妄想邪馬台国15
「出雲の国盗りの際にオオクニヌシが、“国を譲るかわりに、高天原の大御神の御殿のような高く大きな神殿を建てていただきたい”って言ったじゃない?」
「うん」
「それが出雲大社だと言われるんだけどね、今は24メートルなのよ」
「デカイね」
「出雲大社の伝承には、かつて48メートルもあって、もっと前には96メートルもあったって言うのよ」
「すげぇな。ゴジラみたいだね」
「ゴジラは50メートルだろう? ゴジラより大きいよ」
*ゴジラは16作目で80メートルに設定され、現在では100メートルを超えた体長に設定されている。近年の高層ビルや超高層ビルの影響だ。
「だからさ、しつこく言うように天智、天武天皇の頃の出来事を、もっともらしい話に創作するしかないのよ。いくら天皇家だからって遠い昔のことなんか記録しているわけないんだからさ」
「神代も同じような話を繰り返して、いい加減だしね。だいたい、神武天皇の即位を紀元前660年と設定するから、つじつま合わせで滅茶苦茶な内容になるのよ」
「中国の三国志(魏志倭人伝)にある卑弥呼の記事が確かであれば、古事記や日本書紀の継体天皇以前の記録がまったくの創作であることがわかるね」
「古事記や、日本書紀の神代というのは神話文学なんだよ。これは世界共通のことさ。同じような話を何度も繰り返して不完全ではあるけれどね」
「でもね、倭の五王ってのがあるじゃない?」
「何? 倭の五王って…」
「しょうがないわね。よいしょっと…」治子がコタツの中で胡座をかいたようで、異能はコタツの中を想像しているのか不思議な笑いを浮かべている。
「何?異能くん…倭の五王について説明したいの?」
「あ、へへへへ。違うよぅ」異能は、スケベエな本心を誤魔化すため変態のような笑い方をした。きっとコタツの中に頭を突っ込んで、胡座をかいて丸見えになっている治子のパンティが見たいのだろう。でも、それはやめたほうがいいと思う。
「異能、我慢しろ」と思わず声に出してしまった。
「え、何を我慢するの?」治子が首を傾げた。
異能を見ると真っ赤な顔をして必至に我慢しているようだ。博学とスケベエが同居した不思議な男だ。治子もそれに気づいたようだ。
治子は異能を睨みながら「じゃ、私が説明するわ」と言って説明し始めた。
倭の五王とは、中国の史書に記録されている5人の王(讃・さん、珍・ちん、済・せい、興・こう、武・ぶ)のことで、神武天皇を紀元前660年として中国の史書と日本書紀を比較して考えると、五王に該当すると思われるのが、讃は応神(15代)、仁徳(16代)、履中(17代)。珍は仁徳、反正・(18代)。済は允恭(19代)。興は安康(20代)。武は雄略(21代)と考えられる。
1968年に埼玉県行田市の稲荷山古墳から発見された稲荷山古墳出土鉄剣(金象嵌)には「獲加多支鹵大王」と刻まれており、21代の雄略天皇から贈られたものであるということが有力視されている。辛亥年と刻まれていることから辛亥年は471年が定説だが、一部には531年説もある。471年であれば雄略天皇、531年であれば安閑天皇となる。安閑は66歳で即位し、僅か4年で崩御してしまう。次の宣化天皇も69歳で即位し、同様に4年ほどの在位であり、鉄剣に刻まれるほどの力があったか疑問である。
ただし、安閑の父・継体天皇が崩御したと推定されるのは、鉄剣に刻まれた年の531年であり、もしかしたら継体から贈られたものかもしれない。
また1970年代に千葉県市原市の稲荷台1号古墳から発見された王賜銘鉄剣(銀象嵌)には「王賜□□敬□(安)」、裏面に「此廷□□□□」と刻まれており、一緒に収められていた鋲留短甲と鉄鏃の形式から5世紀中期のものと推定されると、鉄剣は19代の允恭天皇から贈られたものと考えられている。
2本の剣は、王(天皇?)から賜った鉄剣であることから、雄略、允恭の実在性が高くなったのである。
「倭の五王の実在は確かなのよ。そこに日本書紀があるからね。それから倭の五王を推定しちゃうと、推古天皇以前の天皇も実在したと思われるのね」
「日本書紀が創作であるとしたら、それに無理矢理推定する必要もないけどね」
「うん、私は倭の五王が存在した倭の統治国家と、継体天皇以降の天皇家があったと考えているわ」
「古事記に描かれる国家と日本書紀に描かれる国家は違うというわけだ」
「そうそう」
つづく