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関東鉄道常総線の旅(2008年3月29日)

昔、ブログに書いた文章をこちらに転載しています。過去に書いた文章をこちらにまとめて整理したいのです。

 関東鉄道が好きになっちゃったのだねえ・・・。それに今回はニコンの一眼D200ではなく、新たに導入したキヤノンのG9の試し撮りをしたかったのだ。
 12時過ぎに出発。東武野田線「流山おおたかの森」でつくばエクスプレスに乗り換え、「守谷」へ。守谷から関東鉄道常総線で前回の「水海道」を経て終点の「下館」まで行っちゃったのだ。

 守谷駅に着いてホームに行くと、1輌編成のキハ2402「下館行き」が止まっていた。そこに「水海道行き」の別な2輌編成のキハ007が到着したので、それに乗って水海道に・・・。水海道で車輛は回送となり、そこに先ほど守谷駅に停車していたキハ2402がやって来た。

 小絹駅と水海道駅の間に関東鉄道車輛基地がある。僕が前回水街道駅から徒歩で見学に行ったところだ。今日は走る列車の中から水海道の車両基地を通過するときに例のDD502の勇姿を見ることが出来た。

 しかし、DD502のように昔の車輛はかっこいい。ディーゼルでも電車でも、時を経て新しくなるほどデザインが鋭角的になりかっこ悪くなる。世代が新しくなるほど一見すらっとしてるが中身がブサイクになるというのは人間と同じだ。関東鉄道には、ほかにキハ353(白とオレンジ)キハ101(オレンジ)、キハ102(白と青)、キハ3518(青)などが現存している。鉄道マニア初心者のための首都圏近郊鉄道といったところだ。ちなみに僕は詐鉄だからあまりこだわりはないのよ。

 水海道から下館に向かう。電車は各駅停車だから多少イライラするし、水海道から下館までが物凄く遠く感じる。おまけにガタンゴトンと走るディーゼル車に揺られるとなんだか眠くなる。うとうとしながら車窓からの景色を眺めていると、筑波山が近づいたり遠ざかったり(路線がジグザグに走っているせい?)して幻想的である。 

 下館駅までの途中には、深田恭子の映画「下妻物語」で多少有名になった下妻駅がある。駅を出発して車窓から遠くを見ると本当にJuscoがあり、笑ってしまった。常総線の途中には田園の中からや満開の桜の木を挿入しながら(今回は早すぎた。おおたかの森あたりは満開に近いが、守谷から下館までの桜はまだ咲いていなかった)など列車撮影のポイントがたくさんあった。桜を入れて撮影するならば「黒子駅」がよいようだ。田園の中から撮影するならばどこでもいい。常総線のほとんどが田園地帯だからだ。

 下館駅に到着。5番線が常総線で階段を上って左に歩いていくと改札口がある。途中に水戸線、改札へ行かずに左に行くと1番線に真岡鉄道のホームがある。真岡鉄道にはDE10と車種がわからない妙な模様のディーゼル1輌(モオカ14型っての?)が停車していて、数人の人が大急ぎで走っていく。出発間近だったのだ。

 DE10は好きなディーゼル車で、NとHOの両ゲージを所有している。本物と比較してみると、やっぱり本物とは違うよなあ・・・。

 下館から真岡に向かおうと思っていたのだが、なんだか空が暗くなって雲行きが怪しい。それにもう午後3時だ。中止だ!

 改札口を見ていると、大人だか子供だか判断できないような男が改札から出ようとしてピンポンピンポン!と警告音を鳴らしている。諦めたのか改札を出ずに真岡鉄道ホーム方面に消えた。

 とりあえず駅から出て駅前の景色を見る。ところがこれが駅前なんてもんじゃなくてなんとも不思議な風景なのだ。一応、駅前にはボーリング場なんかがあるビル「下館スピカ」ってのがあるのだが、なんせ人がいない。駅前には青木繁の絵「海の幸」のレリーフがある。青木とこの街は関係があるのか・・・多分ないのだろう(実はあるのだ。追記参照)。この先に美術館があるから「美術の街」とでも言いたいのだろうか?そういえば水海道駅にも「街の人たちの絵」を飾った通りがあった。ここら辺は芸術家地帯なのだろうか。

 駅に戻って切符を買おうとすると券売機が全部“準備中”となって買えない。しかたないからみどりの窓口に行って「守谷まで2枚」と言うと「つくばエクスプレスに乗るのなら改札に入って5番線で切符を買ってくれ」と言われた。ピンポンピンポンとまた自動改札機が鳴っている。またさっきの男だ。今度は強行的に改札を突破しようとする・・・すると改札の止め羽(なんていうの?)が閉まる。しかし彼はそれをものともせずに「ふんっ!」て具合に押しのけて立ち去る。駅員は追いかけて捕まえようともしない。おかしなところだ。

 再度常総線で守谷に向かう。帰りは意外に早い感じで守谷駅でつくばエクスプレスに乗り換え、おおたかの森で降りて、駅近くのシネコンで「燃えよ!ピンポン」を見て帰った。映画が馬鹿すぎて肉体的にも精神的にも非常に疲れてしまった。

追記(2021年5月17日):青木繁は、明治38(1905)年の8月に、茨城県下館市(現:筑西市)川島に滞在して、地元住民をモデルに神話を題材とした作品を制作したそうです。また同地に滞在中、恋人の福田たねとの間に長男の幸彦(福田蘭童)が誕生したのです。そういった縁から筑西市では青木繁作品のレリーフがあるのです。

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