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父親の底力

このページではいつも父親を腐してばかりいるので、たまにはお父さまの素晴らしいエピソードも紹介していこうと思います。

育児界隈やお受験界隈ではとかく影の薄いお父さま。主役であり、フロントマンであるお母さまにくらべると、その存在感はあまりぱっとしません。お受験をドラマに例えれば、主役をはり、セリフも多く、物語の中心にして主演女優であるお母さまに対して、お父さまの存在はその他大勢の役者たちに紛れてしまうほど小さなものです。出番は一話つき一度あるかないか。セリフも少なく、その扱いはほとんどモブキャラと言っても過言ではありません。

これは脚本が悪いのでしょうか? それともシナリオライターのせいでしょうか? ちがいます。世のお父さまは自ら望んで、その立場に身を置きたがるのです。

お受験に限らず、お子さまの育児や教育に関して、総じて父親はあまりフロントに立ちたがりません。夫婦間でも進んで主導権をお母さまにゆだねることが多く、自分は好んで後方のポジションに下がります。この態度は一見奥ゆかしいとも言えますが、見方を変えれば責任逃れと言えなくもありません。消極的逃避行動ともいえるこの所作を男性は、父親は、なぜ好んで繰り返すのでしょう? 仕事がいそがしいのか、それとも妻ほど我が子と濃密な時間をすごしていないという引け目がそうさせるのか・・・。いずれにせよ人生をともにする伴侶としてはともかく、お受験という局地戦において、お父さまはあまり戦力にはなってくれません。

長年この仕事に携わってきたぼくの、一般的なお父さまの印象は一言で言うとこうです。

「お子さまには優しいけど、何もしなさすぎ」

今時のお父さまはお子さまに優しいです。子煩悩ですし、とてもお子さんとの時間を大事にします。「育児にコミットしない」と言うと、一昔前のバリバリの仕事人間で、子どもに関心を払わないそっけない父親像をイメージされるかもしれませんがそんなことはありません。最近のお父さまはとにかくお子さんをかわいがりますし、どんなに仕事から疲れて帰ってきてもお子さんと遊んだり話したりする時間は欠かしません。ハグもしますしスキンシップも大好きです。

しかし幼児期に必要な肝心のしつけはと言うと、なにもしていない印象があります。あいさつの指導はしませんし、ルールやマナーの概念を教えることもありません。お手伝いやお約束を守らせることもしません。なにより問題なのは、最近のお父さまはお子さんを叱るということをしません。お子さまを叱るのはなんとなくお母さまの役目となっており、いわば汚れ仕事は妻に任せ、子育てにおけるたのしい部分、おいしい部分だけを担当されている印象です。もちろんそうでないご家庭、お父さまもたくさんおられるでしょうが、お子さまをただ盲目的にかわいがることは育児の本道とは言えません。

お受験においてもこうした消極性がなくなるわけではありません。お子さまのことをとても愛しているし、大事に思っているけれども、ではかといって自分から旗を掲げて、この挑戦に敢然と挑んでやろうという気概はない。

面接時によく見るお父さまの特徴・五選はこちらです。

1 口が重いタイプ
2 何も考えていないタイプ 
3 頭はいいが堅いタイプ
4 論理最強タイプ
5 俺王タイプ  

1はなにか質問を投げかけられるとひたすら沈黙するタイプです。頭の中で思考をフル回転させているのか、それともたんにフリーズしているのか外見からそれをうかがうことはできません。気が気ではない妻を差し置いて、石のような沈黙は永遠に続くことになります。

2はあまりしゃべらせないほうが良いタイプです。話すにも育児や教育についてなにも材料を持っていないので、そもそもお受験にむいていません。連れてこなければよかった、と後でお母さまに嘆かれることもしばしばです。

3はお医者様や専門職に多いのが特徴です。話ながら文章を構築していくタイプで、地頭がいいのでちゃんと聞けますし、それなりに説得力がありますが、どこか情感が籠もっていないため途中から論文を聞かされているような気分になってきます。

4は3の派生形です。3の方の特徴をさらにソリッドにした進化型で、話し始めると論理が完結するまで止まりません。最後はなぜか必ず自分の仕事の話で終わります。

5は以前にも書いた異世界転生されたタイプです。えっ、平凡な会社重役だったぼくが、ある日突然小学校の面接会場に? 結果無双状態(以下略)

以前も書いたように我々はふだんお受験指導をしていてお父さまと会うことはほとんどありません。本番直前の最後の面接練習の時にはじめてお目にかかる、という方もめずらしくありません。当然、指導もアドバイスもそこから始まるわけで、本番までの時間もとぼしく、もう少し早くお話しできていれば・・・と内心忸怩たる思いにかられることもしばしばです。

