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講演会「上田久美子とフランス」part3@大阪大学
去る2024年7月3日、大阪大学アセンブリーホールにて、上田久美子講演会が開催されました。
その内容を公開いたします。記事は基本的に書き起こしですが必要に応じて加筆修正し、3部構成でお届けいたします。第三部は、質疑応答と、宝塚に関するメッセージです。
山上
上田さん、本当に面白いお話をありがとうございました。上田さんと呼ばせていただきますけれども、いろんな転身を重ねられたというお話でした。
美学に行かれてフランス文学科に移られて、その後、一般企業に入られ、創作を仕事にするという意識はなかったけれども宝塚に入ったという話で、それであれだけ名作をたくさん発表されたということに本当にびっくりしたんですけれども、また宝塚を去られた。そういう決断をされた。
そしてフランスで1年間過ごされ、そこで色々な人と普段持つことのないような交流をして、そこで他者性みたいなことを意識されるということがあり、それは肩肘張ってるわけではなくて、いかにもそれが自然な感じだと見受けられました。そして東さんが「ざらついた経験」という言葉をおっしゃられていましたが、それぞれの経験がざらついてるというふうに認識する感性が必要なんだと思います。
僕なんかも同じように外国にいましたけれども、あまり「ざらついた経験」をしてないんですね。それは、そういうざらつくような経験を感じる感性がやっぱり不足していたんだなというふうに思いました。
そういう意味で上田さんの感性が非常に鋭敏であるなと思いましたし、その都度その経験を経て、自分の観念、自分の常識をアップデートしていかれたという感じがしました。
だから最後のお話で、しんどいけれども他者と交流するっていうのは、日本にいてそういうしんどい経験をしなくて済むっていうのも本当は楽でいいんだけど、やっぱり他者と関わるっていうことが重要で面白いということを、地に足のついた形で行われていると思いました。そういう他者観をお持ちだなというふうに思いました。ありがとうございました。
これから皆さんからご質問いただきたいと思います。どうぞ挙手してください。
質問者1
貴重なお話を本日はありがとうございました。大学4回生で就職活動をしていて、卒業してから表現の仕事に関わるかもしれないというふうに思ってます。そこで上田さんが本名で表現されることが怖くなかったのかなということをお伺いしたいと思ってるんですけれども、いかがでしょうか。
上田
ありがとうございます。すごくいい質問ですね。
私は怖かったので、宝塚で最初に作品を書いた時、ペンネームにしたいですって言ったんです。でもそのときに阪急社員の上司から「俺らは逃げも隠れもせんのや」というふうに言われて、「上田さんあなたはサラリーマンなんだから堂々としてればいいんだよ」みたいなことを言われてよく意味がわからなかったんですけど、とりあえず逃げも隠れもしないっていうことで、本名でやることになってしまって…今とても後悔しています(笑)
ローンを組んだ時に、収入はいくらとか貯金はこれしかないとか、要は恥ずかしい台所事情をさらけ出して、電話窓口の担当者と毎回電話してたんです。
そして「ローンがやっと組めました、おめでとうございます、今日でやりとりは終わりです」と電話を切る直前に、そのいつもの担当の人から「ところで上田久美子先生ですよね。いつも見てます、頑張ってください」と言われて電話を切られるということがあってですね(会場笑)。ファンの人に経済事情を全部知られて恥ずかしい経験がありました。なので本名でやらないほうがいいですよ、私は後悔しています(笑)
質問者2
お話を伺っていて、山城先生が気づかなかったようなフランス社会の異質さみたいなものをぴっと感じる異質性レーダーみたいなものをお持ちなんだなということを感じました。若いのにそんなレーダーが働くっていうのはすごいなと思いました。そんな中で、上田さんが作った作品を思い返してみると、例えばバッディもそうですし桜嵐記もそうですし、何だか異質なものとの出会い、葛藤であるとか、そういう部分が反映されているように感じました。
その異質性レーダーがどんどん研ぎ澄まされていって、何か今、日本のこの演劇界になかったものを見せていただいているんだなという単なる感想なんですけれども、僕が言っていることはどれぐらい合っているかということをちょっと聞いてみたいなと思いました。よろしくお願いします。
上田
どうなんでしょうか。
逆にこの歳になって自分がわからなくなるっていうか、人っていうのは一貫していなくて、まず私が私だと思っている私って何なのかみたいなことを感じていて、多分皆さんもそういうことあるんじゃないのかなって最近感じているんですが。
私が、最近思っているのは、私が前に一般の企業に入ったときに、ずっと道を見通せる人生、ここにずっといて家を持って一生同じように生活できるっていう大通りみたいな先が全部見える人生がプレッシャーになったことがあったんですね。
マラソンで長距離走らなきゃいけない時、道がずっと真っ直ぐで先まで見えているとしんどくなるみたいな話があると思うんですね。曲がり角がある方が楽で、次の角まで走ろう、次の角まで走れば、みたいなことをやっていった方がいいってことがあると思うんですが、それと似たような感じで、全部道が見通せる人生っていうのが怖いって思ってました。
