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セクハラ・パワハラ・モラハラをやたら受けてた時期と、乗り越えた方法のお話。

一時期、やたらとセクハラ・パワハラ・モラハラを受けた時期があった。年齢は30入ってすぐ。大失恋のちモラハラ系男と付き合っていて、さらに転職の失敗でボロッとしていた時期であった。

新しい会社の上司(仕事デキる・既婚・年上・男)には、普段はとても信頼できる頼れるイケメンボスなのに、残業で男性達+私だけになると「(私の開いた鞄を見て)鞄の口が開いてる女はヤレる」とか「彼氏といまから会うの?セ〇〇スするんでしょ?」だとか言ってきた。仕事に疲れて整体に行くと、マッサージのオジサン(腕がいい・既婚・年上・男)に「彼氏とどう?」と毎度聞かれ、巧みな話術とともに「ここにツボがある」と下半身の微妙なところを押され、施術が終わって足を組んで寛いでいると「ほら、足組まない!」と太ももを叩かれた。転職した女性ばかりの部署では、お局上司(仕事あんまりできない・未婚・年上・女)に後出しジャンケンで細かいことをチクチクとイビられ、先輩たちにはナチュラルにパシリにされ小さなミスの濡れ衣を着せられ、同僚にはSNSに書いた詩をパクられた。他にも別の整体院でプロフィールに書いた携帯に院長(オッサン)の個人番号からSMSが届いたとか、カフェで隣に座ったオッサンが1時間体ごとこっちに向けてガン見してきたとか、会社の既婚男性(イケメン)とランチに行ってたら社内で不倫の噂を立てられたとか、女性のマッサージ師に愚痴ってたら「あなたは自己肯定感が低い。私みたいになりなさい」と説教が始まったとか、モヤッとすることは日常茶飯事で、多すぎて書ききれない。完全に、noter(?)でもある山本さほさんの「きょうも厄日です」状態である。

当時の私の対応と言えば、そういう目に遭っても、「なんだか嫌な気がするなぁ」とモヤッとしながら笑って流したり、「気にしすぎかなあ」とぐるぐる考えてのち流したり、場を壊さないように笑顔で「ひどいですよ~やめてください」というけど聞いてもらえなくてやっぱりそのまま流したり、といった塩梅であった。

モヤモヤが晴れなくて、ネットで「セクハラ どこから」「パワハラとは」「お局 特徴」などと検索しては、自分の感覚が正しいのか答え合わせをしたり、信頼している友人や家族に聞いてもらって「それおかしいよ」と言ってもらっては「やっぱりそうか」と時間差で憤ってみたり、あんまり仲良くないけど優し気な、事なかれ主義の同僚に愚痴って「誰でもそうだよ、気にしすぎ」と言われては「そうですよねー気にしないようにします」と言いつつモヤモヤし続ける、といった具合であった。思えば、いつもいつも、「私、気にしすぎかな?」と、どこにあるかわからない謎の基準と自分と比べては、最終的に飲み込んでいた。

きっかけは何だったか、そういうことが続くうちに戸惑いと違和感が怒りに変わってムクムクと膨れ上がり、あるとき堪忍袋の緒が切れて、「世の中のセクハラとかモラハラ基準に当てはまるかは知らないけど、私がとにかく不愉快なんだ!あいつらと徹底的に戦ってやる!」と決意をした。単純に生理前かなんかでイライラしてたのかもしれない。そこで、「周りにいる、セクハラ・パワハラ・モラハラに遭ってなさそうな人」を参考に、「きっとこんな人なら嫌な目に遭わないに違いない」というイメージを作り上げ、怒りに任せて実践してみることにした。ちょっとしたキャラチェンである。

まずは、小さな違和感を大切にすることにした。少しでもいやな思いをした整体やカフェにはいくのをスッパリやめた。「やな感じがする、『でも』、腕はいいし」と通い続けていたところ・やり続けていたことを、「やな感じがする。『だから』やめよ」に変えた。仕事でも、今までは「仕事を頼まれたけど私の仕事じゃない気がする。『でも』、すぐ終わるからやってあげよう」と黙ってやっていたことを、「確認ですが、これはもともと担当は〇〇さんではないでしょうか?」と確認するようにした。どんなに小さなことでも、丁寧に礼儀正しく、納得がいくまで確認した。結果、マッサージやカフェは気持ちがいいところばかりに行くようになったし(見る目が上がった)、仕事でも、雑用を押し付けられたり、濡れ衣を着せられたりということが皆無になった。組織の中の発言力も増した(たぶん一部には恐れられるようになったけど)。

