サマーライカ2019

はじめて過ごすLikeAの夏が終わった。

初演でアッシャーが「僕も盆と正月には故郷に帰れる!」と言っていたが、room002は大体正月だったし、room003は完全に盆だった。
果たしてアッシャーが故郷に『帰れた』かは別として。

今回は初演ぶりの新宿FACEで、通うのにだいぶ気力が居るな、と身構えていたが、それと同時にあのステージを今度はどの様にLikeAの世界へ彩ってくれるのかがとても楽しみだった。
初演は2枚の空が描かれた板、奥には光が散らばり描かれた背景があり、2枚の板の交差や回転でHotel PERMANENTを描き出していた。

room002は、スペースゼロの高さのあるステージになり、2枚の板の他に奥に高い階段、奥には祭の装飾の施された色鮮やかさな飾りもあるステージだった。

そしてroom003。room003ではこれまでのLikeAで印象的だった【2枚の板】はなく、ステージ上に仕掛けられたいくつかの階段、額縁を模したいくつもの枠、そしてセンターに設置された回転する縦長のステージがあった。

今までと違い、複数の額縁と階段が更に奥行きを作り出していて、どこに座っても全てが見えない様になっていると感じるようなステージだった。
正に、LikeAが毎回こちらに提示してくる『覗き見』の世界観だ。
前回と違うのは照明もそうで、初演とroom002で担当していた川口氏ではないことも印象的だった。
今までは影を生かすようなステージ作りをしていると感じていたが、今回はそれを感じなかった。ステージに奥行きがあり、額縁や階段の凹凸もあるためそれは難しいだろうなとも思えたし、なによりも今回は照明で、今まで2枚の板に描かれていた【空の上】を表現しているのだと感じた。それは、重要なLikeAの世界観だ。
わたしの目には、漂う濃いスモークは雲のようで、その上に落ちる光たちは、まるで雲の切れ間から落ちる薄明光線のように見えていた。

前作から半年と少しの期間、また役者も制作陣も忙しい中の公演だろうと感じていたため、幕が開けるまではどうなのだろうと少し不安もあったが、幕が開いてすぐに、そんな杞憂は頭の中から飛ばされる。
続投組は歌もダンスも芝居もそのクオリティを上げていて、新規参加組は世界観にすんなりと馴染んでいた。

LikeAは、役者陣の歌、ダンス、芝居、演奏とそれぞれが素晴らしい舞台で、個々の実力が高いのはもちろんだが、それぞれに、演技、歌唱、ラップ、演奏、ダンスなどと秀でている物を持つキャストが集まって、互いに自分の秀でる部分をLikeAに持ち寄り、また影響しあっている座組だと思う。
room002から、より繋がりが深くなったキャストたちからそれを感じていたが、room003は芝居がびっくりするほど上手くなっているキャストや、歌が上手くなっているキャストが散見されて、それをもっと強く感じた。
わたしはそれほど多くの舞台作品を観ている人間ではないが、なかなかこういう座組は稀有なものではないかと思う。
得意なものは違うけれど、作品作りとして必要だからからこそ、もっと良いものを作るために、自分が得意なことで、自分がこの作品に必要なのかを考え、互いに影響しあい、意見しあい、そして互いの強みをリスペクトしあえる。素晴らしい座組だなと改めて思う。

内容そのものは、LikeAという作品がやりたかったことをようやく始めたのだ、と感じた。
初演とroom002で蒔いた種や仕掛けた仕掛けをどんどん収穫し、動かし、回収し、また種を蒔き仕掛けを置いていく、そんな内容。
ただ、相変わらず初見は、わたし自身LikeAという作品への思い入れが強すぎたことと、最後に明かされること、そして凄まじい演出への衝撃に、最後のシーンしか記憶できず呆然としながら夜の歌舞伎町を歩いたことを覚えている。
何度か観て『この言葉はあのセリフの引用』『これは対比』『これとあれが繋がっている』『あれはそういうこと』と整理できたりした。
整理すればするほど、過去の引用は元々仕掛けとして作っていたものか、後付けなのか、はたまたこちらの深読みなのかわからなくなってくるが、それもまた快感だ。

LikeAは、観ている側が思考するのりしろを残してくれているのが、ありがたい作品だと思う。
舞台や映画、そういうものを積極的に楽しむ人間というものは、大方があるものをそのまま受け入れるより、思考して答え探しや推測をすることに、快感を覚える人間が多いものだ。
舞台なら『マイクインしていないあの芝居』を考えてみたり、続き物の映画なら『あのシーンに写っているあれは前作のあのキャラクターのものだ』と気付いて関係性を考えてみたり、自分が主体として考えることの出来るものの方が快感も得るし、得た分愛着も湧く。
事実LikeAについて思考し続けているわたしは、LikeAという作品に非常に愛着を持っているし、room003のラストが衝撃的だったからこそ、観ている期間中、ずっと『room004が上演される日が来なかったらどうしよう』と不安でこわかった。(たぶんその不安は杞憂で済んだのだろうと思う)

『自分が主体となる』ということは、わたしたち観客だけでなく、キャストたちや、スタッフもそうなのだろうと思う。
演者としてだけならLikeAという作品だけではなく、他の作品でも言えるが、LikeAという作品は元々当て書きとして役を与えられていて、役者がどれだけその役が自分であるか同調できる事を求められ、またLikeAという作品に、自分が積み重ねてきたものを返せるかを考えさせられる、考えたくなるようなエネルギーと、寄り添いのある作品なのだろうと思う。
room002で脚本・演出の三浦氏がブログに書いていた、音響の門田氏が疲労で士気の下がった座組にピザを差し入れた話が印象的で、みんなが『LikeAとは』『LikeAを良くするためには』を考え、LikeAという作品を自分ごとにしているカンパニーなのだなと感じた。

http://blog.livedoor.jp/nauty468/archives/65948841.html

どの舞台も生で観るのが一番素晴らしいのだろうと思うが、LikeAはわたしが観てきた色々な舞台の中でも群を抜いて、生で見なければわからない舞台だと感じる。
映像でも良い部分は存分に映っているが、先述したようにどの角度からも全ての出来事ははっきりと見えないようになっているし、そもそもメインテーマのように全員がステージにいると、本当に目が足りなくなる。加えて、はっきりと見えない部分が、今回では関係なくても、この先どう舞台に関わってくるのかはわからない。
歌の上手さ、芝居の繊細さ、ダンス、それから前回も書いたことだが、一枚絵のようなキメの立ち位置。
どれを取ったって、映像で残るには限りがある上、円盤は悲しいことにDVD画質でDVD音質だ。映像化に関しては予算などの都合で致し方ないとはいえ、衣装も役者陣のビジュアルも、セットも、照明も、音楽も、大変美しいのに、本当にもったいないことだと思う。

これから8/30、15時から、楽天TVにて配信が始まる。

こちらは今まで通りならHD画質と思われるが、やはりきっと、生で観る美しさと衝撃とは、また違うものだろう。
演劇界、いや、エンターテイメント界に新たな試みをぶつけているLikeAという作品を生で観て、入り込み、世界観と感性を絡め合い、思考するチャンスはきっとまた来る。
その時、これを読んでいるあなたが、LikeAという作品を体験する椅子に座っていることを願って(また、わたしのようにLikeAに夢中なあなたとハイタイドで会えることを願って)、2019年、LikeAの夏を締めくくりたい。

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