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講演会「上田久美子とフランス」1 @大阪大学

去る2024年7月3日、大阪大学アセンブリーホールにて、上田久美子講演会が開催されました。
その内容を公開いたします。記事は基本的に書き起こしですが必要に応じて加筆修正し、3部構成でお届けいたします。第一部は、上田久美子とフランスのショッキングな出会い、大学時代のこと、一般企業から宝塚に転職するまでのヒストリーです。


山上
さて、上田久美子先生につきましては、詳しいご紹介は不要と思いますが、ほんの一言だけ申します。
上田久美子先生は、2006年の宝塚歌劇団入団以来ですね、多数の舞台作品の脚本と演出を担当され、第23回読売演劇大賞優秀演出家賞を受賞する他、いくつもの重要な戯曲賞にノミネートされておられます。代表作に星逢一夜、金色の砂漠、fff、桜嵐記などがございます。
また、2022年に宝塚歌劇を退団されましたが、その後、バイオームという大変斬新な朗読劇を創作された他ですね、道化師・田舎騎士道と題するオペラも演出されました。また昨年から1年間フランスに滞在し、見聞を広められました。今日はフランスで経験されたことも伺えることと思います。
本日の公演は、大阪大学准教授の東志保さんとの対談の形式で進めさせていただきます。東さんはフランス映画、特にドキュメンタリー映画の専門家でいらっしゃいまして、クリス・マルケルという映画作についての博士論文で、パリ第3大学から博士号を授与されています。フランスというテーマを巡って有意義な充実した対話が行われることを期待しております。



ありがとうございます。紹介いただいた東です。今日は上田先生よりフランスにまつわるお話をお伺いしていきたいと思います。
上田先生がフランス文学を専攻することに至ったきっかけであるとか、どうしてフランスに行かれたとかという話から始めたいと思います。
どうしてフランス文学を専攻しようと思ったかお聞かせをお願いできますか。上田先生は、フランス文学について京都大学で勉強されておられました。その後、フランス留学もされたと思いますがそのあたりのお話をお聞かせください。

上田
本日はお暑い中お集まりいただき感謝いたします。今回は大阪大学の仏文研究室主催の講演会ということで、私がなぜフランス文学を専攻したのかという話から始めたいと思います。
私は大学の三年生で専攻を選ぶ時、学芸員に憧れていたので美学哲学を専攻することにしました。
その後、1ヶ月だけロンドンの語学学校に入る機会があり、ユーロスターが開通していてパリにすぐに行けるという時代だったので、弾丸で二泊で行ってみようと思ったのが最初のフランス体験でした。
元々フランスに興味があったというわけではなく、ただ美術に対する興味から美術館に行ってみたいという気持ちで。パリに行き美術館を巡ることにしたフランス初日、憧れのポンピドゥーセンターで、チケットのもぎりというか入場するときにチケットの半券をちぎってくれる窓口を通ったときのことです。まだQRコードシステムがなかったので、白人のおじさんに私はチケットを渡しまして、そしたらその人がべりっとチケットを半分ちぎって、私に返す半券を床に投げたんですね。
窓口からぴゃっと床に捨ててきた、あるいは投げ捨ててきた。
どういうことかそのとき私は全く理解できなくて、ただ落ちてるから拾わなきゃいけないと思って拾いました。



