マラケシュの夜
今月は、忙しさにかまけてコラムを書けませんでした。
10年ぐらい前に北アフリカを旅行した時に書き留めた手記を見つけたので、ここにシェアします。今もどこかで、私の演劇や表現の動機の根っこの部分に、この時の体験があるような気がしています。
文体は10年前なので、今読むとちょっと力んでいて恥ずかしいです。
時々、旅をする。曲がりなりにもイマジネーションを切り売りする仕事をしている私にとって、旅の目的は、平穏な日常の中で放っておくと動きにくくなる心に刺激を与えて活性化を促すためである。生存本能だとか方向感覚だとか、脳の使っていない部分を動かしたい。そのためには、できるだけカルチャーギャップのある遠い国に行きたい。
今や世界は随分と近くなってしまった。金子光晴が船室で南京虫に喰われながら何ヶ月もかけて渡ったヨーロッパも東南アジアも、沢木耕太郎が旅した混沌のインドも、グローバル化が進んでインフラも整い、容易に旅行できる場所になりつつある。
そんなもの足りなさを抱く中で、非日常性において印象的だった旅がひとつだけある。建築も、街並みも、大自然も、私にとってはそれまで訪れたどんな場所より非日常性に満ちて感動的に美しく…そしてその国で、私はよりによって殺されかけてしまったのである!
マラケシュという迷宮都市は、北アフリカのモロッコ中央部にある。赤い砂岩を切り出して作られたその街はサハラ砂漠への入り口になっていて、モロッコがフランスによって植民地化された19世紀末以来、白人の富豪や文化人が保養に訪れるようになった。時に彼らの目的は、本国での同性愛的志向への抑圧からの解放のためで、しばしば北アフリカに逗留したアンドレ・ジッドやポール・ボウルズといった芸術家もその例に漏れない。
ロンドン経由で降り立ったマラケシュは、既に日没だった。タクシーが入れない迷路状の旧市街でバックパックを抱えて迷い、小さな宿にどうにかたどり着いた時には夜も遅くなっていた。
いつもならばそのまま眠って翌日に備えるところだが、迷っている間に目にした素晴らしくエキゾチックな街の情景と、どこかから聞こえてくる太鼓や笛の血を沸き立たすような狂騒と、屋台から流れてくる煙とスパイスの匂いに、私はいてもたってもいられなくなった。深夜の外出は控えるべきだが、夏の心地よい乾いた夜気は、故郷の夏祭りの宵宮のように人を誘い出し安心させる親密さに満ちていた。
遅い時間であっても、昼間の暑さから解放された住民や観光客がさかんにそぞろ歩いてジャマ・エル・フナ広場へ向かっていた。太鼓の音も屋台の煙もそこから発しているようである。広場の方角を望むと、そのあたりの夜空は屋台の強い照明に照らされて周囲の漆黒の星空との対象をなし、道を知らなくても、街のどの場所からでも広場を目指し辿り着くことは出来そうだった。私は人々の流れに従って広い通りを進んでいたが、ふと脇を見ると、一本の路地がジャマ・エル・フナの光る空の方角にむかって伸びていた。崩れかけたような路地には、ところどころにイスラム独特の半円形をした梁が渡っていて、古びてはいるがたいへん繊細な鉄の唐草で編まれた大きなランタンが、それらの梁の一つ一つに下がっていた。オレンジ色の明かりが唐草を透かしてレース状に広がって、一つのランタンの向こうに、もう一つのランタンが見え、そのさらに奥にもランタンが連なって、路地の壊れた壁——かつては華麗であったはずのイスラム様式のレリーフ——をぼんやり照らしていた。その光景は、千年も前のアラビアンナイトの夢が眼前に蘇って、私を手招きしているようだった。
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