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はじめての切符

この仕事をしていると立派な車を見る機会がたくさんあります。お教室が終わり、こどもたちが帰る時間帯がそれで、お迎えにきたご両親の乗用車がお教室の前の通りに文字通り列をなすことになります。その大半がSUVやステーションワゴンといった大型車で、まさに色とりどり、外装はぴかぴか、さながら車の見本市のようです。きっと利便性やお子さまが移動中でもリラックスしてすごすことができるようにと考えられてのことでしょう。とくに小さなお子さまをお持ちのご家庭ほど、お乗りの車をより大きく、多目的なものにする傾向が強いようです。こどもたちに聞くとキャンピングカーを別に持っているご家庭もいるようで、アウトドアや災害時の緊急避難先など車を第二のセーフハウスとするライフスタイルは近年ますます盛んになっているようです。(とくにコロナ禍以降)

「せんせい、さよーならー」

と小さなリュックを肩に背負い、お子さまは嬉々としてそれらお迎えの車に乗り込んでいくわけですが、車内が広く、快適で便利な空間になればなるほど、車抜きで日常生活を送ることがむずかしくなります。とくに小さなお子さまは生まれたときからそうした車での移動に慣れているため、それ以外の移動手段を知りません。

ぼくがお受験指導していてとくに困るのが、最近の子どもたちは公共交通機関、いわゆる電車や地下鉄、バスといった乗り物をまったく利用したことがないという点です。生まれてから一度も自分の家の車以外の乗り物に乗ったことがない。昨今の社会事情やお子さまの安全性を考えれば無理からぬことですし、ご両親の「自分の運転する車の中が一番安全だ」という考え方はよく理解できるのですが、ではかといってお子さまが大人になるまで車での送り迎えを続けるのかというとそういうわけにもまいりません。

じっさい私立小学校の中には自身での通学を前提としている学校がありますし、(自家用車での送り迎え原則禁止)社会性やモラル、公共マナーを獲得するという意味においても、幼い内から少しずつ公共交通機関に慣れておくというのはとても大切なことです。というか、切符という概念すら知らない、改札というものを見たことがない、乗り物に乗るのにはお金がかかるのだ、ということこどもたちに教えなければそもそもお受験などできません。(そんなモンスターを送り出す気もないですし)

近年、よく交通機関で騒ぐ子どもが話題になりますが、これは幼少期から車での移動が主流になり、お子さまが公共交通機関を利用される機会が少ないまま大きくなられたこと、公共交通機関の「公共」の部分に触れる機会を与えられることがないままに、とつぜん鉄道や新幹線に乗ることになったことに原因の一つがあるような気がします。(五、六回も乗せてやれば、どんなこどもだって電車の中がお家の中とちがうことくらい理解します)

というわけで、習うよりも慣れろという言葉通り、うちの教室では毎年受験生のこどもたちを引きつれての地下鉄ツアー、電車ツアーというものを行っております。いわば乗り物に乗るのが目的の公共交通機関めぐりです。

当日、リュックを背負った大勢のこどもたちを前と後ろ、二人の先生でこどもたちの列を挟み込むようにしながらいざ出発です。(もちろん安全性の確保と迷子になったりしないように)遠足にでも行くようなつもりなのか、こどもたちはおしゃべりしながら元気いっぱいです。中には地下鉄の入り口すら入ったことのないような子もいて、地価への階段を降りるだけで目を丸くし、広い構内を見てすっかりテンションが上がっています。

券売機の前につくとひとりひとりに数百円ずつ持たせ、切符を買わせます。もちろんこどもたちは切符を買うのは生まれてはじめてです。(お金に触ることも初めてかもしれない)お金を投入し、背伸びして目的地の駅のボタンを押す。券売機が切符を吐き出したらそれを自分で管理させます。「なくさないようにね。もしなくしたら地下鉄に乗れないよ」と言うと、どの子の顔つきもきりりと引き締まります。Suicaで十分、というご両親もいるかもしれませんが、やはり一度くらいは切符を買う体験もさせておくべきでしょう。

改札を通る時はまんま遊園地のアトラクションに乗る時のリアクションです。みんなおそるおそる切符を入れ、どの子も息を潜めるように改札を潜ります。(だいたい切符を取ることを忘れる)無事改札を出たこどもたちの顔はドリブルで敵陣を突破したサッカー選手のようです。

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幼児教室の先生をしています。じっさいにお受験を指導してきた立場から、お若いご両親に知っていただきたいことやお受験への取り組みかたなどをわか…

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