でもそのときに後ろに並んでいた私の友達が見ていたんです。その係員が、向かい合った窓口にいた別の白人男性の係員と目を合わせてニヤッとしたのを。
ショックを受けました。日本だとある程度は皆が同じ道徳を共有していたり、いろんな人種が入り混じっているというわけではないので、基本的には平均的な扱いをしてもらえてきたということがあったと思うんですけど、そこから外れた体験をしたのが初めてで、とにかくびっくりしました。ちょっとしたことのようだけどそれまでの人生で最大のショックでした。もちろん日本でも嫌なことを言われたり軽蔑されたりする経験は私もそれまでにしてきましたが、それは私と相手の関係性に理由があってのことで、ただ東洋人・外国人だからという自分個人に関係のない理由で「無差別に差別」され攻撃されることの痛みは、想像もしなかった強烈なものでした。
でも、それから何年も経ってから思いあたるようになったことがあります。私は窓口のおじさんにボンジュールと挨拶せず、無言で顔も見ずにチケット渡していたんです。
フランスに関わる中でだんだん理解していったんですけれども、例えばスーパーのレジであっても、フランスでは絶対挨拶をしなければいけない。品物をさし出したときに、店員さんたちの目を見て、ボンジュールって言わなきゃいけない。会計が終わった後は、メルシー、いい1日を、みたいなことを付け加える。そういうやり取りをする必要があるということがわかってきました。
そういうことがなぜ必要なのかということは、さらに後になって最近わかってきたんですけれども、フランス人は日本人と違って労働している時であっても、「レジの人」っていう役に徹するっていうことがなくて、あくまで自分は「自分という人間」という意識があると思うんです。
あくまで自分はポールであって、ポールという人間であって、どうして無視されなければいけないのか、もし友達だったら無視しないでしょ、って。
今、僕はレジにいるからといって「レジの人」として機械になっているわけではないし無視されていいわけではないんだ、という考えを持っているような気がします。
なので、オフィスの中とか受付窓口であっても、働いている人とお客さんがお互い人間として接しなければいけないっていう風習なんだなっていうことがだんだんわかってきました。ですので、私がそうしていれば、チケットをちゃんと渡してくれたかもしれないなとも思います。
その時のおじさんが人種差別主義者だったかははっきりしないですが、少なくとも窓口のフランス人たちは、郷にいっても郷に従っていない観光客の、彼らからすると侮蔑的な態度に毎日イライラしていたんだろうなと。
そのようなことがあったんですけど、そのとき私は何が問題だったのかわからなくて、絵は素晴らしいけれども、フランス人が怖いみたいな感じになってしまいました。
次に訪ねたオルセー美術館から出たところで、お腹が空いたけどレストランに入るお金もないしフランスの店員さんが怖いなと思い、セーヌ川沿いにあるキオスク、タバコ屋のスタンドみたいなところで、不味そうなサンドイッチを買いました。セロファンで包まれたそのサンドイッチは冷たいしカチカチで、二月の凍えるようなセーヌ川の欄干のところで座る場所もなく立ったまま、惨めな気持ちで齧り付きました。そのサンドイッチがものすごい美味しかったんですよ。
日本でいうコンビニのおにぎりより庶民的でどう見ても美味しくなさそうな、ハムしか挟まっていないパンだったんですが、こんなに美味しい食べ物があるなんてと思うぐらい、美味しかったんです。バターが全然違うということもあったと思うんですけれども、本当に衝撃を受けたんですね。
そこで思ったのは、この国には、あんなひどい悪意もあれば、こんな美味しいものとか素晴らしい絵があるっていう、その差がすごいと思いました。
日本にいると、自分が慣れてしまっているせいもあるんですが、美味しいとか美しいというポジティブな体験と、悪いことやショッキングなことという辛い体験の落差がそこまで大きくない気がします。日本人同士が比較的均質だから、互いにあんまりドラマティックな驚きも起きにくいということがあると思います。
パリに行ってみると、食べたこともないような美味しいサンドイッチがあるとか、自分がマイノリティになる最悪な経験とか、そういった両極のコントラストがあった。めちゃくちゃいいことと、めちゃくちゃ悪いことがごろごろ転がっていた。そこに私は無性に惹かれたらしく、何か嫌なことがある場所だから嫌だなというよりは、そのこと自体が興味深いっていうふうに感じました。
それがあってフランスに興味を持って、同時に、あんなに素晴らしい美術やサンドイッチがある国から、私はチケットを床に捨てられてめちゃくちゃ拒絶されて終わったっていう感覚があって、いつかこの国で1人の人間としてちゃんと認められたいというリベンジ精神みたいなものが湧いてきました。
これはやっぱりフランス語ができたら違うんじゃないかという気持ちになりました。しかもその極寒のセーヌ川でサンドイッチを食べていた時の冬の空が、見たことのない綺麗な色をしていて。当時私はイギリスから来てたんですけど、イギリスは冬は曇りでグレーの空なのに、パリに行くと、本当に空が、藤色からピンクみたいな感じで、日本の夕焼けとは全然違うピンク系の空があって、モネの絵画にあるような本当にその通りの色があって、空を見ていて、フランスに憧れるって言っている日本人の気持ちを理解したという感覚がありました。
美しい空があり、一方で異邦人として辛い目にあうという国に一度ちゃんと入り込んでみたくて、日本に帰って専攻を変えて四年生でフランス文学専攻に変わりました。ですので仏文専攻の動機っていうのは、単になんだかフランスという国での体験の幅に惹かれた結果という流れでした。

セーヌ川とピンクの空


それから、フランスに語学留学をされますよね。大学の交換留学のプログラムの思い出であったり、あるいはフランス文学で専攻を変えて、どういったことがあったかなど聞かせていただけますか。

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