妄想邪馬台国「大友皇子」
大友皇子 (648~672)
「大友皇子って千葉に逃げたって説があるのよ」治子が言った。
「大友皇子って弘文天皇のことだとだよね」異能と治子の間に挟まれて無知な自分を恥じて必死に勉強している僕は自信なさげに言った。
「ふふふ、稗田くん、凄いじゃん。勉強してるんだね」
「君たちにこれ以上、バカにされたくないからね」
僕の言葉に異能と治子が愛おしいものを見るような目で見ながら微笑んだ。
「弘文天皇が千葉に流された蘇我赤兄を頼って逃亡したって説だよね?」
「うん」
「蘇我赤兄?」知らない名前が出てきた。
「ふふふ、まだまだ勉強が足りないわね。有間皇子を罠にかけて破滅させた悪人よ」
「ああ、有間皇子って?」
「ふふふふ、孝徳天皇の息子でね、斉明天皇が中大兄皇子を後継者にしたいために邪魔な存在なのよ。当の有馬は政争を避けて心の病を装ったんだけど、斉明と中大兄皇子は信用しない。天皇家って兄弟が多いと互いに殺し合っちゃう・・・あ、それはほとんど天皇の意思ではなく、天皇にくっついて権力を掌握しようという輩の意思だけどね。だから蘇我赤兄を使って、斉明の悪口を言わせて謀反を起そうと誘惑しちゃうのよ」
「それにまんまと引っかかったんだ」
「そうだね。それから蘇我赤兄は有間皇子の邸を包囲して皇子を捕らえたんだよ」
「んで、絞首刑ね」
「有間皇子は中大兄に尋問され、“すべては天と赤兄が知っている、私は何も知らない”と言ったんだ。気の毒だけど、当時の天皇と権力者の内部抗争ってのは暴力団の勢力争いと同じだよ」
「ダサいよね」治子が口を尖らせて“プッ”と息を吹いた。
「あの・・・大友皇子のことは?」
「ああ、また脱線したね。それから斉明のあとを中大兄皇子・・・つまり天智天皇ね、彼が継いだのよ。それから彼が亡くなる前にさ、自分の息子の大友皇子(弘文天皇)を後継者にすべく、邪魔な弟の大海人皇子・・・」
「天武天皇だね」
「おお、稗田くん、素晴らしい。勉強した甲斐があったね」
「ふん」
「天智が弟の大海人皇子(天武天皇)を、有馬皇子同様に罠にかけて抹殺しようとしたんだね」
「それを察した大海人は出家すると言って、奈良の奥の吉野に引っ込んじゃうんだ」
「その前に斉明のあとを継いだ天智天皇は、母親の斉明、弟の天武とともに唐・新羅連合軍と白村江で戦いで敗れて、唐・新羅に侵略されるのを恐れて大津に遷都していたんだね」
「大津・・・近江の、琵琶湖畔の?」
「うん」
「へぇ・・・大和から京都を通り越して・・・かなり遠いじゃん」
「天智って臆病なのよ。だから白村江で負けちゃうのよ」
「でも大津って、あり得ない」
「近江ってのは天皇家にとっては重要なのよ」
「継体も越前とか近江出身と言われているもんね」
「あ、大海人皇子(天武天皇)が引っ込んだ吉野も天皇家にとっては重要な地なのよ」
「後醍醐の南朝だよね」
「そうそう」
「吉野って…奈良?」
「うん」
吉野行宮
「大津も謎だけれど吉野も謎だね」
「謎だ、なんでだろう?」
「今じゃ吉野は奈良県だけど、大昔は木国と呼ばれていた和歌山県の一部だったんじゃないかな?」
「ああ、木の国=紀ノ國ってことよね?」
「八十神たちに迫害された大国主命は木の国を経て素戔嗚尊がいる根の堅州国に行き、結局は出雲に定住するんだけど、この木の国っていうのが吉野だと思うんだよ」
「大和(奈良)じゃなくてね」
「うん」
「奈良でも和歌山でもいいけど、和歌山と出雲は太平洋と日本海って真逆だぜ。吉野に出雲にテレポートするように移動できる穴でもあるのかい?」
「面白い説だね、神話だからってバカにしちゃいけない。現実的には…うーん、ほら、天武天皇は壬申の乱で吉野から伊賀、桑名と進んで大友皇子に勝利しただろ?」
「うん」
「それだよ。吉野から壬申の乱と同じコースをとって近江から出雲に入ったんだろう」
「また、現実的で面白くはないね。それに、大友皇子はどうなったのよ?」
「慌てない、慌てない」
つづく