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西国三十三所観音巡礼 【紫雲山 葛井寺】大阪

世間は三連休とのこと。

平日を休みにしたい働き方をしておりますので、
世間とはズレた生活をしてます。

そんなズレ、生き方にも反映しているようないないような・・・


”ズレてる方がいい”
 とミヤジさんも唄ってますので

いいと思います(笑)



そんな世間とはズレた休みの日に、久々に西国三十三所巡礼して参りました。

前回から半年経ってしまったという怠惰ぶり。

言い訳は色々ありますが・・・

ほら、ジャワや気候や法事やアレやコレやね。
あと、日帰りで公共交通機関で行けるところが段々と少なくなってきて・・・

ブツブツ言わずに進めと?


はい、今回の巡礼に訪れたのは、お隣の県。

近くて遠い大阪府。


奈良県生活三年を過ぎますが、大阪に出向いたのは数回。
ほとんどが美術館か乗り換え。

藤井寺駅は近鉄南大阪線にある駅で、何度か通り過ぎたことがあります。

初めて降り立つ。

駅を出たところにある案内板を見ると・・・

古墳がたくさんある地図。

この辺り、かなり歴史的に興味深いエリアのよう。




駅からすぐの商店街を通る。


葛井寺とかいて
ふじいと読む



商店街を通り過ぎたすぐに出てきたのが西門。



西門
豊富秀頼により南大門として再建。後に現在地に移築
四脚門
重文



正面は南大門のよう。


南大門
お色直ししたばかりで
朱が鮮やか



紫雲山
美しい山号






第五番 紫雲山 葛井寺

宗派 真言宗御室派
開基 行基
創建 神亀2(725)年
 

ご本尊  十一面千手千眼観世音菩薩像(国宝)

御詠歌  参るより 頼みをかくる 葛井寺 花のうてなに 紫の雲






お線香
立てません









こちらのご本尊の千手観音さま、本当に千本の手をお持ちとのこと。

毎月18日にご開帳があり、お姿を拝めるとのことでした。

いつか日にちを合わせて拝観に伺いたいです。




さて、こちらのお寺、寺伝によると聖武天皇より古子山葛井寺(紫雲山金剛琳寺)の勅号を得たとされている。


また、

葛井寺は7世紀前半百済からの渡来人葛井氏の氏寺として創建されたと伝わります。
葛井氏の前身である白猪氏は朝廷から葛井連(ふじいのむらじ)の姓を賜ります。
日本で初めて体系的に刑法や行政法と民法を揃えた法典「大宝律令」(701年)の作成にも葛井一族は大きく関わっており、葛井氏は新しい文化を多くもたらします。その実績が認められ広大な土地を賜り、その地に寺を建立し葛井寺の基が始まったとされます。

葛井寺HPより



中興に関しては

永長元年(1096)に藤井安基という人物が、葛井寺の荒廃している様子を嘆き、伽藍の大修理に尽力します。その姓をとって「藤井寺」という別名がつきました。地名の「藤井寺市」もこの藤井さんが元だと言われています。
藤井安基は元々は誰も手が付けられない乱暴者でしたが、急死した後、閻魔大王に地獄に落とされるところを藤井寺の観音様に救われ蘇生します。その後堂宇を大々的に再興し葛井寺の為に命をかけたと言われています。

葛井寺HPより









本堂から南大門を望む



習慣的に立ち寄って、お参りしていく地元の方が多そう。





みんな大好き
びんづるさん




境内を散策。


阿弥陀堂
令和大改修中




瓦を切る










旗掛の松(三鈷の松)



楠木だけど
松の木






境内を拝観していると・・・


スタコラ歩く姿の方が。

もしや!


雲「あの〜、もしや?」





雲「あの〜」





空「なんじゃ?」




間違いなく、あの方でございました。

ご修行中でございました。

フットカバーを着けて・・・どちらへ?






アレも






南大門近くの大きなクスノキの下に、小さな仏様が。








クスノキ








葛井寺、とても親しみやすい地元のお寺という印象でした。


奈良時代にすでに多くの渡来人がこの地に居住していたということ。

インバウンドや移民などと海外からの渡航者が話題になる昨今、
それは大昔からの話でした。

大和も河内も当時はかなりインターナショナルな都市だったのでしょうね。




土地は藤井寺と呼ばれる。

今回、このとかいてふじと読むのが不思議で
調べてもその読み方を解いたものがなく、モヤモヤしてました。


そんな中、こんな記事を見つけて、読み方とは別に
言葉の意味をとても興味深く読ませていただきました。


そう、葛と藤

葛藤


智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

よく知られた『草枕』の一文であるが、ここで漱石は心の中で異なる思いが衝突し、悶着を生じ、いずれを選ぶべきかに迷うのが人間であることを如実に語っている。このようなことは誰しもが経験することだろう。その究極は「生か死か、それが問題だ」というハムレットの有名な独白であろうか。どちらを選ぶべきかと思い迷うことや、人と人との間の確執や抗争で苦悩することを〈葛藤〉という。
ところで、二つの気持ちが対立する状態を、なぜ葛(かずら)と藤(ふじ)との二文字で表記するのであろうか。葛も藤も樹木に絡み付くツル草で、このツル草が縺(もつ)れて解けない状態が〈葛藤〉である。実はこのような意味で〈葛藤〉の語を用いたのは仏教経典である。

ツル草の葛や藤が生い茂り、錯綜すると縺れて解き放つことができないように、私たちを悩ませる貪欲や愚痴などの煩悩は容易に断ちきることは出来ないと教えている。『法句経』には「愛結〔煩悩〕は葛藤の如し」といい、『出曜経』には葛藤が樹木にまといつき、樹を枯らすように「愛綱〔愛欲の綱〕に堕する者は、必ず正道に敗れ、究竟に至らず」と説き、煩悩を〈葛藤〉に譬えている。
仏典では、正しい道理の理解を妨げ、仏道修行の邪魔になる煩悩を、樹木にまとわりつき、やがて枯らしてしまうツル草の葛や藤に譬えている。

木村 宣彰(仏教学 教授)大谷大学



日々、大なり小なり何かと葛藤して生きているように思う。

それがスルッと解けるときもあれば、
ますますこんがらがってどうにもこうにも、という時もある。

ただ、ワタシはそんなに人の世が住みにくいものとは思わない。

他人とのことよりも、自分の中でしなければならない決断や選択が
あれやこれやと錯綜する葛藤が多いです。




〜〜 葛 藤 〜〜









真っ直ぐでなくても、シンプルにスルッと生きたいものです。



そんなことを巡礼で知った言葉でおもう。



そうそう、楠木正成から色々調べていたら・・・色々繋がり
また行かねばならぬ?! お寺を見つけた。


足は二本、時間が足りぬ。

空海さま、お力を。





【今日のおやつ】

全く見つけられない栃の木。
なので実はもちろん手に入らん。

唯一のチビ栃の実も全く開く気配なし。

なんだか似た子を見かけた。

栗饅頭


なんでそんなにトチノキ、実が欲しいかというと・・・

栃の実のかわいいコを山ほど収集した名人がいらしてね。
羨ましくて仕方がないのです。

トチノミ師匠


いいな〜





良い連休を!




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