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お受験は勝つことがすべて

でははじめにお受験とはどういうものかかんたんに説明します。

あらかじめお断りしておきますが、ここでは「お受験という制度の是非」について触れることはしません。あくまでどうすれば合格できるのか。どうすれば意中の小学校に入れるのか、という技術論について述べたいと思います。

これをお読みの方の中には、あるいは「お受験」という仕組みや制度に対して違和感やひっかかりをおぼえるかたがおられるかもしれません。

4歳~6歳という、本来であればまだ無条件で子どもでいられるはずの幼児の時期に、所謂ハイレベルな私立小学校に入学するために机の前でお勉強を強い、プリントを解かせ、あいさつの仕方や頭の下げ方、面接の受け答えの練習をさせる・・・。そうしたある種の学歴主義に対し、反対意見を表明される方がいます。幼児のころからお勉強なんてまだ早い、こども時代はこども時代のためだけに存在するのであり、将来への先行投資期間ではない。その貴重な時間を行きすぎたお受験などに使うのはもってのほかだという考え方をもたれる方たちです。

その考え方はとてもよくわかりますし、理解もしますが、こうした議論にぼくは加わりません。そして事実としてある、現在の日本には「小学校受験」という学齢期に達した幼児を審査・選抜し合否を決める制度が存在し、そして多くの親がわが子によりよい教育環境を与える重要な選択肢の一つとしてそれを捉え、この狭き門を突破しようと全力でがんばっているのだ、という前提でお話させてもらいたいと思います。

お受験において存在するテーマはただひとつ、「合格する」ことだけです。

これはぼくが長年幼児教育の現場に身を置く中で、常に胸に刻み込んできたテーマです。うちの教室には毎年たくさんのお受験志望のご両親がいらっしゃいます。その方たちは心からわが子の合格を願い、そのために数年を費やし、たくさんのものを犠牲にしています。仕事、睡眠、休日、プライベート・・・。とくに育児とお受験の両立は大変で、お若いお母さまの場合、二人目のお子さんが乳児だったりするとお受験の準備と育児がもろにバッティングし、身も心もへとへとになっていく方をずいぶん見てきました。

それでも乳飲み子を片腕に抱えつつ、這うようにして願書の書き直し原稿を持ってくるお母さまを見るにつけ、ぼくも失敗は許されない、ぜったいにこの人たちを合格させなければならないと強く結果にこだわるようになりました。面接指導や願書の添削のやり方を徹底的に考えるようになったのもそのためです。

近ごろはぼく自身年齢を重ねてきたせいもあって、自分を含めたお受験にまつわるこうした狂奔をある意味俯瞰して見られるようになりましたが、それでもどうせたいへんな思いをしてお受験にチャレンジするのなら、ぜったいに合格した方がいいという思いに今も変わりはありません。

どうせ戦うのなら、勝たなくては意味がない。

なのでこの場はいったんお受験という制度に対する是非は置き、このお子さまの将来にとって重要なタスクをいかにクリアするかについて話を進めさせていきたいと思います。

まれにですが、ご両親の中には自分の子育てや人生に対し強いこだわりを持ち、願書の中身や面接の場でそれを表明せねば気が済まない、という方がいらっしゃいます。そのためには面接官の先生との議論も辞さないという困った方です。(なぜか父親に多い)

そうした方に対し、わたしは常々「お父さま、あなたのアティチュードは一人の人間としては見事だと思いますが、面接の場でそれを表現するのはやめましょう。たんにお子さまの印象が悪くなるだけです」と言います。続いて「兵ハ勝ツコトヲ貴ブ、という言葉もあります。どうせ戦うのなら、勝たなくては意味がないでしょう?」と。

この孫子の言葉は「戦いとは勝利することが重要なのであり、勝ちが大きいことや鮮やかなことにたいした意味はない。小さくても、小規模でも、とにかく「戦いに勝つ」ということが大事なんだ」という意味です。お受験も同じです。お受験という制度に疑いを持ったり、面接官の先生をまるで仮想敵のように扱うよりも、もっとすべきことはたくさんあります。

受験に挑戦しようか考え中のときならいざしらず、じっさいにお子さまが受験生となったら、ご両親はお受験制度そのものに対して疑いを持ってはなりません。それは迷いにつながります。ことお受験という場において、結果は「合」と「否」ふたつしかありません。

余計なことは考えず、ただ勝ちを目指しましょう。

では具体的にどう勝つか?

次はその戦略について話を進めていきたいと思います。

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