舞台 PSYCHO-PASS サイコパス 感想
スタッフ発表の際、演出が三浦さんだったことに、PSYCHO-PASS1期視聴済のLikeAファンとしては『これはもう間違いない』と唸った。
なにしろPSYCHO-PASSの『シビュラシステムを信じ従い生活する人々のディストピア』と、LikeAの『自由とはその掌の中での話』『真実を知らずに生きること、知ってしまうことの幸と不幸』は形が似ている。
そして何より三浦さんは、舞台の上に創造する『闇』が凄く魅力的な演出家だと思っている。
キャスティングももう間違いないメンバー。特に前山さんの槙島は既にセリフと風貌はもう脳内でそのまま再現できた。
橋本さんはどの2.5作品でもそうだけれど、彼は彼に合う役が2次元の作品に物凄く多い。縢くんも『もうすでに観た』という気持ちになった。それくらいハマっている。
他にもウテナやセーラームーンで大好きな梨緒奈さんの弥生ちゃんだったり、もちろんアクションに期待の高い久保田さんの狡噛だったりと、本当に素晴らしいキャスティングにスタッフ。
しかし会場はステラボール。何度かイベントで足を運んだことがあり、覚えのあるステラの超横長のステージの造り、フラットな客席の造りは正直演劇にはまるで向いていないことをわかっていたので、配信か観に行くか、散々悩んで結果どうしても生で観たい気持ちが抑えられず会場へと足を運んだ。
会場に入ってすぐ、見知ったフラットなステラの造りではなく驚いた。もしかしたら、アイア亡き後ネルケが演劇をやるようになってから変化したのかもしれないが、わたしは演劇を観るのは今回が初めてだったのでとても驚いた。
イメージ的にはスペースゼロのような形の客席。客席を競り上げて傾斜をかけている。横に長いのは変わらないが、縦は1階の一番後ろは2階の最前列のすぐ下くらいまで競り上がっていて、なるほど、これなら見やすいかもと思いながら席に着く。
そしてステージセットも客席が競り上がったことによるものか、高めに作られており、真ん中の回転する背の高い台と、下手に2階席の最上と同じくらいの高さの立ち台、上手に階段と、前方の客は必然的にずっと見上げながら舞台を観ることになるため、ちょっと首を痛めそうなセット。
セット的には今まで観た三浦さん作品の中だと同じようにカミシモに高い立ちセットがあり、中心に回る台のあったダンデビ(Dance with Devils)に近い。
回るセットの後ろには通路があり、そこは薄い擦りガラスのような質感の窓がついていて、背景が透け、その上に組み込まれている枠からは舞台上方に映し出されるプロジェクションマッピングが覗いていた。
枠と窓、中心の台でPSYCHO-PASSの中のアイテム、ドミネーターを模していることは入ってすぐにわかった。組み合うと、上手から下手の高い立ち台をドミネーターが狙うような構図になる。
おもしろく、また、挑戦的なセットだなあと思った。
事実、このセット組はキャラクター達が揃ったりキメのシーンで舞台そのものが一枚絵となる瞬間が幾度もあり、やはり三浦さんは立ち位置、空間への美学がある人だなあと感じ、嬉しくなった。
開演前、そのセットの上には、これから始まるストーリーの、キャラクターを示すアイテムが散らばっていた。
(とても行儀が悪いことは承知だが、わたしはLikeAのファンなので、つい『001...』と思ってしまった。あの始まりもこうだった。)
物語が始まる5分ほど前、観客の元に晒されていたそのアイテムは廃棄区画の住人を模したアンサンブルによって片付けられるのを観て、改めてぞくぞくしながら『好きな演出だなあ』とピアニッシモから始まる物語を感じた。
始まってからはもうあっという間だった。
思っていた以上にLikeAのスタッフが関わっていたステージで、信頼のあるAsuさんのテーマ曲は美しくムーディで世界観を示唆する歌詞。川口さんの照明は、LikeAでも強く感じるけれど、光による影の使い方に関して本当に素晴らしい。そして色が交差しても、そこに影が覗くのは、川口さんの照明だからこそ感じられる妙だと思う。當間さんの振付はもう本当にスタイリッシュで、世界観に合うカッコよさ。
想像の通り前山さんの槙島は夢のように素晴らしく、美しい美術品の様に神々しいほどのライトを浴びながらシェイクスピアを読む様の、美と毒の反比例にうっとりとした。
特に王陵璃華子の最期のシーンは絶望と美、残酷さが余すことなく表現されていて、今回一番好きなシーンだ。
もちろんアクションや演技や、他にももろもろ良かったところはあるのだが、綴り始めるととめどないので割愛する。
そしてセット、そしてアンサンブルによる場面転換の移り変わりの早さ。ステージに乗っているセットのみで様々な場面を見事に表現出来ていたのは、セットの造り込みももちろんだが、アンサンブルの力なしではあれほどまでにわかりやすくはならなかったろうと思う。
多分通常ならプロジェクションマッピングをもっと活用して場面転換するのだろうけれど、先述の通りプロジェクションマッピングは舞台セット枠の切り取り窓から覗く形になっているので(それが容疑者のプロフィールをとてもカッコよく見せてくれている)鮮明に舞台背景を見ることはできない。
そんな風に、舞台背景やキャラクターの動き、表情ややりとりが、どの席からもどこかしらが見えないつくりをしているところもまた良かった。
PSYCHO-PASSの世界はシビュラシステムによって管理統制された世界で、どの立場から見るかによって、感じ方の違う、気づきの違うシステムだ。
今回の舞台PSYCHO-PASSもまた、どこからみるか、どこをみるかで観ている者の気づきや感じ方は少しづつ変わるものだと思う。(それはLikeAのように)
題材の世界観とこの上なくリンクする舞台装置、演出は、舞台化しなければ成しえなかったものであり、観終えてそこに気づいたときには、あまりのすばらしさに、しばらく茫然としてしまった。
ただ、そういう舞台の楽しみ方を示唆しているわけではないので『キャラクターや役者を観に行った』という観客には少し不親切だったかもしれない。
PSYCHO-PASSという題材を扱う以上、それを種明かしして見せてしまうのは野暮な話なのだろうとは思うけれど、注意書きだけでも一節あれば、親切だったかなと勝手ながら思う。
三浦さん、そして今回関わっている舞台製作スタッフは、LikeAととてもリンクしている。LikeAのファンであるわたしは、皆、光の中にある影にスポットを当てる美しさや、残酷さの中の美を浮かび上がらせることの出来るメンバーだという信頼が厚い。だからこそ、このスタッフ陣で舞台PSYCHO-PASSをつくってくれたことがとても嬉しい。
舞台PSYCHO-PASSは今後も続いていくシリーズで、きっと1期をしっかりと描いてくれる舞台作品となるのだろうと思う。しかし、役者もスタッフも多忙な人が多いことはわかっているので、続編を楽しみに、そして気長に待ちたい。