これはご自愛メイクだから
50過ぎて今更ながらメイクにはまり、プチプラのコスメアイテムを買い揃えたりYouTube先生の動画で勉強したり塗ってみたりしております。楽しい。
そんなある日、うちの店(「お茶の時間 雲間」という喫茶店をやっております)にお茶飲みにいらしたお客さんから
「あのー、○○さん(youtube先生のおひとり)のインスタ、フォローしてませんか」と言われてびびった。
なんでもその方もフォローしてて、フォロワーのところに雲間がいてびっくりしたんだそうだ。まじすか。
「いやーわたしもファンなんですよ!」というその方とキャッキャ言いながら話が盛り上がる盛り上がる。
「あの神回見ました?あれはすごいっす」
見た見た!なんちゅう美しい仕上がりよ。気合いが違ってましたよね。
「○○ブラシ(youtube先生監修のメイクブラシセット)買いました?」
実は買っちゃいまして。まだ届かないんですけど。
「わたしもついうっかりポチっちゃいました。届くの待ち遠しいっすね」
などとメイク談義に花を咲かせていると
それを聞いていた他のお客さんがお勘定となり
つつつと近寄られ
「これが、そのメイクした顔ですか」
とじーっとわたしの顔を見た。
「その筆届いたらもっとすごくなるんですね、覚えときます」
と帰られた。
「これが、そのメイクした顔ですか」
わたしには
「それで、この顔ですか」
に聞こえた。
「それで、この程度ですか」
と。
わたし、自分の顔が嫌いでしてね。
小学校の頃はデブで、足も遅くて、給食食べるのも遅くて
おかっぱ頭で、好きなお洋服も着れなくて、
なんで○○ちゃんはあんなに可愛いんだろう、
なんで自分はこんななんだろうって、ずっと思ってた。
中学の時もそうだし、高校生になってもそうだった。
「女の子」にアレルギーを起こして、ずいぶんこじらせた青春だった。
若いってだけで、スタイルも良くないし、髪は癖毛で爆発してるし、
おしゃれしたつもりが人から変わってるねって言われてピントがずれてるようだったし、メイクは、よくわかんなかった。
どうせ、メイクしたって、って思ってた。
社会人になり、そういうコンプレックスを怒りにかえて、そしてそれを仕事の燃料にして、鉄砲玉みたいに働きまくった。
そういう暴走火の車みたいな働き方は結局我が身を焼き尽くし、真っ白な灰になって人生をいったん白紙にした。
そのときに、ひたすら、やさしかったのが、お茶だった。
急須の湯の中で、茶の葉がゆっくり開いていくのを眺めていたら
もうそんなに怒らなくっていいんだよ、と言われた気がした。
そっかぁ。
いいのかぁ。
真っ暗闇の自分に、光が差し込んできたような
だから、のちに開くことになった店の名前も「雲間」にした。
これまで生きてきて、そのほとんど、自分を嫌いで、自分にきびしくて、自分に怒っていた。
もういいじゃん?
お茶がそう言った。
そうだね。
それからは、これまでを取り戻すように、できるだけ自分を好きになるように、なんか許すように、甘やかすようにした。やっとできるようになった。
今では甘々です。
そして自分の顔にメイクするってこと、やってみて思ったの。
あ、まつげぐーっと上がると、目が大きく見える!いいじゃん!
この口紅きれいだな、こんな綺麗な色塗るの楽しいなって。
ちょっと、いいなって。
「それで、この顔ですか」
そう言われた瞬間、時間が巻き戻る気がしてね。
そう、どんなに何を塗ったって、この顔ですよ、ってね。
もう家に帰りたかった。メイク、落としたかった。泣きたかった。
でもね、50になるって、たくましいのね。
しくしくお風呂で泣くかな、と思ったら、そんなこともなくて
アホらしいな、と思ったのね。
あなたのためのメイクじゃないから。
これ、わたしが、わたしのためだけにしてるメイクだから!
下手でも、みっともなくても、うるせえよ。
これはやっと手に入れた、自分でじぶんをいいと思えるための
ご自愛メイクなの。
やっと、自分を愛するための、毎朝の儀式なんだよ。
だから黙ってて。と思えたの。厚かましいわ〜50歳。
明日の朝もまたメイクする。
プチプラのアイシャドウを嬉々として塗る。
まつげ上げる。シミやシワを嘆きながら塗ったりする。
出来上がった自分の顔を、昨日より好きだと思えるように。