私がキャリアコンサルタントを目指す理由
私は7月に国家資格キャリアコンサルタントの試験を受けました。
受けようと思った理由も、教育担当の記者をしていた時に就職に関する記事を書いた経験からキャリアに関する資格を取りたいと思うようになりました。
今回は、なんで取ろうと思ったのか書こうと思います。
※最初に言います。正直、内容が重めです。
雇用に関心を持った大学時代
私は大学時代、社会学ゼミに所属していました。
沖縄の社会問題というと
子供の貧困
若年者の雇用
所得が低い
などたくさんあります。
数ある問題の中から
若者の離職率に着目し、卒業論文を「インターンシップと就職活動」にするほど、若者の取り巻く働き方、キャリアに関心を持ちました。
関心を持ったまま大学を卒業し、新聞社に入社しました。
就職して感じた働くことの難しさ
自己紹介でも書きましたが、新卒で新聞社に入社しました。
2022年3月まで、約2年間の記者生活で
警察→教育→フリー
と3つの担当を経験しました。担当は3つでしたが、上司は4回変わっています。
なんでこんなに上司も担当も変わるの?
って思いましたよね?
業界特有なのかわかりませんが、
会社で取材する分野が政治・経済・社会・スポーツなど多岐に渡るため、専門的に担当する記者を決めています。
私でいうと、
警察担当、教育担当みたいに。
担当ごとに人数は変わりますが、大体1〜2人のパターンが多いです。
なので上司と常にマンツーマンで仕事することになりますね。
さらに厄介なのが、担当の上司のまた上に上司が3−4人いるんです。
ややこしい。
詳しいことは割愛しますが、簡単にいうとこんな感じです。
私(下っ端)→直属の上司(キャップ【主任】)→副部長→部長→本部長
という構図になります。
取材の指示は直属の上司に聞いて、記事出稿後は副部長・部長と記事の内容についてやりとりする。その繰り返し。
人を相手にしているので、記事を見る人、話を聞く人でニュースの軸(読者に伝えたい部分)が変わってきます。
自分が軸だと思っていることを話しながら妥協点を見つけていく。
この作業を毎回取材の前後にやるんです。(多いのが取材後、場合によっては追加取材😓)
1日の記事の出稿数が多くなるとその回数分やります。
取ろうと決意したのは異動が決まってから
当時の私は教育担当だったので、行政がお休みする土日が固定休でした。でも、取材依頼が入れば土日も出勤するのが日常茶飯事。受験資格を得るための養成講座を受講することもできないくらい仕事に追われていました。(書いていない記事が常に10本あり、休みの日も記事を書いていたくらい。)
休みだけど休みじゃない感覚で仕事を続けていたある日、
「今の会社に居続けたら…どうなってしまうんだろう?
私はどういう働き方をしたいんだろう?」
と考えてしまいました。
考えて考えて考えた時に思い浮かんだのが
一度仕事を理由に諦めた
キャリアコンサルタントを取ることでした。
「資格を取れば迷路に入り込んでいる考えから抜け出す一つの糸口になるかも」
藁にも縋る思いでした。
と言いつつも、就職に関する記事を書く中で学生に話を聞いているうちに
就活のこととかキャリアのこととかの話を楽しく聞いている自分がいることにも気づいていました。
自分自身が何をしたいのか内省するきっかけになるのであれば取る価値はある。それに、就労支援をしたいなら資格を取って活かす道もある。
そう思った私は、
沖縄県で受講できる養成講座を探しました。
説明会を受ける中で、オンラインでも養成講座を展開する「資格の大原」に通うことを決めました。
理由は単純です。地元のコロナの感染者数が変動する中、対面で講座を1日中受け続けるのはリスクが大きいと判断したからでした。
2022年1月から始まった養成講座を受け、3月に無事修了要件をクリアし、修了証をもらえたことで、受験資格を得ることができました!
