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山の劇場とパズドラの民

 今年の夏も、富山県は利賀村の、SCOTサマーシーズンという演劇祭を訪ねた。

 そして何冊かの本を読んだ。

 夏の終わりにぼんやりと形をとりかけてきた思考がある。固まっていない、ゆらめく煙の形みたいな思考だけれど、大切そうに思うので書き残しておきたい。


 富山駅から車やシャトルバスで1時間半ちかく山道を登った先、白川郷にも近い山間部に合掌作りの家屋が点在し、いくつかは劇場に改造されている。山並みを借景にして大池に浮かぶ野外劇場、俳優たちが世話している畑など、一帯は演出家鈴木忠志氏の劇団SCOTの本拠地となっている。
 夏の演劇祭には海外や遠方から演劇関係者や演劇ファンが訪れ、地方のアクセス不便な山奥にもかかわらず、1日に3〜4本の公演が連日満席になる。

 「山房」とよばれる劇場で、いくつかの作品を見た。
 私をはっとさせたのは暗転の深さだった。「暗転」とは、場面と場面の間で照明を消す演出だ。単に時間の区切りを表すためにそうすることもあるし、ラブシーンなんかでここから先はご想像に任せますというようなときもゆっくり暗転したりする。観客は、静かな暗がりの中で余韻に浸ったり次の場面への期待をする。

 「山房」での暗転は深い、と感じたが、都市の劇場での暗転と何がちがうのか…もっと暗くてもっと静かという感じもしたが、それよりも現実が消え去って違う世界に置かれる感じ、子供の時に知っていたようなある時間に取り込まれる感じがした、というほうがいいかもしれない。
 子供時代の、友達の家の土蔵で隠れん坊をして、土の匂いのする穏やかな闇に無心に潜んでいた時間みたいだった。友達の家に土蔵があったかどうかなんて記憶にないのに、まるでそういう経験があったような気がしてきた。

 東京の劇場でも、完全な「暗転」はできる。日本の都市の劇場は、高い技術で建造されていて、どんなに騒がしい街中にあっても、ホールは何重もの鉄やコンクリートの構造物に包まれていて完全に防音され、外光もシャットアウトされている。非常灯も消灯できる。
 ヨーロッパでよくある古い建造物をリノベーションした劇場の、屋根を打つ雨音や暴走するバイクの唸りが聞こえてくるような適当さとは、日本のゼネコンが作る劇場は全く違う。
 でもそんな劇場の完全な暗闇と静寂の中にいても、子供の頃のあの時間に取り込まれる感じはしたことがない。なんとなく、鉄筋の繭の外側に依然として続いている、佐川急便のトラックが走っていたり隣のビルでデスクに向かっている人々がいる外界とあえて断絶された人工の真空状態を感じ、結局は十数メートル隔たった外側では現実の社会が前に向かって進み続けていることを感じる。

 デシベル数を計測したら、都会の防音された劇場は、利賀村の古い建物をリノベーションした劇場の内部より静かだろう。

 以前に九州大学で音響研究者の城一裕助教授を訪ねて、音の吸収剤に覆われた「無響室」に入れてもらったことがある。一切の反響がない文字通り無音の空間は不自然な体験で、耳が真空パッックに入れられたような感じだった。城さんいわく、人が「静かだな」と感じているときでも、環境に存在するさまざまな反響を聞いているのだという。

 都会の劇場で、皆が素晴らしい芝居に息を詰めて針の落ちる音も聞こえるような静寂が張り詰めた時、その静けさは無響室の真空パックに近い感じがする。
 近代的防音設備がない利賀村の劇場では、たぶん都会の劇場よりも、反響はたくさん響いていただろう。黒光りする太い梁や厚い土壁の反響、その外に広がっている山の反響に包まれた「暗転」の沈黙の深さは、コンクリートが外界を厳格に排除した中で観客が演出家の思考に圧倒されたり支配されて起きる真空状態ではなく、何からも強いられずに現実よりもっと本当の世界みたいなものにそっと沈潜していられるひと時だった。