そして、体育会系の礼儀正しさを心がけた。マッサージでも仕事でも趣味でも、相手の目を見て、自分から「こんにちは!本日はよろしくお願いします!」と挨拶する。そして、終わった時も自分から「ありがとうございました!」とお礼を述べる。それまでは、マッサージ・整体にいくときは、すでに仕事に疲れ切っていて「もうヘトヘトです~~」となだれ込み、施術を丸投げし、施術中も「仕事きついんですよ~」と聞かれてもいない愚痴を垂れ流していた。これをやめた。男性施術者の時は特に。そして、ちょっとでも「そこ、触られるといやだな?」と思うところ(下半身とか、鎖骨とか)を触られたらいつでも「そこはイイデス!」と断れる心づもりをして施術に臨んだ。「セラピストさんに私の体を全面的に任せて施術してもらう」ではなく、「プロのセラピストさんに私が指示して私がいいように施術をしてもらう」という心持ちに変えた。

さらに、身だしなみを整えた。服装だけでなく、姿勢と表情も。常に胸を張って、口にはほほえみを湛えた。服も、ちょっとでも「この服、そろそろくたびれたかな?」と思うものは処分して、「これ着てると幸せ!」と感じるものに変えた。こんまり流にいうと「ときめくものだけ身に着ける」といったところだろうか。明るめの色の、すっきりとしたシルエットの服を着るようになった。

この3点を心がけていたら、いつの間にか自然といろんなものを断れるようになり、不要になったものを躊躇なく、でも感謝を持って手放せるようになった。部屋は前よりもきれいになり、「なんとなく好きじゃないかも…」と思う人たちとは自然と疎遠になった(相手からの接触がなくなった)。自分で人生を選択している感覚が生まれ、自分の生活の主導権を握れるようになっていった。礼儀は相手を立てるためだけではなく、自分の身を守るものだと体感した。モラハラ男ともいつの間にか別れ、当時は辛かったけど、上位互換のようにあらゆる面でよりよい人に出会い、私がモラハラを受けていたことを自覚してスッキリした。

そして心がけ始めてから1年程度の今。めでたく、ハラスメントだと感じる出来事は皆無になったのである。嫌なことはまず起こらないし、あったとしても早めに避けて、撃退する自信がある。また、色んないやなもの・ことを断ることができるようになった一方、感謝や好意(恋愛に限らず)などいいものを気持ちよく受け取れるようになったし、感謝や好意を表してもらうことが増えた。部屋や生活も、好きなものばかりで満たせるようになってきた。

今思えばハラスメントを受けていたあの頃、とにかく人生に疲れていて、日々の何もかもが投げやりで受け身であった。他人任せで、やれといわれたらやる、やめろといわれたらやめる。誰かに人生を決めてほしい。正解を与えてほしい。そんな心持ちであった。

そんな状態の私にも優しくいてくれた人々もたくさんいて、彼ら彼女らのことはこれからも大切にしようと思うわけだが、一部の未熟な人間は、そんな受け身の人間のことは自分にいいように使おうとする。弱みに付け込んでくる。「舐めている」というやつだ。ある意味、私が彼らからハラスメントを引き出していたのかもしれない。

そうされたときは、泣き寝入りするのではなく、誰かに「守ってぇ~」と泣きつくのでもなく、自分が強くなるしかない。というか、強くなるチャンスであり、試練だ。受け身から能動へ。これは子供から大人への成長の一つの過程。いつか乗り越えなければいけないことに取り組む機会が、ひょっとしたら多くの人より遅かったもしれないけど、私は30過ぎのあの時期に訪れたんだと思う。

もしも今、「なんか最近セクハラ?かわかんないけど、受けてるような…気がする…。」「これってパワハラ…なのかな…?」「嫌な目によく遭うな…」と思っている人がいたら、参考になると幸いです。

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