ボーイスカウト 大学ver.
今日もボーイスカウトの振り返りをしたいと思います。
今日は大学ver!これで最後…。
私は、10歳から23歳までボーイスカウト活動に参加していました。
これまでの記事はこちら。
今日は大学生以降のスカウト活動の話です。
ローバースカウトの全国組織である全国ローバースカウト会議の話が中心になります。
RCJの運営委員会に参画した大学時代
ローバースカウトは高校時代までに身につけるべき技能(ロープワーク、野営、炊事、後輩育成、リーダーシップなど)を習得したことを前提に、自主的な活動をしながら指導者になる準備をし始めます。他にも、ベンチャースカウトやボーイスカウトなどの後輩育成をする他、全国組織である全国ローバースカウト会議(通称・RCJ)のメンバーに加わり、全国行事の奉仕やRCJのイベントなどに参加していきます。
一言で言えば、自由!指導者はいても、自主性が重んじられるので、活動してもいいし、しなくてもいい。指導者から活動依頼があっても、指導や指示はありません。個人の裁量で活動していきます。
全国ローバースカウト会議とは、全国のローバースカウト年代(18−25歳)を対象とした会議です。ローバースカウト年代が全員メンバーとなります。
その運営を各ブロックごとに選出した代表者らで構成される運営委員会で話し合いを持ち、各県の代表者に情報を卸し、伝える方式をとっています。
簡単に言えば、スカウトだけで運営する会議です!
大学1年
大学進学前の春休みに富士章の代表スカウトの1人としてで東宮御所を訪れた私は、沖縄県内の大学に進学します。大学進学と同時に、ボーイスカウトのスカウト制度の最終地点であるローバースカウトに上進しました。
富士章の表敬訪問の時に全国ローバースカウト会議のことは聞いていたので、上進後はRCJが発信する情報を追っていきました。
情報の中に日本連盟が新たに購入したキャンプ場でイベントをする情報を拾いました。
未開拓の地を集まった同世代のスカウトと交流しながら開拓していく。
楽しそう!と思い、参加を決め沖縄からのスカウトが1人という状況に飛び込みます。
初めて1人で参加する県外のキャンプ。これまで派遣隊として県外にキャンプすることはあっても単身飛び込むことはありませんでした。
不安はありましたが、さまざまな人と会えることを期待して、イベントに飛び込みます。
案の定、沖縄からの唯一の参加者ということで、多くの人が声をかけてくださり、交流することができました!
この時出会った人の何人かは私がスカウトを卒業するまで関わっていくことになります。
多くの人と出会い、話すことができ、活動フィールドが沖縄→全国に広がることへの可能性を見出した瞬間でもありました。
大学2年
私は初めてボーイスカウトの全国大会に参加します。毎年5月、どこかの県で開催される全国大会。2017年は鳥取県でした。
私は全国ローバースカウト会議の県代表ではありませんでしたが、一度行ってみたいと思い、沖縄県連から参加するスカウトは一人という状況の中、全国大会中に開かれる全国ローバースカウト会議の総会に参加します。
当初は、一般参加者として総会を傍聴する予定でした。ところが…私が行くと聞いた当時の沖縄県代表が私を代理として報告していました!
傍聴者のつもりが出席者に繰り上がったのです🤣
鳥取だからコナンを見にいきたかったのにToT
それは置いといて、
急遽、沖縄県連盟の代表スカウトとなった私は総会→ブロック会議と「ローバースカウトの活動を良くしていくにはどうすればいいのか」を考えることになりました。今まで、沖縄のスカウト問題は声に出しつつも、公の場で発言することはありませんでした。
いきなりの大役に緊張しましたが、
当時の県代表に「いつか県代表に推薦するから」と予告されていたこともあり、いつかの日に備えて挑みました。
緊張したー。
全国大会への参加を皮切りに、RCJのイベントや各県のローバースカウト会議が主催する行事に顔出していきます。沖縄からの参加が可能だったのは、大学の国内留学制度を活用して東京の桜美林大学に留学していたからなせた技でした。
全国各地に誘われては飛んでを繰り返した大学2年でした。
大学3年、4年
大学3年になった2018年から2年間、全国ローバースカウト会議の沖縄県代表としての活動が始まりました。
定期的なブロック会議に出席し、情報交換し、議論するのが中心になっていきました。他にも県内でローバーの活動をしていました。
県代表2期目に入った2019年は、全国ローバースカウト会議の運営委員会に参画することになりました。所属していたブロックで、県代表の顔ぶれがガラリと変わったため、前ブロック代表から指名を受けてブロック代表となり、運営委員会に参画することになりました。
運営委員会の任期は2019年5月〜2020年5月まで。
この1年間は2−3ヶ月に一度東京に行き、運営委員会に参加し、全国行事やブロックイベントなど複数のプロジェクトについて話し合いを行っていながら、全国大会の準備をしていきました。
途中、コロナで会議がオンラインになったまま全国大会もオンラインになるという手探りの総会をやりきり、ブロック代表兼運営委員の任期を終えました。
全国大会が終われば、スカウトとしてやり残したことはなかったので、2021年3月までは仕事に専念し、年度が終わると同時にスカウト活動に幕を引きました。
大学4年の時には、富士スカウト章を目指すベンチャースカウトが参加する富士特別野営2019の大会運営スタッフとして奉仕しました!一週間、夜営管理のスタッフとして裏方に徹しましたが…スカウトとの接触が禁止されていたため、スカウトと会わないように隠れて動くのが難しかった。でも、一度は行ってみたかった富士特別野営にスタッフとして参加できてよかったです。
日本連盟が出していr参加した富士特別野営2019のダイジェストムービーです↓
約13年の活動を通して感じたこと
小学4年生から始めたボーイスカウト活動。13年間も続けるとは思いませんでした。高校卒業と同時に辞めると言っていたくらい、高校までいい思い出がありませんでした。
ボーイスカウトでも最初に所属した団以降、指導者に恵まれず、悔しい思いをたくさんしてきました。何度やめてやると思ったことか…。
その思いが変わったのは、富士スカウト章を受賞してからです。これまで、苦労してきたスカウト人生が報われたと思ったと同時に、スカウト活動を他の楽しんでいる人と出会い交流し、心の底から楽しんで活動することを知りました。以降、RCJの活動を中心に楽しいと思ったことしかしてきませんでした。
でも、何かの節目でスカウト活動から手を引くべきだと考えていたので、大学卒業を機に辞めるつもりでした。
私の性格上、一つの場所に留まり続けるのも性に合わなかったので、一度離れて戻ってくるのもありだと思い、節目のタイミングでの幕引きを狙っていました。
予想外にも、運営委員会に参画することになり、社会人1年目まで継続しましたが…。運営委員会の任期が総会のタイミングで入れ替わりだったので、必然的に登録を継続しなければいけない状況でしたToT
スカウト活動から離れて2年。
仕事が忙しく、あっという間に過ぎていましたが、今でもスカウトとして活動した13年が懐かしいです。
貴重な体験もできた。
大学まで続けていてよかったです。
これにて、ボーイスカウト編終了。
3本にもわたって振り返るとは思いませんでした!