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飲みたい夜もある
のっぴきならぬダイエットのため酒を極力控えている私(詳細は第17週「肥満からの脱出」を参照)であるが、たまには飲みたい夜もある。
健全な理由としては友人らとの食事の場や、所用あって新宿二丁目のバー「A day in the life」ほかを訪う時。
そして不健全な理由としては、同業のBL作家たちの輝かしい活躍にジュワッと目を焼かれた時だ。
そうした訳でSNS等では刺激の強そうな情報をなるべくシャットアウトするなど対策を練ってはいるのだが、極稀に私の警戒をすり抜けて眩し過ぎる情報が目を焼きに来ることがある。見たいポストは間引く癖に見たくないポストをしれっとお出ししてくるXが憎い。殺す気か。
この週刊エッセイでも度々触れているが、基本的に私は碌たら本も書かない癖に作家へ妬み嫉みを寄せまくるルサンチマンおばさんである。ただデビューしただけの一発屋ならぬゼロ発屋の成れの果てをとくとご覧頂こう。ジャジャーン! これである。
当然ながら、私は上記のような卑しい自分が我慢ならぬ。しかし、妬み嫉みを無いもののように自らを御せるほど成熟した人間でもない。そもそも成熟した人間ならばこのようにルサンチマンを拗らせることもなかろう。ただ、このように拗れた感情をそのまま脊髄反射でネット上へ放出しないだけの理性と、感情を調理しこうしてエッセイのネタにするだけの機転があることだけは幸いだと言える。否。もしかするとこの記事も充分ヒンシュクを買っているのかも知れないが。
もうとにかく斯様にして目をジュワッとやられた時は感情のやり場がないので、そんな時はしょうがなくコンビニへ走る。そしてワインを1、2本買ってきては適当なつまみと共に爆音で好きなラジオをかけ痛飲するのである。ストゼロはかつて「飲む福祉」と呼ばれたが、そこそこ強い酒なら私にとってはなんだって福祉足り得る。
そうした痛飲の先にあるものは、意外にも広い視座だ。酔いが都合の悪い現実のピントをずらし、一段階ほど俯瞰したものの見方を与えてくれる。
もう随分前の話になるが、同じようにジュワッとやられて酒に走った際。それは某売れっ子作家氏のインタビューを目にした時のことであった。(分不相応は承知である。堪忍いただきたい)
要約すると、氏は「自分は書くことに夢中になりすぎて結婚にも失敗し、人様から見ると成功とはかけ離れた寂しい人間だろうと思う」とインタビューの一幕で発言しており、私はそれにびっくり仰天したのである。
何冊ものベストセラーを出し、メディアミックスも多くされているというのに、成功していない? なんだその自己評価は??
と素面の私はたまらず飲む福祉に頼ったのだが、いいだけ酔いが回り世界の全てがピンぼけした頭でもう一度インタビューを読んでみると、全く違う視座からその記事を捉えることができた。
その時私が覚えたのは妬みや嫉み、苛立ちではなく「なんという貪欲さ……!」という感心と「人の思う“成功”や“幸せ”の定義というのは実に多様なのだなあ」という当たり前の納得であったのである。
そうすると不思議なもので、不快なルサンチマンは私の胸の内から姿を消した。よそはよそ、うちはうち。自分が自分のことを「幸せだ」と思うことができれば、他人は関係ない。それに妬みや嫉みに身悶えしている暇があったら、買文に相応しいプロットの一つでも作れるよう研究に努めるのが建設的。
そう思いながら、そっと頂いたお手紙を仕舞ってある引き出しを開けるのだ。
痛飲の先の視座は、いつもそんなことを私に教えてくれる。これで二日酔いと肥満のリスクさえ無ければ尚良いのだが……。
というわけで、私のルサンチマン退治法は少々代償が大きい。もし同じような感情に支配されることのある方がいらっしゃれば、その対処法を共有して頂けると有難い。一時的なものでも構わない。
なぜならこの散文を打っている現在の自分も、二日酔いの頭痛と吐き気、胸焼けと寝不足に辟易としているからだ。願わくば健全な酒を少量頂くだけの人生が送りたい。いたたたた……。