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許せないと思う気持ちを軽く扱ってはいけないと思った話

どんな国にも良い人もいれば、どうしようもない悪人もいます。

残念なことですが、これは現実です。

そして、あるグループに属する人と過ごしていて自分が酷い目に遭ったことがないからといって、他の人がそのグループに自分と同じような安心感を持っているとは限りません。

以前に書いたことがあると思いますが、自分にはとっても親切な人が、別の人には酷い振る舞いをしているかもしれないのです。

それで、自分の身の回りに起きたことだけで、○○人は善人だとか悪人だと判断するのは良いことではありません。

もし、ある人が酷い目に遭って、加害者とも、その家族とも、もしかするとその人が所属するグループとも縁を切りたいと思ったとしましょう。

それを、そんな大げさなと、許しなさいなんて言う権利は自分にはありません。

縁を切るって相当な覚悟がなければできません。

きっと許せない、縁を切らなきゃと思う人は、そうでもしなければ正気でいられないと思い決断したのでしょう。

その重大な決定に至る過程を部外者である自分は、軽く見ることなどできないのです。

ましてや軽い気持ちで「みんなと仲良くね」なんて言うことなんて許されないのです。

もちろん、わたしだって誰とでも仲良く過ごしたいと思っています。

加えて、自分のミスや不躾な態度を許してほしいと思っていますし、自分だってできる限り人を許したいと思っています。

それで、容認できる場合はいつでもお互いに譲ったり、場合に寄っては距離をとりつつやり過ごします。

でもそれって「容認できる範囲」を越えてないのが条件なんです。

それで、これはアカンやろとか、もう無理だと感じたとき、自分はどういう行動を取るのだろうと考えています。

自分の信念や今までの生き方を考えると、これからも許し許される道を自分は選びたいとは思っています。でもそれって仮定の話なんですよね。

それで、許せないと思ったとき、自分はどうするのか?

許しを選ぶのか、あるいは縁を切るのか。そこまでに至らなくても距離を置くのか。

そのどちらも簡単には選べないものだからこそ、もっと自分に正直に、そして深く向き合って考える必要があると痛感しました。

今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。
また明日

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くまてつさん@中国|日本語教師
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