 その時間の特別さは、音や反響だけが理由ではないだろう。空間はそこで過ごす人々の気配を堆積させていくものだが、SCOTの俳優たちが日々、鈴木メソッドで鍛錬するその空間は、彼らの集中の気配をたたえているのかもしれない。
 この春に急死した友人、SPAC (静岡芸術劇場)の葉山陽代さんは鈴木メソッドを体現するような俳優だった。陽代さんに、演技で重要なことはなにか聞いた時、過去と未来と繋がって今ただここにいること、と言っていた。「今」にスッと佇む俳優たちの気配が堆積した空間の、深い闇と沈黙は、私がサバイバルしなければいけない現実世界が消えていくような場所だった。


 私は、三年前に安定した収入のサラリーマン演出家を辞めた結果、本当なら学生の時に仲間たちと苦労して手弁当で立ち上げるようなインディペンデントな創作活動をたった一人でやり始めた。
 芸術をやるのだと気負って、まるで起業したばかりの会社の経営と事務と経理と営業を全部一人でやっている状態の中にいる。来年はいつ何をやって再来年は何をするのか一人で決めて、そのための場所や予算を探さなければならず、気づいたら色々な応募の申し込み期限を過ぎていたり取りこぼしだらけの中で、加えてそれらの営みの目的である創作の構想を練ることもしなければならない。
 しなければならないが、はっきりいってできない。創作が目的なのに、それをやり始められるようになるための手段としての仕事をこなすだけで疲弊して、アイデアが湧いてくるほどの脳のCPUが残らない。この3年はいくつかの助成がついていてフランスのアーティストビザもある、だからこの3年でどうにかならなければお終いだと思って、3年の使い方を計算しないといけないと小賢しく考えている。人生の戦略みたいな実用的で抜け目ない思考―タイムリミットと資金のリミットへの逆算で埋め尽くされている―と、創造活動で必要なアーティスティックな思考とは、全くもって相入れないにもかかわらず。

 だから、エンタテイメントビジネスから距離を置いたはずなのに、マルクス風に言うとどうやってサバイブするかという「下部構造」に囚われてかつてよりむしろ芸術とか思想が属する「上部構造」が貧しくなってしまっていた私は、利賀村に向かいながらも「遠いなあ〜時間ないんだけどなあ〜でも演劇やるからには利賀村重要だしな〜とはいえ遠すぎるな〜」というブラック労働中の営業マンのような気分で、演劇への愛とか鈴木忠志氏の尋常ならざる仕事への関心とかいうより「勉強になる」「社交も仕事」というプラグマティックな目的のもと、夏期講習の浪人生みたいな気分で合掌造りの劇場に到着したのだった。


 
 近世以降の時間は、太陽が正中する瞬間から次の正中までの時の流れを、均等に24分割して、1秒1秒、誰も等しく前に進んでいく目盛りが刻まれた時間だ。中世の終わり、コロンブスがジェノバから出航し新大陸を発見し、人間たちが投資や拡大再生産という営みを確立していった時代、ジェノバの商人や銀行家たちは、ぜんまいで動く機械時計を使って、公的文書に、日付だけでなく時刻も書き記し始めた。金融資本主義の発祥の地という説もあるジェノバで、それまでは神や教会のものだった時間(日の運行によって季節により伸び縮みする不均等な時間)は、機械で均等に計測される時間になり、人間が個人で所有できる、換金可能なものになった。

 今の私たちがそれなしではいられない「時間」というのは数百万年の人類の歴史の中で最近になって導入された人工的なツールということにかねてから関心をもっていた私は、なんとなく、利賀村の劇場の「暗転」は、そういう時間に属していないんじゃないかと思い始めた。
 あんなに時間を無駄にしたくないとキリキリした浪人生みたいだった自分が、その暗転の数秒間は完全に弛緩して、うそみたいに「下部構造」から解放された何者かとして、そこにいることに落ち着きと満足を感じていたからだ。

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