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シルバー人材日記         「危機を想定するのは難しい」その1



「かみさんと乳がん」

かみさんと結婚したのは1991年だった。平成3年だ。当初は僕の実家がある神奈川県大和市で暮らしていた。結婚数年後にかみさんが乳房に異常を感じて、相模原の北里大学病院で診てもらったら「乳腺症」ということだった。それからの経過を記憶していないが、完全に治療することなく、かみさんの実家があった今の千葉県に引っ越してきた。

2004年になって「乳房にシコリがあって痛い」と言うので、「乳がんの専門病院に行ってもいいか?」と言われ、当時は会社員でありながら、多額の借金があった僕は「そんなの心配ない。金もないのに病院なんか行くな」と言った(酷い奴だ)。その2年前にかみさんの母親が乳がんで死んでいたから、かみさんは自分も乳がんではないか?と不安になっていたのだった。

ところがかみさんの不安は増大して、義父が入院していた飯田橋のK病院で義父に診察費を借りて乳がんの検査(細胞診であったと思う)をしたら、確たる乳がんであることがわかった。医師は「一緒に治療しましょう」と優しく言ったと言う。

それを聞いた“がんのことなんか何も知らない”無知な僕は、「がん=死」であると決めつけてしまって表現できぬほどの大きな衝撃を受けた。かみさんが検査したいと言ったときに検査をさせなかった自分を恥じ、彼女の命を軽視して検査費用をケチった酷い亭主であったことを自覚しながら、専門書を数冊買い込んで読込み、セカンドオピニオンたる病院を探すと同時に、彼女の病気に良いと思われる「がん克服食のような食い物」を買い込んでは作って食べさせた。その内容はなんてことないんだが、肉は禁止にして、ブロッコリー、人参、きのこ、生姜にニンニクなんてものをぶち込んだカレーライスに、ほうれん草、人参、キャベツ、ブロッコリーなんかをジューサーにかけて飲ませ、ジューサーの野菜カスも煮込んでカレーやスープとして飲ませた。

かみさんの生命より金を重要視した自分自身を侮蔑して反省したのだった。

当時働いていた会社に「かみさんが乳がんになった」ことを話すと「かみさんの治療に傾注せよ、仕事も出られるときだけ出社せよ」という許可が出た。さらに数ヶ月前に加入した“がん保険”も有効となり、入院費、手術費をカバーできたのだった。この当時は「会社員であった」から救われたのだった。保険料なんかも会社勤めしていたから払えていたのだった。

「貧困の中の再発」

乳がん地元の乳がん検診は2年ごとに行なわれる。以前は毎年行なわれていたが、いつの間にか2年ごとになった。今年はその検診の年だった。検診と言ってもマンモグラフィだけなのだが、かみさんがそのマンモグラフィ撮影にひっかかった。市役所から届けられた手紙の「要精密検査」という文字を見て泣いていた。

かみさんは20年前に乳がんの左乳房全摘を受けている。その2年前にはかみさんの母親が乳がんで亡くなっていたから当時は「乳がん=死」というイメージが強かった。乳がんは術後10年経過でそれが手術から20年も経過しているから完治であろうと安心しきっていた。

,それに地元のマンモグラフィを毎年受けていて、これまで異常がなかったのだ。ところがマンモグラフィが隔年になったことで、1年の空白期間ができた。その間にがんが巣食っていたということだろうか? 皆目見当がつかない。

恐怖にさいなまれながら専門病院に向った。マンモグラフィの画像だけで「確たる乳がん」であると決定づけることはできない。どうか違ってくれと祈りながら結果を待った。ところが・・・。

今回は組織診(針生検)といってピストルのような本体の先に付けられた、返しがついた針で、患部(しこり)の組織片をこそぎ取り、この組織片によって、確たるがんであるかどうかを調べるのだが、この結果が出るまで2週間かかるというのだった。時間がかかるのだ。

医師の診断では地元で行なったマンモグラフィ画像を見て「がんの可能性が高い」と言っていたので乳がんには間違いないようだが、乳がんの大きさと、ソレに伴うレベル(ステージという)がいくつなのかがわからないのだ。

かみさんの初回の乳がん手術の際には、飯田橋の大きな病院で細胞診(乳房のしこりなどの病変部分に細い針を刺して細胞を採取する検査)によって「乳がんであるか?」「ステージいくつであるか?」がその日のうちにわかったと記憶しているから、何故このように時間がかかるのだろうか? と疑問に思うのだった。

「病院選びを間違ったのか?」と後悔した。もっと大きな総合病院に行けば、生検診断にも時間がかからないのかもしれないと考えたからだ。何せ、かみさんの乳がんは2度目(再発)であるし、初回の際には、あれほどたくさんのがんの本を買って精読し、病院選びにも時間をかけたのに・・・。

イヤ、あの頃の僕は会社勤めをしていて、それなりのお金があったから、病院選びもできたのだ。希望する病院に行き、ソレがダメならば、セカンドピニオンだ・・・なんて芸当もできたのである。ちなみに前回は乳がん診断は飯田橋の総合病院、手術入院したのは秋葉原(浅草橋との間にある)の病院だった。つまり、セカンドオピニオンの病院で手術入院したのだ。

しかし、今回はお金もないから「生検診断にも費用がどのくらいかかるのか」わからないので、近くのまあまあ定評がある病院で検査だけやってもらって、その結果によって病院選び(つまりセカンドピニオンになるかな?)をしようと考えている。

「せっかく、仕事がみつかったのにここで病気になるなんて最悪だ」とかみさんは嘆いている。

つづく

「愚痴」

しかし、この世が不公平なのは理解しているが、富裕なる者は原資があるからより豊かになり、貧乏人は日増しに貧乏度が増すのだ。必死に仕事をしているならまだいいが、散歩してギャラもらって、製作費で高価な食事をしている芸能人とか、国の象徴とかで何かあれば一流病院で診察や手術をしてもらえる人間などが、この世にはウジャウジャ存在する。

富裕層に該当するかは知らないが、政治家なんてのは何も仕事していないくせに無駄に金を搾取していて腹立たしい。たとえば僕には1万円は1万円の価値があるから貴重だが、奴らは1万円の価値を1円くらいにしか思っていないだろう。

と思えば、20万円のために人殺しまでする「まともに働くことができぬ特殊詐欺強盗団」のようなオオバカ野郎たちも存在する。これには町の各自治会で自警団を作るしかないだろうが、関東大震災の自警団のようになってはいけないよな。

とにかく、この世の不公平さによって、神も仏も存在しないことが理解できるだろうが、将来、神の代わりとなるやもしれぬAIが普及しつつある現代でも、つまらぬ時代遅れな宗教観によって戦争したり、テロ事件を起したりする阿呆が存在するし、確たる救いもないのに何かに必死で祈る僕のような馬鹿も存在する。

まあ、この世には近いうちに天罰が下ると思うよ。ただ、僕はなんぼでも天罰が当たっていいけど、お願いだからかみさんにだけは天罰を与えないでいただきたいものだ。


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