他の同僚たちは、毎日同じ繰り返しであっても道が見通せている方がいいみたいなことを言ってたりしていて、私は、このロシアの拷問にも屈しないこの人たちは、何かの麻痺の病にかかっているんだと思ったんです。私だけがすごく開眼していて、真実を見据えているみたいな、他の人は違うと思ったんです。異質性レーダーの発動といいますか。
しかし今思えば私が変だったんじゃないのかと。一般的に人って同じことを繰り返すことのほうが得意だったりするらしいと最近知ったのですが、私はそのとき、みんながおかしい、みんなは社会によってそう思い込まされているが私は気づいているしレーダーを持っているぞ、みたいなそんな意気込みがあったんですけれども、でも今思うとそれは自分自身に、同じことを繰り返せない特殊な傾向があったりするのかなと。
だから、今おっしゃってくださったような、何かを敏感に察知していて真実に気づいているんだみたいな自負を、過去には持っていたんですけれども、今はそれは揺らいできていて、みんなのほうがおかしいと思っていたけれども私が変なのでは?という気持ちにもなっています。ただそれは悪いことではなくて、幸いにして表現という仕事に生かせているのでラッキーだったなと思います。
山上
確かに、異質性レーダーの話は当たっているような気がして、上田さんのお話をお聞きしていてチケットのもぎりの経験でも、さっきおっしゃったようなことを読み込んでいく感性はとてもあるように思いますし、感銘を受けました。
上田
ありがとうございます。
ちなみに、もぎりの話は、私がその当時に天才的に何かを感知したとかではなくて、その時は単に、人種差別だフランス人最低だと思ったところがありました。でも本当にそうなのかわからないモヤモヤもあって、答えを出さずに自分の中でどうなのかなって思い続けて、よくわからないことがあると思うからこそフランスに関わってきたし、さっきお話したみたいなことは、ここ五、六年でわかってきたっていう感覚があります。嫌なことがあった時、嫌いですあなたが間違ってます、って線を引いてしまったらもうそれで終わりですが、本当はその裏に違うことがあって、もしかして自分が何か知らなかった事情があったりとか、こっちにも非があるかもしれないしとか、そういうことを考えますね。
質問者3
個人的な質問になってしまうんですけれども、私も普通の道が嫌だなと思って、高校のときに、1年休学して海外に出て、大学でも1年海外に出て、帰ってきたら就職だねと言われるのがすごくつらいです。上田先生は大学卒業後そのまま就職されたと思うんですけれども、でもその会社を辞めて、一度宝塚という全く新しい世界に飛び込まれました。最終的にその迷いというか、レーンから反れることの恐怖に対する克服方法があれば教えていただきたいなと思います。よろしくお願いします。
上田
ありがとうございます。そうですね、逆に私も今その方法を知りたいという状況かもしれないですね。
1回目のレーンから外れたのは宝塚に入った時ですけれども、今は宝塚を辞めるという2回目の外れ方をしているので、それはまさに私も今悩むことですね。
私も、こんな選択をして、サラリーマンで安定している月給があり今までやってきたフィールドはここだったのに、全然違うところに飛び込む、しかもこの年齢からっていうことで結構とんでもないんじゃないかって思う自分もここにいるんですよ。でも人ってイメージすると、そのイメージの方に行くので、何かできるって思い描く自分もいるんですね。できるだろうって感じる自分を強く持っていると自分の行動もそういうふうに沿っていくということがあると思います。
絶対に私の企画は面白いんでやらせてください!っていう人に開けるチャンスと、ちょっと不安な人が、こういうことをやりたいんですけど…言うのでは、やっぱり道の開け方が全然違うっていうところがあると思います。
恐怖感に対してどうすればいいかっていうことについては答えにはならないと思うんですけども、私も、克服できていないというか怖いのが本心で、一方で、「やる」ってイメージしたり自分自身を楽観するみたいなところが大事という気がします。
質問は私も今ちょうど興味があることだったからいいお答えをしたいんですけれども、そういえば、サラリーマン生活から宝塚に入ったときは絶対に自分にはできないだろうと思っていました。入ったって絶対に自分に演出なんか無理で、1%もここで生き残れないだろうと。
それでも宝塚に行こうと思ったのはそれぐらい東京生活が合わなかったというのがあったんです。それで絶対にできないと思ったけれどもとりあえずやったんですね。だから何であれ、絶対できなさそうなことであってもやってみない限りやれるかやれないかわからない。
諦めるっていうんでしょうか。
とりあえず「やってみてから」しか、できるかできないかわからないと諦める。
やった結果、自分がどうなるかはそのときの自分の実力の表れだから、駄目だったらこれが今の自分の実力だなと思って、リカバリーする方法を考えればいい、と諦める。結果を受け入れる覚悟をする。失敗しても受け入れる覚悟をしたら後はやる。頑張ってください!
質問者4
宝塚ファンです。お話を伺っていると、上田先生の関心は舞台芸術以外のことにもあるのかなと思ったんです。なのでそういったことをされる可能性があるのか伺いたいです。私は上田先生の作品が大好きで、再演される可能性があるかどうかっていうことも聞きたいです。
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