こうしたお父さまは背広を着て面接の席にお座りになっていても、雰囲気がどこか急に連れられてきたようなお客さん感が強く(事実なわけですが)、述べられるお言葉もどこか他人事というか、当事者としての必死感に欠けるきらいがあります。わたしどももそこを指摘し、修正していただくようアドバイスを送るわけです。

───と、ここまで書いてきて、冒頭に「お父さまの良いお話を書く」と言っておきながらさんざんお父さまのダメな点ばかりを指摘していることに気づきました。これではいけません。

これからお話しするのはぼくがじっさいに体験した、あるお父さまの面接練習をしたときのお話です。

そのご家庭がお受験する予定の私立小学校はレベルが高く、とくに専科の先生としてネイティヴの講師をお招きし、児童の英語力育成に定評のある学校でした。一方お父さまはかなりの口下手で、上のカテゴリー分けで言うと1番の「口が重いタイプ」でした。お仕事は長年現業に就いておられ、風貌もそれにふさわしい日に焼けた実直そうな感じの方です。お子さんは外遊びが大好きな明るい性格の女の子で、言葉の反応も良く、ご両親に本番で間違いがなければ合格はまず大丈夫だろうと我々講師陣は踏んでいました。

が、入退出の決まりやあいさつの練習を終え、じっさいに面接が始まると、ぼくはすぐにさっきの見立てがいかに甘いものだったかということに気づきました。明日本番があっても大丈夫なくらいに仕上がっているお子さんにくらべて、ご両親、とくにお父さまの出来ばえが壊滅的だったからです。まさに何を質問してもダメ。志望動機も子育て方針も、ろくに筋だった説明もできなければ声も表情も暗い。ただ時間だけが経過していき、だんだん教室に暗鬱な空気が垂れ込めてきました。

こういうとき、まっさきに反応するのはお子さまです。自分の親が不出来であること、合格の見込みが薄いことを子供心に察したのでしょう。いつもは元気いっぱいの顔が不安と悲しみでいっぱいになっています。それに気づいたお母さまがけんめいにギアを上げてがんばりますが、お父さまの舌の出力はいっこうに弾みません。

お父さまをいちばん悩ませていたのは志望動機、いわゆる「我が校に入学を志望した理由についてお聞かせください」という質問でした。この質問は小学校受験の面接ではぜったいに聞かれると思ってまちがいない、いわば鉄板の質問です。答え方は人それぞれですが、このシンプルな質問に対し、ご両親がいかに説得力を持たせて答えられるかが合否に大きく関わってきます。

時間が大幅に超過していたこともあり、ぼくはもうこれが最後のつもりでこの質問を投げかけました。お父さまは例によって沈黙し、一言も言葉を発しません。膝に両手を置き、わずかに視線を下げてじっと口をつぐんでいるお父さまの顔をながめながら、ぼくは助け船を出すか出すまいかを悩んでいました。初めからなにも出てこないのであれば、どれだけ待っていても時間の無駄だからです。ぼくが決断を下そうとした時、それまで押し黙っていたお父さまが顔を上げ、口を開きました。

曰く、自分は苫小牧出身である。苫小牧には王子製紙があり、北国という風土も相まって伝統的にアイスホッケーが盛んである。自分も中・高とアイスホッケーをやってきたが、自分が中学三年生の時、国際交流でカナダの学校のあるアイスホッケーチームと試合をする機会があった。相手は強く、自分たちは敗れた。試合後、選手同士の交流会があり、カナダチームの選手たちと話す機会に恵まれた。そのとき自分はそのカナダの子たちにものすごく話しかけたかったけれど、英語が苦手だったのと勇気が足りなったせいで、結局何一つ話しかけることができなかった。あれから何十年もたったけれど、そのときの残念な気持ちと「英語が話せたらよかったのに」という思いは今も強く残っている。人の親になったいま、娘には英語を話せるようになってほしいし、なにより勇気を持って一歩を踏み出せる人間になってほしいと思っている。自分には誇れるような学歴はないけれど、娘にはさまざまな人生の選択肢を与えてやりたく、そのためにぜひ御校の立派な教育を受けさせてやりたいのです。

じっさいはこれほど理路整然と話されたわけではなく、途中で詰まったり、言葉を探すようにつっかえつっかえ話されていましたが、それでもそのお言葉は紛れもなくお父さま自身が自分の中から発見し、探し当てたまさに自分だけのお答えでした。沈黙の裏側には黄金が隠されていたのです。

後日、そのお父さまは本番でも同じお話をされ、お子さまは見事合格されました。

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幼児教室の先生をしています。じっさいにお受験を指導してきた立場から、お若いご両親に知っていただきたいことやお受験への取り組みかたなどをわか…

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