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「運命を左右する自分自身が神であることに気づけ」

僕は、神社や寺が好きで、前を通ることがあれば必ず手を合わせて家族の無事を祈っています。しかし、もし、大事な人が、あまりにも不幸な要因によってこの世からなくなることがあれば神頼みなんてことは一切しないでしょう。神社や寺や教会には行くこともなくなるし手を合わせて拝むなんてこともいたしません。

「金払ってるのに少しも言うことを聞いてくれない者」を有り難がるなんてことは本当に愚かだと思うのです。ですから神社や寺好きでも、それなりに歴史があるからであって、歴史の遺構として重要視しているからに過ぎません。神社や寺なんてのは古式詐欺です。反社会的と言えるでしょう。

そもそも江戸時代や明治時代にできた歴史の浅い宗教とかさ、それに民族差別じゃないのですが、海外の宗教なんて有り難がるに値しません。

とにかく歴史の遺構として手を合わせたり拝んだりしているのであって、そこに毎回、僅かな小銭でも寄付してあげている(この態度は良くないですがw)のに、僅かな願いも叶わないというのはあまりにも不合理であると思うのです。

今回も大変な出来事があったのです。これが最悪の不幸に結びつくのであれば、冒頭述べたように、僕は神や仏を侮蔑し嫌悪するでしょうね。

「長生きしてね」と願えば「認知症になって人に迷惑をかける(表現が悪くてごめんなさい)」ことになるし、「認知症にならないでね」と願えば「病気で早死に」しちゃうことになるのです。神や仏なんてのは人の願いを不幸な方に導いちゃう奴らでさ、少しもありがたくないモノなのですよ。神や仏なんてのは、姿形がないものですから、そもそもが信じるに値しないモノなのです。それがさ、まあまあの願いを聞いてくれたらありがたく思っちゃうジャンかさ?

でもね・・・。

それは神や仏によるものではなくて、自分自身の運によるものなのですね。ですからね、結局は神や仏を祀る建物なんかどうでもよくてさ、自分自身が運命を左右する存在であることに気づけば、自分自身を崇め奉ることになるのです。ですからさ・・・自分自身を大切にしようねって話ですよ。

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