災害の多様性「心の災害」
義父を戸田市の精神病院に入院させるときの話です。
それまで入院していた西葛西の総合病院の相談員が「うちに入院していられるのは3ヶ月だけです。その後のことを考えなければならないのですが、私が戸田市にある精神病院に連絡したら、受け入れても良いと言ってくれたので、そちらに入院するのはいかがでしょう?」と言うので、「義父を介護施設に入所させるまで一時預かってもらおう」と、家族の意見が一致して戸田市の精神病院に入院させることになりました。
あとから考えると、西葛西の病院では、叫んだり暴れたりする重度の認知症患者の世話をするのがイヤで、「精神病院なら大丈夫だろう」とテキトーな思いから病院を紹介したのですね。
当時は寝たきりの義父を40キロ近く離れたところまで移動させるには介護タクシーを使うのですが、この料金が高いんですよ。当時から貧乏でしたから義父と一緒に住んでいた義妹に出させて移動しました。
精神病院に入院させてからしばらくして面会に出かけました。
義父が車椅子で運ばれてくるのを面会所で待ちました。面会所といっても食事や交流を行なう大きな部屋で、少し離れたところでは入院患者たちが大きな声で叫んだり、ブツブツとつぶやきながらウロウロしているんです。面会する窓側のテーブルとの境には壁もありませんから、自由に動き回っているんです。
随分前に福岡県の精神病院に入院していた義父の父親を見舞いに行ったことがあります。義父、義母は福岡県田川の出身で、親族はその地に住んでいます。認知症はどうやら遺伝するようですね。その病院では患者たちとしっかりした壁がありましたが、戸田の病院には壁がないんですね。
義父を待っていると、ひとりの女性患者がフラフラと僕に向って近づいてきて、僕の顔を見ながら窓の方を指さして「あそこから飛び降りたら死ぬかな?」と言ってニヤリと笑ったのです。しかし、もちろん窓は換気のために僅かしか開かないので飛び降りることは不可能です。しかし、窓が僅かしか開かなくても、松田聖子さんの娘さんの神田沙也加さんのように飛び降りることができるようですがね。
精神を病むというのは大変な事なんです。罹患してしまった当人の不幸よりも、その家族など周囲が大変なのです。僕もかみさんも、精神的な病になることの恐怖を感じています。来年早々には67歳になってしまうのです。心の病への恐怖感は増大しているのです。
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