様性の庇護者であるはずの情報空間が富の集中化を助長し(グローバル経済のヒエラルキー、優劣を先鋭化させ)、富の集中こそが画一化を加速する。グローバル化で格差社会の下層に追いやられた人々は情報空間を逆手にとって排外主義(反グローバリズム)で応戦し、上位層(自由主義者)はパッケージングされた正論で「無知」を矯正しようとする。どちらも相手に触れずに自分の信念を押しつけようとする現象だ。
多くの人々がスマートフォンに膨大な時間を費やす中、記憶や感覚を共有することはいよいよ困難になり、総じて現実や他者への経験的な洞察力や共感力が失われて行く(さらには情報の自然淘汰でわかりやすく派手な言説に集約化、分極化も起こる)。現実への距離感を麻痺させながら、他者を批評・批判する機会は無限に増えるわけで、能力と行使できる力のギャップが拡大し、様々な軋轢が生じるのは当然だ。情報リテラシーが叫ばれるも、増えすぎた情報空間におけるリテラシーはいよいよ不可能に近く、自己と世界の関係性、距離感は曖昧になり、人々は真偽不明な「お気に入りの物語」に逃避するしかない…。
僕は、グローバルな情報空間に依存した世論形成では、「共有」や「スローダウン」がコアになるべき持続可能性の理想を社会に実装することは難しいと考えている。人はどうしても共有する以上に本能的に「競争」「拡大」することに傾斜してしまうからだ(※10)。
気候変動やコロナ禍によって既存のグローバル経済や都市世界の限界が白日の下にさらされ、自律分散型の社会デザインへの転換が謳われている一方、ともすると分散型の構想は画一的な情報空間に依存することになる。SDGsの台頭も、気候変動や資源の枯渇、格差の拡大などに歯止めがかからなくなる流れと反比例するものであり、それ自体が壮大なパラドックスのようでもある。環境保全の問題にも通じるが、体験や景色の共有もなく、炭素量やエネルギー効率などの科学的概念論で、人々は団結できるだろうか。
グロピウスの時代から100年、人類に対して「自然とは何か」「調和とは何か」という問いが、かつてなく大きく突きつけられている(※11)。そして、世界中が資本主義システムに取り込まれ、絶え間ない競争の上に成り立つ共依存状態にある中では、いっさいの綺麗事は通用しないだろう。グローバルのためのグローバルではなく、際限のない自由主義と多様性の混同ではないあり方。量から質、搾取から共有、消費から創造及び維持への転換を、あまたの矛盾を乗り越えて実現するしかない。
果たして、僕たちはこれからどんな世界で生きていこうとしているのか。
一つ言えることは、この世界にあって自然は、数少ない「共有可能」な価値であるということだ。そして、その価値であり、景色、経験を共有するための大切な舞台の一つが国立公園と呼ばれる場所である。
目の前に広がる景色を共有するところから、新しい物語が始まるはずだ。
このことを思いながら、山小屋の現場で、やれる限りのことをやろうと思う。
※10 念のため申し添えると、僕は既に自分がそこからも利益を享受している以上、情報化、国際化を全否定したいわけではない。バランスを調整しないと不利益が優ってしまう、という考え方だ。
※11 コロナ禍についての私見は昨年の「登山自粛論」の際とあまり考え方は変わっていないので、興味のある方は参照していただきたい。
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