THE WITCH 魔女 増殖+楽園の夜+オオカミ狩り
「ウサギとカメ」
映画は映画館で・・・というのが映画ファンと称する人たちの言葉ですが、そもそも映画館というのは「2本立てで500円、入れ替えなし」という時代にこそ通じるもので。今の1本2000円近い料金で、しかも入れ換えというシステムになったときから映画館の時代は終了しているのである。
これは「ラーメン1杯が1000円超え」というくらいにバカなことなのです。1000円を超えれば、それはラーメンではなく、ただの贅沢品です。映画もラーメンも500円であってほしいのです。それが僕の時代遅れの常識です。
さて、パク・フンジョン監督の「THE WITCH 魔女シリーズ」の2作目です。1作目が想定外の奇想さ面白さであったから続編には期待したのですが・・・期待外れでした。
これは全作が殆ど屋内で繰り広げられる目を見はるほどバイオレンス表現であったのに対して、今回は屋外でCGばっかりの安っぽい戦いが繰り広げられるのです。韓国映画は「魔女シリーズ」だけでなく「キルボクスン」(ビョン・ソンホン監督)「カーター」「悪女」(ビョン・ソンヒョン監督)などのワンカット風の暴力映画の傑作がありますが、カーターまでくると、少し「やり過ぎ」のイメージがあります。奇抜さを狙うあまりに肝心の内容が伴わないのです。
韓国というのは、奇想奇抜が得意な印象ですが、実は巧妙なモノマネというのも得意なのです。中国の感覚のような所謂、盗作ということではなく、巧妙に作中に取り込むということです。
昔・・・90年代だったと思いますが、弱小家電雑誌で働いていたときに「液晶テレビを宣伝してくれ」と韓国大手家電メーカーが売り込みに来たことがありました。しかし、当時の韓国の液晶モニターは画質が悪くて使い物になりませんでした。そのうちにPCモニターの方で流通し始め、気がつけば、アメリカで液晶モニターが人気ということを知りました。今や液晶モニターの主権を握ってしまいました。
何を言いたいかというと、韓国社会が民主化したのは90年代です。Windows95が登場して、韓国は、韓国国民は、IT化をすんなりと受け入れました。すると、あっという間に日本を追い越すんです。ああ、中国も同様です。これは日本の高度経済成長期(昭和29年から昭和48年までの19年間)に似ています。IT化が進むと同時に文化も進みます。
日本は90年代に経済も文化も低迷します。私のような古い世代が新しい波を受け入れがたく停滞してしまうのです。その間に韓国はK-POPやテレビドラマに映画といった分野で文化的にも進化していきます。もちろん文学や芸術といった分野でも驚くべき進化を遂げています。
「あとから来たのに追い越され~♪」
しかし、それは日本よりも数十年遅れた展開になるのです。表現は悪いのかもしれませんが、日本の高度成長期と文化が同時に発展していたのと同じです。ところが、韓国のIT化は日本より進んでいます。これが奇妙な現象を引き起こすのです。
現在の韓国の文化発展は、日本の昭和30年から50年代の文化発展と同じだからです。遅れていると言っているのではなく、日本の高度経済成長期の文化発展と同じだと言っているのです。
奇妙なのです。高度経済成長期のことをよく知っているからこそ奇妙な感覚に囚われてしまうのです。だって、日本の高度成長期と韓国の高度成長期に「表現する道具」が全然違うのです。韓国はインターネットとITを駆使できているからです。日本の高度成長期には全てアナログだったのです。カメラはフィルムで(その後、VTRになりますが)、暗くなりゃ撮影できない。上空からの映像は飛行機やヘリコプターから撮るしかない。フィルムは現像しなきゃならないけれど、デジタルならその場ですぐ確認できます。文章は手書き、どこかに送りたいときは郵送するしかない。時間がかかります。今はネットでファイルを送ればいいんです。即、確認できるんです。
しつこいようですが、日本の高度経済成長期はアナログ、韓国(中国も)の高度経済成長期はデジタルです。ポイントは「時間」です。アナログなら1週間・・・いや、1年かかるところが、デジタルなら一瞬です。
ウサギとカメなら、日本は自分の早さに助長してバブルでひと眠りしたところを、あとからやって来た亀に追い越されてしまった。水戸黄門風に謳えば「あとから来たのに追い越され~♪」と、いうわけです。
「暴力とCG」
超暴力映画の元祖というのはサム・ペキンパーさんなのだと僕は思うのです。これはアメリカン・ニューシネマの流れで結実した暴力表現です。それからジョン・ウーによって銃撃シーンの「着弾」「紙片飛び交う」たくさんの弾が発射されているように見えるタランティーノは、また違うのです。彼はオタクに走っており、しかも単純過ぎてほとんどわけのわからない物語展開は僕には「?」です。でもキライじゃない。公開されたら観るって感じです。
「キングスマンシリーズ」「ジョン・ウィックシリーズ」なんかは人気があるものの、ほとんどCGです。新しい工夫があり、スピード感溢れる面白い殺陣ですが、銃撃などの発火や出血なんかはCGなのでリアル感に欠けます。だいたい、アメリカ映画の暴力映画はこれが欠点です。以前も書いたかもしれませんが、リアルドンパチ(リアル感のある銃撃シーン)は、1995年の「ヒート」(マイケル・マン監督)ぐらいまででしょうね。リアルドンパチマニアは、いくら迫力があるドンパチシーンであっても、所詮CGにしらけるだけです。
韓国映画でも少し古い「アジョシ」(2010年)、「泣く男」(2014年、共にイ・ジョンボム監督)は、リュック・ベッソン監督の「レオン」(1994年)のような物語に暴力シーンを組み合わせており、リアル感があります。ああ、今気がついた。韓国バイオレンス映画は、ジョン・ウーの影響を受けていると思っていましたが、リュック・ベッソンの影響も大きいですね。
そこで魔女シリーズの監督であるパク・フンジョン監督による「楽園の夜」(2021年)は最高でした。もう何度も観ています。必見なのはラストに用意されているチョン・ヨビンさんが悪党の集まる海辺の食堂を襲撃して悪党全員を銃殺してしまうシーンなのです。銃が発火、ブローバックして排莢を行なうのですが、そのショックがヨビンさんの銃を打つ手に伝わってきていて、これが本物の銃を撃っている(本物銃の空包でしょうか?)ように見えるのが素晴らしいんです。気に入らないのはこれが悲劇であることです。救いようのないラストというのは精神的に疲れちゃいますからね。悪党たちの態度も大好きですね。
今日観ていたのが「オオカミ狩り」です。舞台は海の上に浮かぶ貨物船の中という設定です。太平洋戦争中に日本軍が作った改造人間(?)が、無差別に人を殺すのですが、改造人間が登場するまでに残虐な殺人を展開する警察官と犯罪者集団の話が何だったのか?的に無意味なんです。
これも「カーター」同様に奇想バイオレンス作品で、僕でも目をそむけてしまうほどの過激な虐殺シーンなのです。韓国映画ドラマに欠かせぬ豪華な出演者たちが「すぐに死んじまう」のが面白かったです。
ガッカリしました(。・ω・。)