見出し画像

カルチャースクール ChatGPT補助あり

前回と今回(明日)のカルチャースクールでは「音」というテーマで書いてもらった課題文を講評するのです。提出してもらった課題分を修正したので、以下に転載しておきます。

しかし、文章を修正したのは僕だけではありません。僕が修正した文章を、さらにChatGTPに修正してもらったのです。できあがったモノを読んでみたら、僕が修正したモノよりも的確に修正されていたので驚きました。うん、あとはAIに任せればいい。アナログな文章講師を辞める潮時なのかもしれませんね。

◆まずは、受講生Aさんの作品。

「自然音は、癒やしとは限らない」

「カエルの鳴き声がうるさい」と田んぼの持ち主に苦情を言った人がいたというニュースを観た。それは以下のような張り紙が起因していた。

『田んぼの持ち主様へ カエルの鳴き声による騒音に毎年悩まされています。 鳴き声が煩くて眠ることができず非常に苦痛です。 騒音対策のご対応をお願いします。 近隣住民より』

田舎では騒音にならないカエルの鳴き声が、よそからの移住者には不快なのだろう。 田んぼのカエル、草むらの虫、明け方のニワトリ、牧場のウシ・・・の鳴き声、それに肥料や家畜の糞などの匂いは、田舎の日常であり、自然なのだ。 私は高原の農村で生まれ育ったので、それらに違和感はなく、許容範囲のことなのだ。田舎では「人口密度」は低く、「カエル密度」や「ムシ密度」の方が高いのだから仕方がない。

そんな私にも少々苦手な音がある。「海岸の波の音」だ。 山育ちの私には、海自体が異質で、その波の音というのがこんなにも不快になるとは思いもよらなかった。昼間の波はそうでもない。海が見えるからだろうか? 不快なのは、夜間の波の音だ。真っ暗な海の沖から押し寄せてきて、海岸に砕け散る波の音だ。それは激しく一律的で、延々と連続していることが私の不快神経を逆撫でするのだ。 カエルも虫も動物も鳴きたいときに鳴いて終わりだが、海岸の波の音は終わりがない。私がその場から離れるか、何らかの防音対策をするしか方法がない。 小学生のとき、臨海教室というのがあって、長野から山を越えて新潟の谷浜海岸というところまで行った。生まれて初めての海だったから、とても感動した。

同級生たちと楽しく遊び、夜も更けて、いざ就寝というときに波の音が聞こえた。波の音というのはザーっといった山間の渓流の音とはまったく違った。一律的で永続的なその音が不快で全く眠れない。おまけに窓から入ってくる磯の匂いと、潮でべとつく湿度の高い風も不快だった。それでも疲労感からうとうとと浅い眠りについてしまった。

そこで夢を見た。

高い岩場、崖の上に、おすもうさんが立って海を見ていた。そして、その場から真っ逆さまに海に飛び込む。おすもうさんの着水と同時に「どーん!」という波音がして、激しい水しぶきが上がった。

そのおすもうさんはひとりだけでなく、次々と崖の上に現れる巨体は、同じように海に飛び込んでは「どーん!」と波音をたてて水しぶきをあげるのだった。そんな奇妙な夢を起床時間まで見続けた。

その時、「日本海側の荒海の近くでは暮らさない」と心に決めた。

その後、長野から上京して太平洋側の海を見る機会が多くなったが、不思議なことに太平洋側の穏やかな海は平気なのだ。好きも嫌いも場所によるのだと思った。

人それぞれ感じ方も体質も違うので、一概には言えないが、自然に身を置いて暮らすには、それなりのリスクを伴うのかもしれない。「自然に癒される」というのは、日常的ではなく、自然を遠くから見ているから生まれる感情だと思う。自然の中にある音は、癒やしの音だけではない。世の中は、人間に都合良く構成されていないと、再び感じさせられた。

◆続いて、受講生Bさんの作品。ChatGPTの白眉は、こちらの文章修正でした。まずは僕が修正したモノを見てみます。

「静寂の中の音」
 
世の中には様々な音がある。私たちは日々の生活においてそれを感じる。それらの音を感じるのは聴覚であることがほとんどだが、ある種の音や震動などは身体で感じる。
 
その音には、心地よい音もあれば、不快な音もある。
私にとって心地よい音の代表が自然音や音楽である。他にも朗読や演劇における俳優の声などいくつかある。
不快な音には騒音や喧噪、人間同士の悪口雑言などがある。
私は、もうひとつ、耳には聞こえない音があると思う。それは心の中で感じる音である。心がチクチク、ワクワク、ドキドキ、頭が痛くてガンガンする・・・などだ。
また、瞑想の中で感じる心に響く静かな音もある。
音を感じ取り、聞き分ける感覚は大切だと思う。

◆これだけです。味気ない文章。これをChatGPTに修正してもらいます。それが以下の文章です。特に最後の太字部分が素晴らしいです。GPT様を尊敬します(゚_゚;)

「静寂の中の音」

世の中には様々な音が存在します。私たちは日々の生活でそれらを感じ取っています。それらの音を感じるのはほとんどが聴覚ですが、ある種の音や振動などは身体で感じる音には心地よいものもありますが、不快なものも存在します。私にとって心地よい音の代表的なものは自然の音や音楽です。また、朗読や演劇における俳優の声なども心地よく感じます。一方で、騒音や喧噪、人間同士の悪口や雑言などは不快な音として感じられます。

しかし、私はもうひとつ、耳には聞こえない音が存在すると考えています。それは心の中で感じる音です。心がチクチクとしたり、ワクワクとしたり、ドキドキとしたり、頭が痛くなったりガンガンと響くことがあります。また、瞑想の中で感じる心に響く静かな音もあります。

音を感じ取り、聞き分ける感覚は非常に重要だと思います。音は私たちの感情や体調に影響を与える力を持っています。そのため、自分自身が心地よく感じる音を選び、不快な音から遠ざかることが大切です。

自然の中に身を置くということは、確かにリスクも伴うかもしれません。しかし、その中にある静寂や自然の音は、心を癒し、新たな気づきや感動をもたらしてくれるでしょう。ただし、人それぞれ感じ方や体質は異なるため、一概には言えません。自然に触れることで感じる喜びや癒しは、個人の経験や状況によって異なるものとなるでしょう。

「静寂の中の音」は、私たちが日常で感じる様々な音について考える機会を与えてくれます。音には個人の好みや感じ方がありますが、自分自身の心と身体との調和を大切にし、心地よい音を選ぶことで、より豊かな日常を過ごすことができるのではないでしょうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?