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先輩指導者の教室見学される際の参考に~良い教室とダメな教室とは~

良い教室はただ見ても分からない。
静かな教室が良いとか、壁に掲示がされている教室が良いとか、Webを見ていると色々と口コミがあるけど、そのような表面的なことで判断できるほど、簡単ではないと思う。

良い教室は、子どもが生き生きと学習している教室。でも、誰でもそういう気持ちになれないときもある。学年を越えたずいぶん難しい学習をしている子どもたち。人間だから、時々、弱気になることもある、目の前の壁が高くて、乗り越えた経験が少ない子は、泣いてしまうこともある。だから、生き生きと学習していると一言で言うのは簡単だけど、それを見て分かるのだろうか、と正直思う。

静かな教室で、どういう想いで子どもがそこに座っているのだろうか?日ごろからそういう気持ちで子どもを見ているか?
先生から興味も持ってもらえないような教室に居させていいのか。私は、そんな教室は嫌だ。ここに自分の居場所があると思えるような環境、分からないことを分からないと先生に言える環境を作りたいと思っている。そんなことを言うと、質問ばかりかと思われるけど、そんなことは全然無い。むしろ質問は少ない。子どもが自分で考えている証拠だ。逆に私はもっと質問に来てもいいんだよと思っている。言語化することで学ぶこともあるのだから。

放置を自学自習と勘違いしている教室。私は、そんな教室にはしたくない。全然自分で考えようとしない子には、ここまで手を差し伸べてみよう、と考えるのがプロなのではないか?自学自習が大事なのだから、自分でできない子はダメだよねとレッテルを貼るようなことはしてはいけない。

悪い教室は見たら分かる気がする。
先生が怒鳴っている教室、先生に笑顔が無い教室、子どもがボーっとしている教室、静かすぎる教室、子どもが解くのが速すぎるのも問題。指導者の先生が座って採点をしている教室、子どもを見ていない教室。

沢山の保護者が子どもの学習を食い入るように見ている教室も心配。子どもの学習をなんでそんなに見るのか?何か悶々としたものがあって、それが解消されず、保護者が悩んでいる状態。公文式に預けていいと信じられないから、そういう状態になる。

全部私が通った道だから。今は違うと分かる。

じゃあ、教室見学で先輩指導者の教室の何を見るのが良いのか?

悪い教室は反面教師と思えばいい、そこから何を学んで帰っても自由なのだ。私は、自分のアンテナや感性を大事にする。

私自身、すごいと評判の教室に見学に行かせていただいたところで、何がすごいのか、さっぱり分からなかった。ポカンとして、帰った記憶がある。
他の教室から、パッと目で見えることだけで何かを得ようとするなというか、何かすごいことをしていると思わないほうがいい。きっと、すごいのはそこじゃない。

すごい指導者は、きっと簡単には見えないところを見ているんだろうなと今は分かる。そのためには、子どもを家庭を知ること。だから、表面的に簡単に見えるものではないはずだ。テクニックや声掛けをまねてみようと思うのかもしれないが、それは全く意味が無い。むしろ、なんでそれをしているのか?どうしてそういう声掛けなのか?直接聞いてみないと理解ができないだろう。

結果として、教室で見えている子どもたちの学習の様子や雰囲気は、指導者やスタッフのそういう気持ちが伝わって出来上がるもの。だから、雰囲気だけ真似しても、何も得られないし、前にも進めない。

幼児さんを自立させたいと思ったら、まずその子の家庭や、保護者に目を向けること。今、家庭で起きていることや、困っていること、感じていることを共有してもらえるような仲間になること。

そして、きっと『幼児さんでも自立できる!』と信念をもって、なんで目の前の子が自立できていないのか?考え続けることだ。

この仕事は、表面的にしか理解していないと、全てがバラバラとした情報として伝わってきて、一つ一つ大変なこととしか思えないものだが、ちゃんと全部の繋がりを理解し始めると、なんとも面白い仕事だと感じ始める。

保護者にも、生徒にも一つ一つの出来事から教えられているという気持ちで自分にできることを真摯にこなしていく。そういう気持ちをずっと失わないこと。

どんなすごい教室を作っている人も同じ人間なんだ。だから私にもできるはず!と思うこと。私はずっとそう思っているし、自分はまだまだだ、もっとできるはず、とも思っている。

何より原動力は、子どもの笑顔と、スタッフという仲間がいること。これより幸せな仕事は今の私には見つけられないと思う。

東郷

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