ドラマ「おやじ太鼓」57話の台詞
平和な時代の、富裕層(といってもいいでしょう)の家族たちを描いたドラマでしたが、その贅沢な生活ぶりがホームドラマとしては不自然でした。子ども心に自分の家庭と比べて不思議に思ったのを記憶しています。以前も書きましたが、お手伝いさんが2人いて、昼食に「うな重」を出前してもらって食べているほどの富裕さです。
ただ、苦労して建設会社を大きくした頑固親父は、やはり昔の人間ですから、今見れば、ただの偏見者なのです。ドラマの中で昭和を生きている彼には、それ以降の甘ったれたバブルは想定できなかったでしょうし、さらに進んでの社会的な経済破綻や、副業、起業が盛んになって1億総社長とも言える不思議な企業形態を構築し始めることなど想像することもできなかったでしょう。さらに現在進行中の温暖化による異常な気候変動のことなど考えもつかなかったでしょう。
さて、今日はおやじ太鼓の57話からの台詞を拾ってみました。一見、まっとうなことを言っているようですが、それは昭和40年代だったからです。昭和が終わり、空しい平成、令和と年号が変わって人間の心はどんどん病んでいますし、社会も悪党ばかりがのさばる時代となっています。以下の台詞からは平和だった時代に、未来を想定できぬ日本人の姿が描き出されています。幸福があれば同時に不幸があるし、平和があれば同時に戦争もあるのです。誰もが背中合わせの現実を知ろうとしません。それが人間の社会悪と言えるでしょう。
◆おやじ太鼓57話の台詞
鶴武男(主人公の息子)「今日は暑かったですねぇ」
鶴亀次郎(主人公)「夏は暑い方がいいんだ。だいたい日本は四季の変化がはっきりしているからいい」
「しかし、どうなんです。よく言うじゃありませんか、昔はもっと暑かったとかもっと寒かったとか・・・」
「そうですよ。昔の人は頑張りがきいたんですよ。今のように贅沢な冷房だの暖房なんてなかったんですよ」
「幸せですね、今の人間は」
「幸せか幸せでないなんかわかるもんか」
「は?」
「人間の幸せはそんな簡単な事じゃありませんよ。怠け者で頑張りがきかなくなって、唯からだが楽なら幸せだと思ってるんだよ。そんなことなら昔の人間の方がよっぽど呑気で幸せでしたよ」
「ですけど、貧乏人はどうだったでしょうね?」
「貧乏人ならなおさらですよ。わしみたいにチャンスがあったし、人と人との温かいつきあいがありましたよ。それが、どうだこの頃は・・・」
お手伝いのオトシ「お待たせしました」
「オトシなんか頑張りがきいて偉いですよ」
「私が何か?」
「オトシさんは頑張るから偉いってさ」
「いやだ、偉いか偉くないか知りませんですけど、頑張るしかないからですよ」
「いやぁ、それが今の人間にはなかなか出来ないんですよ。すぐ金のことばかり言ってそのくせ精一杯働くことはキライなんだ」
「そうそう権利が先で生きるのはあとなんですからね」
「尊徳でしかものを考えないんだよ」
「もっとも自分の価値は金で判断するしかありませんからね。たくさん儲けるとかたくさん取るとか・・・」
「それがいけませんよ。それが・・・。だから金が儲かるから政治を野郎なんて奴がたくさん出てくるんですよ」
「そうそう、そうなんです」
「何だか知りませんけど、私なんか月給上げていただくより、もうちょっと楽にしていただいた方がいいですわ」