いやー、2ヶ月長かった。毎週日曜日の朝9時から午後6時までZoomを繋ぎっぱなしの生活を経験して、
集中力は持たない
眠たい
内容が難しい
と三拍子が揃いそうでした。
働く中で感じていた違和感の正体
私は、就職してから2ヶ月が経った頃から、
食欲不振
睡眠障害
原因不明の蕁麻疹
などがありました。当時はパワハラまがいのことを受けていたなど気づくはずもなく、自分が悪いんだと自己嫌悪に陥る日々。毎晩お酒をたくさん飲んでも眠れない。そんな日々が教育担当に異動するまで続きました。後から振り返ると鬱っぽいなぁと思いました。
でも、病院に行かず、自分なりに調べて「適応障害」「うつ病」のどれかだろうと検討をつけ、なんとかコントロールしていました。
そのコントロールが効かなくなったのが2021年11月ごろ。突然、教育担当からフリーに異動したのがきっかけでした。
部署内異動だったので、人間関係は変わらず、仕事内容が変わるだけでした。
大丈夫だろう。
そう思っていても、割り切ることはできませんでした。
なぜかというと、同じようなことで異動するのが2回目だったからです。
1回目は警察→教育に異動した時。
上司からは
「入社して3ヶ月は担当の適性を見るから3ヶ月で異動することはありえる」
と担当に入る前から言われていたから納得はしました。納得は。
でも、異動を言われたのは6月が終わる2日前。2日後の7月1日には本社に上がってこいという。引き継ぎも挨拶も心の準備もできないまま慌ただしく異動しました。
2回目は教育→フリーに異動する時。
1回目のようなことは言われませんでした。でも、上辺だけの事を言われて本当のことは言ってくれない。
異動を言われたのは11月2週目の月曜日。で、翌週金曜日には異動。
これまた、引き継ぎや挨拶もできないぞ。
それに取材も入っているから手をひけないものもある。
せめて月末までとかけあってもダメ。
準備もできないまま異動していく。デジャブ。
表面上は笑っていても心の中は穏やかじゃありませんでした。会社に抱いていた思いが、不思議から不信感に変わった瞬間でした。
つらつらと不満を書きましたが、
共通していることは以下です。
入社3年以内の人には色々な部署を経験させたいから今回の異動になった
〇〇(私)は優秀だから新しい活躍できると思う
必ず私と一緒に異動の対象になるのは同じ部署にいる同期
詳しく説明もせず、
ジョブローテーションという言葉を使って異動させていたんだ。
そう気づいた瞬間、言葉が出ませんでした。
自分に非があるなら指摘してもらえないと直せない。
右往左往していました。
右往左往するうちに
コントロールしていた体が悲鳴をあげ、年が変わることには
「仕事を休みたい、会社を辞めたい」
そんな思考に変わっていました。
前向きになれた養成講座での出来事
後ろ向きだった私が変われたのは、キャリアコンサルタントの養成講座で行うロールプレイングで悩みを打ち明けたことでした。
心の中のモヤモヤを頭で考えすぎて思考の迷路に陥っていました。
そんな思考の迷路から抜け出す糸口となったのが言葉にするでした。
それまでは、仕事で困っていたこととかも同期や家族に洗いざらい打ち明けることはできない。
と決めつけ、心の中にしまっていました。
でも、ロールプレイングであれば打ち明けても外に漏れることはない。それが養成講座内のルールだったので安心して話すことができました。
養成講座で少しずつ言葉にするうちに、
「会社の中に私がいるのではなく、会社は私を構成する一つの要素として捉えればいいのではないか」
という考えに辿り着きました。
会社のために働くのではなく、自分のために働けば楽になるのでは?
と思った私は、
どの段階に来たらやめると言えるのかを考え始めました。
するとビックリ!
前向きに考えている自分がいたのです。
今は3年経って、新しい部署での仕事を経験してからやめる。
それを糧に頑張りつつ、
書く仕事しかしてこなかった自分自身に付加価値を見つけるためにスキルを身につける時期だと考えて前を向いています。
そのために
キャリアコンサルタントを取得する
次は、
試験までに私がやることになった1週間漬けの日々を書こうと思います😅
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